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この世で一番軽い恋  作者: 神田柊子
第五章 東方諸国を味方にせよ
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檜帝国の第三皇子浩大

「後宮も城も、おもしろくない」

 大陸東岸を占める(カイ)帝国の第三皇子として生まれた浩大(コウダイ)は、ずっとそう思っていた。

 実家に力がない母は、誰からも恨みを買わないように細心の注意を払って生活していた。皇帝に対しても、下級役人である祖父から依頼された些細な希望を通すために、気に入られようと必死だった。

 野心を持たない母は皇帝の子どもなんて全く望んでいなかっただろう。ましてや皇子など。

「目立たないようにしなさい」

 浩大は何度も母に注意された。

 第一皇子や第二皇子よりも、愚鈍で無能に見えるように。

 そんな後宮生活は、おもしろいことなんてひとつもなかった。

 幼いころに母に尋ねたことがある。

「母上はこんな毎日が楽しいのですか?」

 すると、母は浩大の手をぴしゃりと跳ね除け、眦を吊り上げた。

「楽しくなどないわ! お前もわたくしに命令する立場のくせに、何を言う!」

 後にも先にもあんなに怒った母の顔は見たことがない。

 浩大は母の言葉に、そんなふうに思われていたのか、と衝撃を受けた。

 母にとって自分は完全な味方ではないらしい。愚鈍を装えと言う指示は、浩大のためではなく、母自身のためなのだろう。

 幸い、浩大と上のふたりの皇子の間には歳の差があったため、よほどの才覚がなければ浩大が次代に選ばれることはない。

 どちらの派閥からも、味方につけても役に立たない、排除する手間をかけるほどの価値もないと思わせることに成功した。

(今となっては母上に感謝しているがな)

 次代争いなど、面倒なことこの上ない。

 人の流れ、物の流れ、そして金の流れ。それらを見て浩大は判断した。――近々、ふたつの陣営が本格的に動き出す、と。

「どのようにいたしますか?」

 帝国の各地に放っている密偵のまとめ役が浩大にそう聞いた。

 どうとでもとれる質問に、浩大はにやりと笑う。

「そうだな。あの降霊術師を帰すついでに、俺もユーカリプタス王国に行くかな」

「…………」

 どちらかの陣営に浩大が働きかける、もしくは両方と敵対する、そんな指示を期待していたのかもしれない。密偵はわずかに言葉を失ったあと、「はっ」と返事をした。

「お前たちは引き続き帝国内の情報収集を頼む」

「はっ、御意に」

 密偵は音もなく下がる。

 浩大はそれからすぐに準備を整えて、極秘に檜帝国を出た。大陸横断鉄道で西を目指す。

 東方諸国は身分を隠して何度も旅行したが、西方は初めてだった。

 景色はもとより、空気の匂いまで異なる気がする。

 今回のために新しく作った偽の身分証でユーカリプタス王国に入国し、西方担当の密偵である(ダン)を外務部のラグーン侯爵の元に向かわせる。真正面から乗り込んで帝国に確認の連絡でもされたら全てが水の泡だ。ラグーン侯爵は国王や大臣に秘密裡に繋ぎを取ってくれ、浩大は留学生として過ごせることになった。

(帝国の次代争いがまだ西方に伝わっていなかったおかげだろうがな)

 西方どころか帝国でも表面化していなかったのだから、仕方がない。ユーカリプタス王国はむしろ西方の中では、東方に詳しい国だ。

 浩大は、学園で会ったアリスター・フォレストを思い出す。

 彼の母である瑠璃がハツカ国から嫁いだため、この国は東方に伝手がある。

 ハツカ国は不思議な国だ。

 帝国は遥か昔の時代から何度もハツカ国に攻め込んだ。しかし、そのたびに嵐で阻まれたり、帝国内で自然災害が起こって戦争どころではなくなるなどして、ハツカ国にはついぞ手を伸ばせていない。

 そのせいで帝国には、ハツカ国の島は巨大な神獣の一部だと神聖視する宗教ができたりした。一時は流行したが、今は残っていない。しかし、その名残か、ハツカ国は今でもなんとなく神秘的な印象で捉えられていた。

 邪な意図を持たない船は普通に行き来できるので、浩大は何度か渡航したことがある。

(いたって普通の呑気な国だったな)

 神秘など何もなかった。

 争いごとで一番多い原因が恋愛沙汰だというのが、おかしいと言えばおかしかったくらいだ。

(あの国で唯一あった王位争いが、ふたりの王子の恋人がどちらも『私、王妃になりたいわ』と願ったからだとか……。本当か知らんが。笑い話になってるのが、またわけわからんのだがなぁ)

 ハツカ国の王族はほぼ恋愛結婚で、今代の王のきょうだいの多くが帝国の属国と婚姻を結んでいる。

 一番長い距離を越えて嫁いだのが、王の末妹の瑠璃姫だった。

 浩大は会ったことがないが、現皇帝は会ったことがあるらしく、「取り逃した」と冗談にしていたのを聞いたことがある。

 アリスターは浩大が想像していたよりも、ずっと東国人の容姿に近かった。よく見れば違うので、帝国に行けば違和感を持たれると思うが、こちらの国にいるよりは目立たないだろう。

(どこから聞いたのか知らないが、ひどく警戒していたな)

 浩大はくくっと喉の奥で笑う。

(俺は何かするつもりはないのになぁ)

 セリーナにちょっかいをかけるとアリスターが反応するため、浩大はそれが楽しい。

 壇の情報で魔法使いだと聞いていたセリーナ。思いがけず、魔法の攻撃を受けてしまった。彼女が言う通り、静電気程度だったけれど、驚いた。

(魔法使いがいれば次代争いを制圧できるか? いや、無理か)

 西方の魔法使いは、東方の妖術使いとは違った。魔法は自然を操る力のようだった。妖術使いは幽鬼も操れるし人を呪うこともできるが、魔法使いはできないらしい。降霊術師を名乗っていた魔法使いも「魔法で幽霊なんて呼び出せませんよ」と笑っていた。彼は、蝋燭の火を消したり点けたり、風で物を倒したり水をポタポタ垂らしたりなど、小さな演出に魔法を使っているそうだ。

「魔法か……」

 浩大がつぶやくと、学園の寮に報告に訪れていた壇が顔を上げる。

 ユーカリプタス王国にいる間にも、帝国に残してきた密偵から報告が届く。

 現皇帝が病を得たことが発表される予定らしい。その病で今すぐどうこうなることはないが、次代の指名は一年以内に行われることになる、という話だ。

 次代の指名権は皇帝にある。しかし、完全な独断ではない。臣下の意見も聞いてくれる。

 歳の近い皇子がふたり生まれたときから始まった派閥闘争は、ここにきて山場を迎えた。

 母とその実家には、今まで通りにどっちつかずで逃げきれ、と伝えている。

(母の言ったように、命令する立場になったわけだな……)

 思わず自嘲がこぼれると、壇が「魔法が、なんでしょうか?」と口を開いた。

 壇からの珍しい問いかけに、心配をかけたか、と笑う。

「いや、思い出しただけだ。意味はない」

 うなずく壇に、浩大は、

「配置はこのまま変えない。何かあれば報告してくれ」

 遠く離れても、祖国とは切れない。

 いや、切れないのではなく、切らなかったのだ。

 身分を捨てる道だってあったはず。

 しかし、ラグーン侯爵に浩大の名前で繋ぎを取ったのは自分だ。

(敵とみなすには不十分、味方につけるにも不十分。放蕩三昧の第三皇子、か)

 おもしろいことは好きだ。

 異国の生活、知らない人との交流、身分を隠したやりとり、新しい知識。

 好き勝手で自堕落な生き方は間違いなく自分の本質だと感じる。

 しかし、そうした生活で得られる満足感だけでは埋まらない穴が、己の心の奥底に開いているのが浩大にはわかる。

 この穴が何で埋まるのかは、ずっとわからないままだった。

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