浮遊体質の逆作用
新学年が始まって一週間。
セリーナは毎日が薔薇色だ。
(登下校は公爵家の馬車でアリスター様と一緒、お昼も食堂の個室で一緒。こんなに毎日アリスター様に会えるなんて!)
頻繁に会えることでときめきが分散されているのか、セリーナは今のところ学園では浮かずに過ごせている。
――登下校は前から決めていたけれど、昼食は約束していなかった。
ところが、最初の昼休み、セリーナの教室にアリスターがやってきたのだ。
「アリスター様! どうされたのですか?」
セリーナが満面の笑みで駆け寄ると、アリスターは「昼を一緒に取ろうと思って」と少し視線を逸らす。
「お誘いうれしいです! ナディアも一緒でいいですか?」
セリーナがそう聞くと近づいてきたナディアが、
「えっ、私は遠慮するわよ。ふたりで食べたらいいじゃない」
「ああ、大丈夫。殿下にも声をかけたから」
「はい?」
「殿下も乗り気で、特別室を使わせてくれるってさ。四人――エグバート殿もいるから五人かな、皆で食べようだって」
「え? はい? 殿下が?」
滅多にないくらい戸惑うナディアに、セリーナは笑う。
(ナディアと殿下は昼は別々だったものね。……あら、もしかして私がいたせいなのかしら?)
「ナディア、ごめんなさい。殿下があなたを誘えなかったのは、私に配慮してくださっていたからよね……」
「いえ、そんなことないわよ。殿下とは王宮で交流の時間があるんだから。……空き時間があればすぐに会いに来るアリスター様がおかしいのよ」
「まあ! おかしいなんて! 普通よ、普通」
「普通だよ」
ふたりがかりでそう主張すると、ナディアは「はいはい。あなたたちにとっては普通なんでしょうね」とため息をつく。
「それよりも、殿下が待ってるといけないから、早く食堂に行くよ」
アリスターに急かされて、ナディアもうなずいた。
それから、ほとんど毎日、セリーナとアリスター、ナディアとグレゴリーは一緒に昼食をとっている。
食堂でナディアの顔を見たグレゴリーが破顔するからナディアも何も言えなくなったのだ。
護衛を兼ねているエグバートは常に同席していて、あとはケントやバーナード、キャシー、キャシーと仲の良いリリアン・エスチュアリー男爵令嬢が加わるときもある。リリアンは流れで生徒会にも関わるようになって、キャシーと共にナディアの侍女候補になった。
今日も全員集まったのだが、特別室でグレゴリーと顔を合わせたナディアが真っ赤になって、
「あのっ! 私! 私は今日は失礼いたします!」
回れ右をしてしまう。
「えっ! ナディア?」
セリーナが戸惑うと、グレゴリーが「セリーナ嬢、ナディアを追いかけて一緒に昼食をとってあげてほしい」と言ってきた。
グレゴリーは困っているようだけれど、どこかうれしそうにも見える。
(悪いことが起きたわけではなさそうね)
セリーナは「承知いたしました」と一礼して踵を返す。アリスターをちらっと見ると、彼はうなずいてくれた。
キャシーが先にナディアに追いついて彼女を止めていてくれた。個室が空いていたので、女子生徒四人でそちらに移る。
料理が運ばれてから、セリーナはナディアに聞いた。
「逃げ出すなんて、何があったの?」
「え、逃げてなんて……」
ナディアは視線を揺らす。
また頬を赤くするナディアに、キャシーが尋ねる。
「もしかして、殿下と何かあったのですか?」
「なっ、なにか? 何かって?」
「それを私たちが聞いているんじゃない。動揺しすぎよ」
声を裏返したナディアに、セリーナは瞬きする。こんな彼女は初めて見る。
「どうしたの? 悪いことじゃないんでしょ?」
「ええ……。そう。悪いことなんてしていないわ……」
ナディアの表現に、セリーナたち三人は固唾をのむ。
「つまり、何かしたのね? ……されたの?」
「う。……話さないとダメ?」
(いつも毅然としているあのナディアがかわいい!)
セリーナたちは無言でうなずいた。
ナディアは観念したのか、ぽつぽつと話しだす。
「あの、昨日……、王太子妃教育の日だったのよ。それで、いつも、勉強のあとに殿下と交流の時間があるの……。最近は殿下とふたりでお茶をするのだけれど。……あのね、昨日もお茶をしていたら……」
「ええ、お茶をしていたら?」
「ソファの隣に座っていたの……。話をしていたら、突然、殿下が私の手を取って。引っ張るから殿下のほうに倒れ込んでしまったのよ! そうしたら! 殿下が!」
だんだんと早口になっていったナディアはそこで言葉を切った。
「殿下が?」
セリーナが促すと、ナディアは自分の唇に指先を当てて、真っ赤になった。
「まあ! キス?」
「キスされたのですか?!」
と歓声を上げたのはセリーナとリリアン。元平民のキャシーはひとりでこっそり「なんだ、キスだけか。びっくりした」とつぶやいていた。
ナディアは小さくうなずいて、「ねえ、どうしたらいいの?」と聞いた。
「え、どうしたらって?」
「殿下の顔が恥ずかしくて見れないわ」
「昨日はどうしたの?」
「逃げようとしたけど、手を離してもらえなくて、そのままお茶を飲んで……」
「飲んで?」
「時間になったから、帰宅したわ」
これ以上何かあるのかとドキドキしたけれど、何もなかったようだ。
セリーナはナディアに尋ねる。
「ええと、ナディアは嫌じゃないのよね? 無理矢理じゃなかったんでしょ?」
「ええ、そう……」
グレゴリーに恋愛感情はないと言っていたナディアだけれど、気持ちに変化があったのだろうか。
「嫌じゃないならいいじゃない。普通にしていたら?」
セリーナが簡単に答えると、ナディアは「それができないから困っているのよ」と訴えた。
(殿下の先ほどのお顔だと、ナディアが嫌がっていないのはわかってらっしゃるわよね)
「恥ずかしいって、正直に伝えたら? あんまり逃げると殿下も気にされると思うわよ」
「そうよね……。うぅ、がんばってみるわ」
そこでリリアンがセリーナに聞いた。
「セリーナ様はどんな感じだったんですか?」
「え? 私?」
「アリスター様とキスされたときですよ」
「ああ、私も参考に聞きたいわ」
三人から期待の目を向けられて、セリーナはきっぱりと首を振る。
「私たちはまだよ」
その瞬間、個室に「えーっ!」という叫びが響いたのだった。
「そんなに驚くことかしら?」
ぶつぶつつぶやきながら、セリーナは個室を出た。
ナディアは「あなたたちの普段の様子を知っていたら驚くのは当たり前よ」と、セリーナをあしらう。
グレゴリーたちが昼食をとっていた特別室は静かだ。まだ中にいるのか、すでに退室したのかわからない。
皆で階段を降りようとしたところで、後ろから声をかけられた。
「ナディア嬢、セリーナ嬢」
振り返るとコーディだ。
彼はにこやかに――コウダイ皇子の顔ではなく留学生コーディの顔で、近づいてくる。
個室で食事をしていたのだろうか、三人の男子生徒が一緒だった。彼らは、コーディがナディアに話しかけたことに慌てているようだ。
「コーディ様、ごきげんよう」
「キャシー嬢もこんにちは。こちらは……?」
「私の侍女候補のリリアン・エスチュアリー男爵令嬢ですわ。こちらはカイ帝国からの留学生のコーディ様」
ナディアの紹介に、初対面のリリアンが挨拶する。
(リリアン様はコーディ様の素性を知らないから……)
後ろの男子生徒も知らないだろう。発言や態度に注意しないとならない。
それに、彼は魔法使いに興味があるようだから近づかないように、とアリスターから言われている。
コーディはリリアンに礼をして、ナディアに聞いた。
「侍女は指名で決まるのではないのですか?」
「そういうこともありますけれど、本人の希望や適性も確認いたします」
「へぇ、おもしろいですね」
コーディは目を細めた。
(また、この、小馬鹿にする嫌な感じ!)
不快感を顔に出さないように大人しくしていたセリーナに、コーディが顔を向けた。
「おや? 何かがついていますよ……」
コーディは突然、セリーナに手を伸ばした。
「えっ?」
セリーナは驚きの声を上げたけれど、それよりも先にコーディの指がバチッと弾かれた。
(えっ!! 魔法? どうして?)
セリーナに魔法を使った自覚はなかったけれど、コーディを弾いたのは雷魔法だった。
「セリーナ様! 大丈夫ですか?」
キャシーが最初に反応した。彼女は魔法だとわかったはずだ。
「え、ええ。驚きましたわ。……静電気かしら?」
「怖いわね」
ごまかしたセリーナに、魔法だと気づいたらしいナディアも話を合わせてくれ、何も知らないリリアンは心配そうな顔をしている。
ナディアは、そこでやっとコーディを振り返り、
「コーディ様も大丈夫でしたか?」
「ええ……」
「女性に不用意に手を伸ばすとこういうこともありますから、お気をつけくださいね」
「肝に命じます。セリーナ嬢、申し訳ありませんでした」
コーディはセリーナに謝りながら、顔は笑っている。男子生徒からは見えないだろうけれど、こちらにいるリリアンには見えているのに隠すつもりがないのか、コウダイの顔でにやりと笑った。
そのとき、特別室の扉が開いて、グレゴリーたちが出てきた。
こちらに気づいたグレゴリーが「ナディア!」と呼ぶ。
「コーディたちもいたのか。こんなところでどうしたんだ? 次は大講堂だから、間に合わないぞ」
グレゴリーはそう言って、コーディを含めた男子生徒を促した。
「ナディア、また後で」
「はい」
現実的で緊急の要件ができたせいか、グレゴリーに対するナディアの態度が落ち着いたようだ。
男子生徒たちはそれぞれ会釈して去っていき、その場に残ったのはセリーナたち女子生徒とアリスターだった。
「セリーナ、何があったの?」
アリスターは眉を寄せて、セリーナの腕に手を伸ばす。
セリーナは先ほどの雷魔法を思い出して、一歩引いてしまった。
「え?」
セリーナから避けられたアリスターが驚きに目を見開く。
それから、すうっと瞳が暗くなった。
(あっ、これは初対面のころのアリスター様の目だわ! 傷つけてしまったの? 私が?)
はっと気づいたセリーナは、アリスターの腕に自分から抱きついた。
「違います! さっき魔法が勝手に発動してしまって、また同じことになったらアリスター様を攻撃してしまうって心配になったんです!」
セリーナが必死に訴えると、アリスターは「わかったから離して」とセリーナの手を開かせた。
「あの、本当に申し訳ありません。アリスター様……」
「わかってるよ。君の気持ちは疑っていない。ただ、僕が……」
アリスターは言葉を切ると、
「今日は僕は殿下と王宮に寄るから、君は公爵家の馬車で帰ってほしい。送れなくてごめん。魔法の発動については明日聞かせて」
「はい、承知いたしましたわ。お仕事がんばってくださいませ」
アリスターは小さくうなずいてから、踵を返した。
セリーナはそれを見送るしかできなかった。
セリーナの前に立つアリスター。彼は見たことがない黒髪の女性の肩を抱いていた。
「アリスター様? その方は……?」
「ああ、コウダイ殿下に妹皇女を紹介してもらったんだよ」
「え?」
「今まで知らなかったけれど、僕も君と同じで東国風の容姿のほうが好みだったみたいだね」
「え? あの、それはどういうことでしょうか?」
セリーナが恐る恐る尋ねると、アリスターは黒髪の女性をさらに抱き寄せた。
「わからない? 君との婚約を解消して、彼女と婚約するつもり」
「嫌です!」
「君が嫌でも関係ないよ。もう婚約解消は決まったことだからね」
そう言って、アリスターはセリーナに背を向けた。
「アリスター様!」
セリーナは叫んだ。
――と思ったところで、目が覚めた。
(夢? 夢よね? 大丈夫、夢だわ)
何度も瞬きをして状況を確認する。
ひとりで帰宅したセリーナは、自室のソファに寝転がって寝てしまったようだ。
専属メイドのジェマに「夕食までひとりにしてほしい」と頼んだから、その通りにしてくれたらしい。部屋は暗くなっていた。
昼休みにアリスターに背を向けられてから、セリーナはだんだん不安が募ってきた。だからあんな夢を見たんだろう。
(あんな夢……。婚約解消なんて……。でも、私がアリスター様が好みだったように、アリスター様も東国風のお顔が好みだったら……? アリスター様はまだ東国人の女性と面識はないわよね? もしこれから出会ったら……)
セリーナの考えはどんどん悪いほうへ進んでいく。
(婚約解消なんてことになったら……? どうしたらいいの?)
そこまでたどり着いたところで、なんだか身体が重くなったことに気づいた。
「え? 何かしら?」
セリーナは起きあがろうとしたけれど、上体が持ち上がらない。
「どういうことなの?」
そこへタイミング良くジェマがやってきた。
「お嬢様? まあ! 灯りもつけずにどうされたのですか? もう夕食のお時間になりますよ」
灯りを点けたジェマはソファに寝ているセリーナを見つけて、「お嬢様、どこか具合でも悪いのですか?」と駆け寄る。
「ジェマ。起き上がれないのよ」
「ええっ! 大変です! 今すぐにお医者様をお呼びします!」
「待って。たぶん、魔法使いの体質が原因だと思うの。お師匠様を呼んでちょうだい」
浮遊体質が発動したときと魔力が巡る感覚が似ているのだ。
(婚約解消のことを考えたから、気分が沈んで身体も沈んだってことかしら? そんな効果があるなんてお師匠様からは聞いていないけれど……)
セリーナから頼まれたジェマは「おひとりにして大丈夫ですか?」と確認してから、侯爵夫妻のもとへ駆けて行った。
セリーナの魔法の師匠グレタは、すぐにやってきた。――というより、父ウォーレンが迎えをやって連れてきたのだ。
「お師匠様ー! 起き上がれません!」
「あらぁ! これまた珍しいわね! 特殊体質の逆作用じゃないの!」
「逆作用ですか?」
グレタは脈を取る医者のようにセリーナの手首に触れると、魔力を流して何かを確かめたようだ。
「大丈夫。逆作用以外の異常はなさそうよ」
「その逆作用が大変なんですが……」
グレタは後ろで見守っている両親に「アリスターサマを呼んでちょうだい」と頼んだ。ウォーレンはすぐさま執事に命令を出す。
グレタはセリーナが横たわるソファの正面の席に平然と座ると、
「逆作用っていうのは、読んでそのままよ」
「やっぱり、気持ちが沈んだから身体が重くなったってことですか?」
「そうね」
「お師匠様は逆作用のお話なんて今までしていなかったじゃありませんか?」
「珍しい特殊体質の中でも、逆作用が出た人なんて本当に少ないのよ。記録も片手で足りるくらいしかないわ」
「まあ! それでは、フランク様は激甘なお菓子を食べたときに砂糖を吐いたりしないのですか?」
魔塔の主席フランクは激辛食品で火を噴く特殊体質だ。
「しないわね。あなただけよ」
グレタは腕組みをして、セリーナを見つめた。
「アリスターサマとケンカでもしたの?」
「いいえ。少し行き違いがあって、アリスター様を傷つけてしまったみたいで。……それが気になって、婚約解消される夢を見てしまったんです」
「え、夢で? 夢だけで、沈むほど?」
「夢でも、婚約解消ですよ! 落ち込みます!」
「待って、そこまで! そのことを考えるのはもうやめなさい」
グレタはセリーナを止めて、
「何か別のことを考えなさい」
「別のことですか? あ、そうでしたわ。私、今日、無意識に魔法を発動させてしまったようなのです」
セリーナは、コーディに雷魔法をお見舞いしてしまった話をする。
「ふぅん。あなた、その男のことがよほど苦手なのね」
「えっ。そういう仕組みなのですか?」
「魔法がコントロールできないときは、だいたい感情に引きずられているのが原因よ」
「全く好きになれない方ですけれど、魔法で攻撃したいほど嫌っているわけでもないんですけれど……」
「まあ、触られそうになって驚いたってのもあるんじゃない?」
「そんな適当な」
グレタの言い方にセリーナは口をとがらせる。
「便利な護身術と思っておきなさい。今まで発動したことがないなら、これからも滅多に起きないから大丈夫よ」
あっけらかんとしたグレタの言葉は、確かにセリーナの心を軽くしたのだった。
それから少しして、アリスターが駆けつけてきた。
「セリーナ! 大変なことが起きたって聞いたけど、どうしたの? 何があったの?」
走ってきたらしく肩で息をして、部屋に入ってくる。
アリスターにウォーレンが「セリーナの特殊体質の逆作用らしい」と説明した。
「恋のときめきで浮く。逆に、恋の傷つきで沈む。そういうことらしい」
「では、今は沈んでいるんですか?」
アリスターは驚いた顔でセリーナを見た。
そこで、グレタがにやにや笑って、
「アリスターサマ、セリーナと婚約解消するんだって?」
「はあ? 何言ってるの? しないよ!」
それから、アリスターはウォーレンとベリンダを振り返って、
「しないですよね?」
と確認した。
当然、ふたりとも「しない」とうなずいてくれる。
アリスターはセリーナの前の床に膝をついてしゃがみ、目の高さを合わせる。
「婚約解消なんてしない。君はしたいの?」
「いいえ! 絶対に嫌です!」
「はあ、良かった……」
アリスターは顔を伏せて息を吐いた。
「どうしてそういう話が出てきたの? 今日のことが原因?」
再び顔を上げたアリスターがセリーナに尋ねると、グレタが「ふたりだけで話し合いなさい」と両親を促して部屋を出て行った。
「私、アリスター様を傷つけてしまいましたわ……。申し訳ありません」
「あれは……僕が過剰反応しただけで……」
アリスターは視線をさまよわせると、
「僕のことを知っている高位貴族のA組の生徒はいいんだけれど、C組の生徒の中には留学生だと思って馬鹿にする者もいるんだ。学年問わずね」
「ええっ! まさか!」
「本当だよ。……公爵家の者だって知っているから尊重されているだけで、僕単独ではそんなものなんだなと思ってたところだったんだ。殿下の補佐もして、自分では多少実績ができたつもりでいたから、ちょっとね。タイミングが悪かっただけ」
「魔塔統括のお仕事では、アリスター様の活躍はお師匠様もフランク様も認めてらっしゃいますわ。それに、そもそも留学生だからって馬鹿にすることもおかしいです!」
「まあ、そうだね」
アリスターは、ふっと笑うと「必要に応じて対応しているから、心配しないで」と続けた。
「それで、セリーナはどうして僕を避けたの? 魔法がどうこうって言ってたけれど、もう一度順番に説明して」
セリーナは、その直前にコウダイに触られそうになって雷魔法を発動したから、アリスターにも発動するのではないかと怖くて避けてしまったことを話した。それに付け加えて、グレタいわく「よほど苦手な相手」だから魔法が発動したのだということも。
「だからもう大丈夫です。アリスター様にはいつでも安心して触っていただるとわかったので、今後アリスター様を避けることはありませんわ!」
「言い方を考えて……。でも、わかった。コウダイ殿下には苦情を入れておくから」
「いえ、それは結構ですわ。アリスター様もコウダイ殿下に関わってほしくありません」
セリーナがそう言うと、アリスターは「わかった」と請け負ってくれた。
「それで、婚約解消はどこから繋がるのさ」
「ええと、アリスター様を傷つけてしまったと後悔しながらうたたねをしたら、そういう夢を見てしまって」
「夢?」
「そうですわ。夢です。ひどいんですのよ? アリスター様は東国の黒髪美女を抱き寄せて、『東国風の容姿が好みだったから、君との婚約は解消だ!』とおっしゃって」
「何それ。僕じゃないでしょ」
「夢です。でも、ひどいでしょう?」
否定してくれるアリスターがうれしくて、セリーナは甘えるようにそう繰り返した。
「ひどいのは君のほうじゃない? 夢でも僕はそんなことは言わないよ」
「それでは、アリスター様の好みは西国風の容姿ですか?」
「セリーナが好き。それ以外に好みなんてないよ。君だって東国人なら誰でもいいわけじゃないんでしょ」
「はい! アリスター様だけですわ! アリスター様が好きです」
セリーナが宣言すると、アリスターは少し顔を逸らして、
「じゃあ、この話は終わり」
(アリスター様、また赤くなってらっしゃるわ! かわいい! 好き! 大好きですわ!)
セリーナは目をきらきらさせてアリスターを見つめた。
「ねえ、浮遊体質の逆作用だっけ? それってもう治まってるんじゃない?」
横になったままのセリーナにアリスターが目をすがめた。
そう指摘されて、身体にかかる重さがなくなっていることに気づいた。
(浮遊体質は気持ちが落ち着けばすぐに切れるのに、逆作用は時間がかかるのね……。負の感情のほうが引きずりやすいってことかしら?)
セリーナはふと思いついて、アリスターを見上げる。
「まだ少し逆作用が残っているみたいです。アリスター様が私のお願いを聞いてくださったら、消えると思うのですけれど……」
「お願い? 何?」
「あの、えっと……、キス、してくれませんか?」
きゃ、言っちゃった、とセリーナは頬を染める。
アリスターは「時と場所と体勢を考えて発言してくれない?」と、手で顔を覆った。
「ダメですか?」
「ダメじゃないけど……。逆に、いいの?」
「はい。アリスター様ならいつでも大歓迎です!」
アリスターは再び「だから、言い方!」と手で顔を覆って、セリーナに向き直った。
ソファに片手を置いて、セリーナにかぶさるようにして顔を寄せた。
アリスターの顔が近づいてきて、セリーナは目を閉じる。
ちゅっ、と軽い音を立てて、アリスターの唇がセリーナの額に触れ、すぐに離れた。
「え? おでこ……」
セリーナがつぶやくと、アリスターは顔を赤くして、
「いきなり唇は無理……」
と、自分の口に拳を当てる。
「アリスター様、かわいい! 好きです! 私からしてもいいですか?」
「ダメだって! ちょっと、浮いてる! 浮いてるから! 降りて」
そうやって騒いでいると、グレタが戻ってきて、
「仲直りできたみたいで良かったわね! さあ、侯爵様が用意してくださったごちそうを皆で食べるわよ!」
ぱんぱんっと手を叩いて、場を強引にまとめたのだった。