アリスターの入学直前
「アリスター様! 学園の制服がよくお似合いですわ!」
セリーナは両手を組んで、アリスターを見つめた。
アリスターの学園入学を三日後に控えて、セリーナは彼の制服姿を堪能するため、フォレスト公爵家に来ている。
入学式でときめいて浮かないように事前に慣れておきたい、とアリスターに頼んだのだ。
公爵家のサロンで、さっそく拳ひとつ分ほど椅子から浮いているセリーナに、同席しているシャロンが苦笑していた。
「ダークグレーのブレザーにアリスター様の黒髪が合わさると、きりりと引き締まって見えますわ。その中でネクタイの臙脂色が鮮やかに映えて、素敵です! アリスター様が身につけると校章のエンブレムも勲章のようですね!」
「……もう座っていい?」
セリーナの賛辞に、アリスターは居心地悪そうに着席する。
「ああっ、私はどうして写真館を予約しておかなかったんでしょう!? 今からでも遅くありませんわよね。入学式のあとで写真を撮りましょう!」
ね? とお願いすると、アリスターは軽く咳払いをしてから、「セリーナも一緒ならいいけど」と了承してくれる。
「セリーナ様、写真館の予約は公爵家で行いますわ。お義父様もチャーリー様も一緒に写りたいでしょうから」
シャロンがそう言って、控えているモース夫人に目配せする。
「まあ! 良いですわね! お義姉様、お願いいたします」
アリスターは呆れたようにため息をついたけれど、反対はしなかった。
「公爵家は皆様揃って入学式を観覧なさいますの?」
「ええ。そのつもりで、今日はチャーリー様は休日出勤なんですよ」
セリーナの質問にシャロンが笑う。
バラバラだったフォレスト公爵家がまとまってきたようで、セリーナもうれしく思う。
アリスターに「良かったですね」と笑顔を向けると、彼は「まあね」とそっぽを向いた。
出会ったときよりも見た目は大人に近づいたアリスターだけれど、こういうところは変わらない。そして、そんなアリスターを見て、かわいいとときめくセリーナも変わらない。
「そういえば、ケントもA組なんだ」
アリスターが思い出したようにそう言った。
「本当ですか? A組は四年間ほとんど入れ替わりがないそうですよ。良かったですね」
「まあね」
「ケントも喜んでいましたわ」
シャロンも微笑んでそう言った。
ケント・グレイシャー伯爵令息はシャロンの弟だ。
セリーナたちがケントやシャロンと知り合ったとき、グレイシャー伯爵家は借金に苦しんでいたが、その原因が計画的な犯罪だったことがわかり、犯人が捕まった今は財政も安定しているそうだ。
ケントが王都に来たときに公爵家に泊まったり、アリスターが伯爵領に遊びに行ったり、ふたりは友人として付き合っている。
「ケント様も生徒会に入るのですか? アリスター様は殿下からお誘いされたのでしょう?」
「うん。ケントは僕から誘ってほしいって言われたよ」
アリスターは魔塔関連の業務で王太子グレゴリーの補佐をしているため、入学前だけれどよく顔を合わせている。
ちなみに、最上級生の生徒に生徒会長を譲ったため、新年度もグレゴリーは副会長だ。また、女子が少ないことを理由に、役職なしだけれどキャシーも昨年度から出入りしている。
「そういえば、お義姉様も生徒会役員をされていたのですよね?」
シャロンは学園卒業と同時に難関の財務部に就職した才女だ。
「ええ。チャーリー様は生徒会長も務められたそうですよ」
キラキラと憧れの目でセリーナに見つめられたシャロンは、自らの夫に矛先を逸らした。
「私の家庭教師がお義兄様と同世代でしたので、聞いたことがありますわ」
チャーリーが壇上で挨拶するときには黄色い声援が上がっていたらしい。
(アリスター様もこのままいけば生徒会長になるわよね……)
セリーナはアリスターが女子生徒に囲まれるところを想像しかけて、頭を振る。
顔を曇らせたセリーナに気づいたアリスターが、
「どうしたの?」
「何でもありませんわ」
「何でもないって顔じゃないでしょ? 僕に話せないこと?」
心配そうな顔をするアリスター。セリーナは彼にそんな顔をさせたくなくて、もやもやした気持ちを説明することにした。
「アリスター様が入学したら、皆がアリスター様の魅力に気づきますよね。アリスター様が評価されるのは良いことです。私もうれしいのです。……でも、そうなったら私だけのアリスター様じゃなくなってしまうようで、少し不安になってしまいました」
アリスターもここ一年は社交の機会が増えた。セリーナが一緒のときもあるし、そうでないときもある。
他の令嬢がアリスターに向けるのは、容姿に対する好奇な視線だけではなく、純粋な好意も多く含まれているような気がしていた。
(アリスター様はあまりわかっていらっしゃらないみたいだけれど……)
セリーナが葛藤を伝えると、アリスターはため息をついた。
「僕はずっと前から、君に対してそう思ってるんだけど、わかってる?」
「え?」
「人前に出して自慢したい。でも、隠して自分のものだけにしておきたい。……そういう気持ち」
「ええっ!」
セリーナは驚きの声を上げる。
一方のアリスターは「今さら驚くの?」と呆れ顔だ。
「独り占めしたいって言ったよね? そういうことだよ」
「あ、はい……。理解いたしましたわ」
セリーナは赤くなる頬を押さえる。
「でも、君も同じように思ってくれるのはうれしい……」
アリスターは小声でそう付け足した。ちらっと見ると彼の顔も赤い。
(やだ、どうしましょう……。アリスター様から目が離せないわ……)
じわじわと幸福感がセリーナを包み込み、ふわふわと足元が浮く。
アリスターを見つめるセリーナに、彼が再度目を向けた。ふたりの目が合って……。
「こほんっ」
シャロンの小さな咳払いが聞こえて、セリーナとアリスターはばっと視線を逸らした。
「ごめんなさいね。私は先に下がらせていただくから、そのあとふたりでゆっくりお話してね」
「いえ、お義姉様……」
「その前に、これだけセリーナ様にお見せしたくて」
シャロンがそう言うと、モース夫人が小箱を持って来た。
受け取ったシャロンがテーブルの上に載せる。桐の箱で深い青色の組紐がかけられていた。
「東国の品ですか?」
「ええ。ルイーズ様の手鏡が戻ってきたのよ」
「まあ!」
シャロンはそっと紐をほどいて、蓋を開ける。中の布を開くと、セリーナに見せてくれた。
セリーナは触らずに、離れたところから箱の中を覗く。
裏面が上になっている手鏡には、赤い漆塗りに螺鈿で植物が描かれている。
鮮やかで奥行のある赤。オーロラのような光沢を放つ螺鈿。丸みのあるかわいらしい葉の植物が彩る、女性らしい意匠だ。
「美しいですね……。これは何の植物ですか?」
「萩だって。低木でピンク色の花を咲かせるみたい」
教えてくれたのはアリスターだ。そう言われてみれば、葉と花が区別できる。
「ほら、前に君も会ったサイ商会の会頭。彼がカイ帝国で見つけてきてくれたんだ」
「まあ! カイ帝国ですか。それは見つからないわけですね」
(お義兄様に頼まれたから私も気にかけてはいたけれど、私の交友範囲では何もできなかったのよね。それに、国内や近隣国のコレクターはとっくに公爵家が調べたでしょうし)
どちらにしても、カイ帝国にあったなら、セリーナでは無理な話だった。
「お義父様もお義兄様もお喜びになったでしょう?」
「ええ、本当に」
シャロンが微笑んで、
「手元に戻った記念に、ルイーズ様のお品を並べた展覧会を開こうかってお話もあるのですよ」
「兄上が盛り上がってるんだ」
「それはいいですわね。私も拝見したいです」
セリーナの父は外交の仕事をしているため東国の小物はよく購入する。けれど、ルイーズの部屋にあった衝立のような大きな調度は買わないので、セリーナも公爵家で初めて見たのだ。
「季節ごとに変えていたという衝立を全て並べたら迫力がありそうですわ」
「ああいうの好きなの? ハツカ国には母上の箪笥や鏡台が残ってるみたいで、国王陛下から欲しかったら送ると言われたんだけど」
「ええっ! いえいえ! ご遠慮いたします! そんな恐れ多いですわ」
セリーナは両手を振って辞退した。
(王女様の家具なんて、絶対に使えないわ!)
「私は見せていただくだけで十分です」
「だったら、見に行こうか。母上は萩の模様が好きだったらしくて、揃いで作らせたんだって」
「素敵ですわね。萩ってこちらにはありませんわよね?」
「そうだね。どうせなら花が咲く時期に行こう」
「ええ。楽しみですわね」
セリーナがにっこり笑うと、アリスターも頬を緩めた。
席を離れるタイミングを見誤ったシャロンが、ひっそりと息をひそめながら、ふたりを微笑ましく見守っていたのだった。




