顔合わせ再び
三日後、セリーナは両親に連れられてフォレスト公爵家を訪問した。
魔法使いとの面会の結果はその日のうちに父ウォーレンが、フォレスト公爵ハワードに伝えていた。そして、ハワードも問題ないと結論を出してくれたため、再度の顔合わせとなった。
セリーナはすでに婚約に乗り気だ。だから、あとはアリスターの気持ちを確認するだけだった。
ラグーン侯爵家の屋敷より立派なフォレスト公爵家の屋敷。落ち着いた調度でまとめられた品のある応接間で、セリーナは緊張して座っていた。
(今日は浮かないようにしないと!)
両親とも話し合って、アリスターをあまり見ないようにしようとセリーナは決めていた。
おかしな子だと思われて嫌われたくはない。
(もう手遅れかもしれないけれど……まだ挽回できるわ!)
さほど待つことはなく、ハワードとアリスターがやってきた。
今日のアリスターは先日と違い、フリルの少ないシンプルなシャツにダークグレーのジレを重ねていた。
(素敵……!)
彼が何を着ていても、セリーナが行きつく感想は変わらない。
「お時間をいただきありがとうございます」
また浮きそうになったけれど、父が挨拶したところで、はっと気づき、セリーナはアリスターから目を逸らして礼をした。
二組の親子が対面に座って、お茶を並べたメイドが執事と共に壁際に下がってから、ウォーレンが口を開いた。
「手紙でお伝えした通り、娘は魔法使いでした。しかし魔力が少ないため、半年ほど修行すれば問題ないとのことでした。魔塔へ所属する必要もないそうで、貴族として生活でき、結婚も自由だそうです」
「ああ、承知している」
「娘はアリスター君との婚約を希望して、……いや熱望しておりまして、我が家としてもアリスター君に婿入りして爵位を継いでもらいたい気持ちは当初から変わりません」
「それは大変ありがたい」
ハワードはわずかに目元をゆるませて、
「こちらとしても、セリーナ嬢との婚約を進めさせてもらいたい」
それからセリーナに顔を向けて「良いかな?」と尋ねた。
「ええ、もちろんですわ! どうぞよろしくお願いいたします」
セリーナは満面の笑みでうなずいた。
そこで今度はウォーレンがアリスターに尋ねる。
「アリスター君も、セリーナとの婚約に異論はないだろうか?」
「はい」
アリスターは微笑んでうなずいた。
(やっぱり目の奥は笑っていないわ……。アリスター様にとっては政略結婚なのよね……)
自分でもわかっている。――セリーナの一目ぼれがおかしいだけなのだ。普通は人となりもよくわからない相手を好きになったりなんてしない。
(これから仲良くなればいいのよ!)
アリスターがセリーナを見たから、セリーナは笑顔を向ける。アリスターも一見友好的な笑顔を向けてくれて……。
(好き……あ! ときめいたらダメよ!)
セリーナはそっとティーカップに目を移した。
浮かばないようにしなくちゃ。
そればかりを考えていたセリーナは、お茶会の間中、アリスターをちらっと見てはそっと目を逸らすのを繰り返していたのだった。
しばらくして「二人で庭でも散歩してきたらどうだ?」とハワードが提案したため、セリーナはアリスターと応接間を出た。
メイドが気を利かせてくれ、庭に出る前にセリーナを化粧室に案内してくれた。
アリスターはそっけなく「先に薔薇園にいる」と言って、踵を返してしまった。
なんとなく前途多難な予感がする。
(いいえ、まだまだこれからよ!)
化粧室を出たセリーナはメイドに案内されて広い公爵邸を進む。サロンと思われる部屋のテラスから庭に出た。
「おや、君がラグーン侯爵令嬢かな?」
セリーナは突然横から声をかけられて、驚きながら振り向いた。
不審人物でないのは、一歩下がって頭を下げたメイドの様子からわかる。
二十代半ばの男性。ハワードと同じ金髪碧眼とくれば、公爵家の長男チャーリーだろう。
(アリスター様のお母様は後妻だから、チャーリー様とは異母兄弟なのよね)
二人の年齢が離れているのもそのせいだ。
「初めてお会いいたします。ラグーン侯爵家のセリーナと申します」
セリーナは丁寧に礼をした。
いずれ義兄になるのだから、初対面の印象は大切だ。
「顔を上げて。私はチャーリー。アリスターの兄だよ」
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」
チャーリーはにこやかな笑顔だけれど、彼もまた目の奥が笑っていない。
セリーナを探るような視線は、弟の婚約者を見極めるためだろうか。
「アリスターと君の婚約は決まったのかな?」
「はい。正式に書類も交わしました!」
この件に関しては、すまし顔もできずに全力の喜びを表してしまうセリーナだった。
勢いに驚いたのか、チャーリーは少し身体をのけぞらせて、
「君は乗り気なのかい?」
「はい! もちろんですわ! 初めてお会いしたときから、アリスター様と婚約したいと思っておりましたの」
「そう……。それで、君は弟のどこが気に入ったの?」
チャーリーの質問にセリーナが「顔です!」と答える前に、「兄上!」と声がかけられた。
庭の向こうのほうからアリスターが走ってくる。
それを見たチャーリーは、「この話はまた今度」と手を振ってセリーナの横を通り抜けた。セリーナが止める間もなく、チャーリーはテラスから室内に入って行ってしまう。
アリスターがセリーナの元に着いたときには、もうチャーリーはサロンからも出て行ってしまっていた。
「アリスター様、遅くなって申し訳ありません」
自分がなかなかやってこないから、ここまで戻って来てくれたのだろうと思って、セリーナは謝った。
「別にいいよ。それより、兄上と何を話していたの?」
「いえ、特にまだ何も。ご挨拶と、あとは私が婚約に乗り気だという話を……」
セリーナは先ほどのことを思い出しながら、頬に手を当てた。
「アリスター様のどこが気に入ったのかと尋ねられて……」
顔だ、と思いながら、セリーナはアリスターをまっすぐに見てしまう。
愛想笑いもないアリスターの表情にセリーナはときめきを覚えて、慌てて視線を逸らした。
「ねぇ……君は本当に僕と結婚したいの?」
「え?」
唸るような声で聞かれ、セリーナは顔を上げた。アリスターはセリーナを睨み、
「君は今日、何度も、そうやって僕から目を逸らしたよね?」
「あの、それは……」
「どうせ僕の顔なんて見たくもないんでしょ? 公爵家との繋がりを僕に期待してるなら、お生憎様。兄も父も僕のことなんて厄介者だと思ってるから、婿入りしたらそこで縁は途切れるよ。大してうまみのない政略結婚だ。無理して嫌々婚約することなんてない。戻って、やっぱり婚約はやめるって言えばいい。書類提出はまだだから、今なら傷も残らない」
アリスターは今までで一番たくさんしゃべって、セリーナの腕を掴んだ。
「ほら、行こう。婚約はやめだ」
「嫌です! やめません! 私はアリスター様と結婚したいんです!」
セリーナは逆の手でアリスターの腕を掴んで、彼を引き留めた。
アリスターは振り返ってため息をつく。
「そういうのはもういいから」
「そういうのって何ですか? 私は、アリスター様が好きなんです」
「好きとか、そういうのだよ。嘘はいらない」
「嘘じゃありません! 好きなんです!」
「僕のどこが?」
「顔です!」
セリーナは大きな声で言い切った。
「は?」
アリスターはぽかんと口を開けてから、ゆっくりと瞬きをした。セリーナは、そんな表情も素敵、とときめく。
「……顔?」
「顔です」
「僕の顔が好きだって言うの? それこそ嘘じゃないか」
「いいえ、本当です! 私は本当に、アリスター様のお顔が好きなんです!」
セリーナは一歩引いたアリスターの腕を逆に捕まえ直すと、
「一重まぶたも、細い眉も、薄い唇も、控え目な鼻筋も! さっぱりとしたアリスター様のお顔がとっても好きなんです」
「……本気?」
「本気ですわ!」
力説すると、アリスターの頬が少しだけ赤くなった。
(伝わったの? 伝わったのよね?)
確かめるようにセリーナが見つめると、アリスターは拳を口元にあてて、
「わかったから。もう離れて」
と、顔を横向けた。
(まあ! アリスター様、照れていらっしゃるの? え、ええー! どうしましょう。かわいい。素敵……)
「好き……」
セリーナが思わずつぶやくと、身体が浮いた。
「あっ! これですわ。これが私がアリスター様から目を逸らした原因です」
「え? わっ。君、浮いているの?」
「そうなんです。先ほどのお茶会では話に出なかったのですけれど、私は、魔法使いの特殊体質のようで、幸せを感じると浮いてしまうらしいのです」
「は?」
ハワードにはウォーレンが事前に伝えていたけれど、彼は息子に話していなかったらしい。アリスターは怪訝な顔で、少し上にあるセリーナの顔を見上げた。
「アリスター様にときめくと浮かんでしまうんです。今日はできるだけ浮かばないようにしたくて、アリスター様を見ないようにしていました。その結果、不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません」
「はあ、そう……。なんだかよくわからないけれど、もういいよ」
「でしたら、婚約は続行でよろしいですわよね?」
「ああ、うん。まあ、そうだね」
アリスターは呆れた顔でうなずく。
(政略でも、婚約は婚約よ)
セリーナは晴れ晴れとした笑顔で、
「ありがとうございます! アリスター様にとっては政略かもしれませんが、仲良くしてくださいね? 私はいずれアリスター様と愛し合う夫婦になりたいのです」
「あ、そう。がんばって」
「はい、がんばります!」
セリーナは両手を握りしめた。
アリスターはそんな彼女を見上げて、
「それで、いつまで浮いているの?」
「えーと、いつまででしょうか?」
「制御できないの?」
「申し訳ありません。アリスター様を好きって思うと浮いてしまうんです」
そこでセリーナは先ほどの言い争いを思い出す。
「あ! これが私の気持ちの証明になりません? アリスター様が好きだから浮くんです。私が浮いているときは、アリスター様のことを思って幸せな気持ちに浸っているときなんですよ?」
セリーナがそう言うと、アリスターは彼女の足元に目をやった。
確かに浮いているのを確認したあと、また横を向く。顔は腕で隠されているけれど、耳が赤い。
「え……かわいい……。やっぱり素敵……。アリスター様、好きです!」
「君はなんでそういうことを言うの? 慎みってものはないわけ?」
「好きなんですから、好きって言ってなにがいけないのですか? 私、遠慮いたしませんわよ!」
「遠慮じゃないよ!」
大きな声を出したアリスターは、「あ、また高くなってる! どうするの?」とセリーナの両腕を引いた。
「えっと、アリスター様のことを考えないようにすれば、落ちるはずですわ」
「落ちるって、大丈夫なの?」
「ええ、安全に落ちることができるように、魔法の修行をする予定です」
「予定? 今は?」
「今はまだ……」
セリーナが言葉を濁すと、アリスターはきゅっと唇を閉じてから、
「僕が受け止めるから」
「アリスター様、素敵!」
「なんで、また上がるのさ! あんまり浮くと、前のときみたいにスカートが……」
「え、スカート!」
その言葉は効果絶大だった。
セリーナの身体はすとんと落ちる。
アリスターの膝くらいの高さまでしか浮かんでいなかったため、彼も難なくセリーナを支えることができた。
足が地面について、セリーナはほっと息をつく。
しかし、アリスターのほうが一層疲れた顔で、大きな息を吐いていたのだった。