セリーナとキャシー
放課後、セリーナはナディアと一緒に食堂に向かっていた。
入学してそろそろ二ヶ月。今日は生徒会の仕事もなく、ナディアの王太子妃教育もないため、ふたりでお茶会をしようと食堂の個室を予約していたのだ。
一階の回廊を歩いていると、中庭の東屋でお茶会をしている人たちがいた。
「あら? キャシー様だわ」
セリーナは足を止める。ナディアもそちらに目を向けた。
東屋から少し離れたところにキャシーがひとりで立っている。
「キャシー様、魔法を披露するのかしら?」
茶会でキャシーに魔法を見せてもらった話を何度か聞いたことがある。
「キャシー様がやりたくてやっているならいいのだけれど……」
実際に見るのは初めてだが、キャシーは楽しそうな表情ではない。
「もう少し近づいてみましょう」
ナディアも難しい顔をして、セリーナを促した。
グレゴリーとナディアが和解したあと、グレゴリーとキャシーの噂はなくなった。グレゴリーがキャシーへの聞き取りを終えたのもあるが、ナディアが「殿下は魔塔関連のお仕事でキャシー様とお話していた」と説明するようになったおかげでもある。グレゴリーも同様に説明した。
キャシーの養子の件で、グレゴリーはイヴォンやバレー男爵からも話を聞き、彼らから「優秀な弟子に後ろ盾を与えたかった」と説明を受けたそうだ。
その後、他部署への問い合わせの結果、所在不明になっていた魔法使いは出国していたことが判明した。魔法使いは旅券に明記されるが、魔塔所属でないことや一年ほどの旅行ということで、特に問題とされずに出国したようだ。「部署同士の連携方法を考えないとならないな」とグレゴリーが教えてくれた。
セリーナたちは上位クラスなので、キャシーと授業で一緒になることがない。遠目に見かけた限りでは、同じクラスのコーヴ子爵令嬢のグループと行動を共にしているようだった。
(初対面のときは元気な方って感じだったけれど、最近はそうでもないような……? マナーの授業の成果? 友人と気が合わないとかじゃなければいいんだけれど)
そのコーヴ子爵令嬢エリノアもこの場にいた。彼女たちのグループの茶会らしい。
セリーナたちは、東屋に向かって立つキャシーの横に回り込んだ。
キャシーは風魔法で何かをばら撒いた。花の種だったようで、キャシーの周りに一斉に芽が生え、茎が伸び、色とりどりのスイートピーが咲いた。
「まあ!」
「すごいわね。あれも魔法なの?」
ナディアに聞かれて「土魔法のひとつよ」と答える。
東屋に集まった令嬢たちも歓声を上げた。
「薔薇や百合は出せないの?」
そんな中、エリノアがキャシーに文句をつけた。
「私では種が入手できなくて……、申し訳ありません」
「あらそう。じゃあ仕方ないわね。もういいわよ」
エリノアはそう言って片手を振る。
キャシーが東屋に入ろうとすると、エリノアは「あなたの席はないわよ?」と嘲笑った。
「でも、お茶会だって……」
「あなたの出番はもう終わったのよ。楽しませてくれてありがとう」
キャシーは東屋の手前で立ち止まっている。両手をぎゅっと握りしめて、うつむいた。
セリーナとナディアは顔を見合わせてうなずきあって、早歩きで東屋に向かった。
うつむいていたキャシーがきっと顔をあげてエリノアを見た。
「席がないならもう呼ばないでください」
「はあ?」
不快げに眉を吊り上げたエリノアは、にやりと笑うと、紅茶のカップを手に取る。
「そんなにお茶が飲みたかったの? じゃあ、飲ませてあげるわ」
そう言って、キャシーに向かってカップを投げつけた。
「キャシー様!」
セリーナは声を上げて、魔法を発動させた。
キャシーの前に直径三十センチくらいの土の円盤――大きさや形状からグレタに『お盆みたいね』と言われた土壁だ――が現れて、カップを防いだ。下が土だったため、落ちたカップは割れずに転がる。土壁も放っておくと落ちるので、セリーナはすぐに消した。
エリノアはキャシーが魔法を使ったと思ったのか、「生意気ね!」と声を荒げて立ち上がる。
セリーナとナディアは、淑女教育を無視して駆け寄った。セリーナはキャシーの元に、ナディアは東屋とキャシーの間に立った。
「キャシー様、大丈夫?」
「え? セリーナ様……? 今の……?」
キャシーはぱちぱちと瞬きしてセリーナを見た。彼女の頬に紅茶のしずくが飛んでいるのを見て、セリーナは慌ててハンカチを出す。
「ちょっとかかってしまったみたいですわね。ごめんなさい」
「い、いえ! ありがとうございます」
キャシーの頬を拭って、セリーナは彼女の腕を支えて、東屋に向いた。
東屋にいた令嬢たちは、ナディアの登場に驚いている。
「コーヴ子爵令嬢。あなた、どういうおつもりですの?」
「これは、あの、違うんです! キャシーが勝手に……」
「勝手にカップが飛ぶわけないでしょう……。私たちは見ていたのですよ?」
ナディアがため息をつくと、エリノアは「魔法です! キャシーが魔法でカップを飛ばしたんです!」と叫んだ。
それにはキャシーが反論した。
「そんなの嘘です! 私は魔法は使ってません!」
「魔法ならなんでもできるんでしょう! 嘘つきはキャシーのほうよ!」
キャシーの身体がびくんっと震えた。セリーナは彼女の手をぎゅっと握ると、ナディアに声をかける。
「ナディア。キャシー様は魔法を使っていないわ。コーヴ子爵令嬢のほうが嘘をついているわ」
ナディアはうなずいたけれど、エリノアは認めない。
「ラグーン侯爵令嬢、どうして私を信じてくださらないのですか? 魔法を使ってないなんてキャシーにしかわからないじゃないですか?」
そう言われて、セリーナは一瞬だけ考えた。
(仕方ないわよね。アリスター様にはあとで怒られましょう)
「魔法を使ったかどうか、私にはわかるのですよ」
空いている左手の上に小さな炎を出して、
「私も魔法使いですから」
そう言うと、エリノアは「本当に……?」と真っ青になる。他の令嬢も「魔法だわ」とざわついた。
ナディアは東屋に向き直ると、
「セリーナが魔法使いなのは本当ですわよ。……というより、セリーナの証言がなくても、コーヴ子爵令嬢がカップを投げたのは明白でしたわ。投げる動作をしていたではありませんか? 言い逃れにしても苦しすぎますよ……」
エリノアは崩れるように椅子に座った。
「コーヴ子爵令嬢。キャシー様に謝罪をなさって」
「……申し訳ありません」
うつむいたまま消え入るような小さな声でそう口にしたエリノアに、ナディアが何か言おうとしたが、先にキャシーが「わかりました!」と声を上げた。
「いいのかしら?」
「はい。もうお茶会に呼ばないと約束してくだされば構いません」
「……キャシー様はこうおっしゃっているけれど、コーヴ子爵令嬢、いかがかしら?」
「キャシーは、いえ、バレー男爵令嬢はもうお茶会には呼びません。お約束いたします」
「他の皆様も良いかしら?」
ナディアに聞かれて、集まっていた令嬢たちはそれぞれうなずいた。皆、顔色が悪い。
セリーナは東屋の令嬢たちを見渡し、
「魔法使いが希少なのはご存じでしょう? その中でも力の強い魔法使いが魔塔に所属できます。魔塔の魔法使いは、日照りの続いた農地に水を撒いてくださったり、災害のときに沈静化や救助を担ってくださったり、復興を手伝ってくださったり。大規模な土木工事の補助をしてくださることもありますわよね。皆様の領地でも、魔法使いの派遣を依頼することがあったと思いますわ。コーヴ子爵領も二十年ほど前に水害で魔法使いが派遣されていますわよね?」
修行の合間に魔法使いのことを調べた成果だ。魔塔から複数人の魔法使いが派遣された大規模なものは、いくつか記憶していた。
セリーナに指摘されたエリノアは「知らないわ……」とつぶやいている。
「キャシー様は、私よりもずっと力が強いのですよ。現に、私は魔塔に入らなくていいと言われましたが、キャシー様は学園入学までずっと魔塔で暮らしてらっしゃいました」
東屋の令嬢たちはまたざわついた。
「バレー男爵家の直系のご婦人が魔塔の魔法使いなのです。キャシー様のお師匠様でしたわよね?」
「は、はい。そうです」
セリーナの言葉をキャシーが肯定すると、「師弟の縁で養子に?」「魔塔の魔法使いが養母?」「バレー男爵令嬢は魔塔の魔法使いだったの?」などと令嬢たちは勝手に推察してくれる。
(正確にはキャシー様はまだ魔塔所属ではないですけれどね)
セリーナは特に訂正せずに続ける。
「災害派遣は別ですが、工事補助など領地の都合で魔法使いの派遣を依頼する場合に費用がかかること、皆様はご存じでした?」
「えっ?」
「費用……?」
驚く令嬢たちを横目に、ナディアがくすくすと笑う。
「今日の件は、お茶会の余興に魔塔の魔法使いを派遣していただいた、ということになるのかしら?」
「ええっ!? そんな!」
「私たちはそんなつもりじゃ……」
「エリノア様がバレー男爵令嬢を呼んだんです!」
令嬢が口々に言い出したから、セリーナは微笑んだ。
「キャシー様自ら魔法を披露していた経緯もありますし、これまでのことはなかったことにいたしましょう。キャシー様も魔法使いの派遣についてご存じなかったようですし」
「……はい。すみません……」
キャシーはうなだれた。
セリーナが目配せすると、ナディアが場をまとめる。
「今後はキャシー様にむやみに魔法をねだったりしないようになさってくださいね」
皆がうなずくのを確認してから、
「それでは、皆様、ごきげんよう」
と、セリーナとナディアは挨拶した。
立ち去ろうとくるりと身をひるがえしたナディアが、咲き誇っているスイートピーを見て、
「キャシー様、このお花は戻せるの?」
「あ、はい。すみません。勝手に生やしたら怒られますよね。元に戻します」
キャシーが軽く腕を振ると、スイートピーはみるみる枯れて、崩れて消えた。
(さすがだわ。私だと花は十本くらいが限度なのに……)
花畑が一気に消えてなくなる様子を見た東屋の令嬢たちは、顔を引きつらせていた。
(花が咲くのは綺麗でしょうけれど、枯れるのは恐ろしく感じるのかしら? どちらも同じ魔法なのに……)
植物を成長させる魔法を、花が咲いた時点で止めるか、その先まで進めるかの違いだ。
魔法に恐怖を感じられるのは嫌だけれど、軽く扱われるのも問題だ。ほどよい敬意を持って接してほしいとセリーナは思う。
ナディアはちらりと肩越しに振り返って令嬢たちの顔を確かめて、満足げに微笑んでから、「さあ、行きましょう」とキャシーの腕を取った。
歓迎会のときのように、セリーナとナディアはキャシーを捕まえて、食堂に向かったのだった。
予約していた個室に入り、ひとり分追加して用意してもらう。
「ありがとうございました!」
席につく前に、ぺこんと頭を下げるキャシーに、ナディアは、
「気にしないでちょうだい。……私も、グレゴリー殿下との噂の件で、あなたに面倒かけてしまったから」
「いえ、面倒なんて……」
「立場がわかってらっしゃるのに、あのような目立つことをした殿下の落ち度ですわ」
きっぱりグレゴリーを非難するナディアに、キャシーは居心地悪そうに目線をさまよわせてから、
「あの……、噂みたいなことは何もなくてですね……」
「わかっていますわ。殿下からお聞きしました」
ナディアが言うと、キャシーは「良かったです……」とほっと息をつく。
そこで、セリーナはキャシーのブラウスの衿に紅茶のシミがついているのを見つけた。
「まあ、大変。先ほどの紅茶が飛んでしまっていたのね。キャシー様、こちらに座ってくださいな」
セリーナはキャシーを椅子に座らせて、かがみこんで彼女の衿にハンカチをあてる。
「え、セリーナ様、な、なにを?」
「シミ抜きですよ。私、得意なんです」
キャシーが慌てている間に、シミ抜きは終わった。
「私の魔力はキャシー様よりずっと少ないのですよ。だから、大きな魔法は使えないのです。その代わりに、こういう小さい魔法はたくさん覚えました」
「今の魔法なんですか?」
「ええ。水魔法で水を出して湿らせて、ハンカチ越しに水と一緒に汚れも引き寄せています」
「そんな細かいことができるんですか? 私、繊細な制御ができなくて」
キャシーは首を振った。
「とりあえず座りましょう」
ナディアに促されて、セリーナも席に着く。
給仕は控えていないので、各自紅茶を注いで茶会の開始だ。
(魔力が多いと小さな魔法が使えないってことはないわよね? シミ抜きを教えてくれたのはお師匠様だもの。『すっごい便利よ』って言ってたから自分でも使っているはず)
チーズタルトを一口味わってから、セリーナは、
「キャシー様は魔力操作は苦手なのですか? 身体強化や浮遊魔法は?」
「身体強化? 浮遊魔法? そんな魔法があるんですか?」
「え!? ご存じないのですか?」
「習ってません」
「ええっ? もしかして『魔法理論』シリーズも読んだことがないのでしょうか?」
「何ですか、それ。全然知りません」
セリーナは、自分とキャシーの修行の違いに愕然とする。
(師匠によって修行方法や課程が全く違うのかしら? キャシー様はこれから習う予定ってことなの?)
「キャシー様の修行はもう終わっているのですか?」
「はい、そう言われました」
「まあ……」
セリーナは、どうしたらいいかしら、と悩む。
「私のお師匠様は魔塔次席のグレタ様なのです。キャシー様の修行について、お師匠様に相談いたしますわね」
「はい、ありがとうございます」
そこでナディアがセリーナに尋ねた。
「魔塔に所属できるのって年齢制限があるの?」
「慣例的に、成人してからってことみたいよ。上限はないわね。……体力的な問題や女性の出産育児などは、相談すれば個別に考慮してくださるみたいね」
グレタから聞いた過去の魔法使いの駆け落ち騒動を考えると、魔法使いが希望すればかなりの確率でそれが通る気がする。
セリーナの言葉を聞いたナディアは、
「それなら、キャシー様はすぐに魔塔の所属になったほうが良いと思うわ」
「そうね。魔法を見せてくれって言われても、魔塔の所属だから勝手に使えないって言って断ることができるわよね」
「その場合、学園はやめないとならないでしょうか? 私、魔塔に入ったら、先生――イヴォン様のメイドになることになっているんです」
キャシーがそう言うから、セリーナは首を傾げた。
「魔塔の魔法使いがなぜメイドに? イヴォン様よりキャシー様のほうが魔力が多いそうなので、席次が上になるはずですわよ」
「そもそも、今はキャシー様は養子でしょう? 子どもをメイドにするかしら」
「でも、ずっとそう言われていたので……」
責められているように感じたのか、キャシーはうつむいてしまう。
「ああ、ごめんなさい。あなたが悪いって言っているわけではありませんわ。この件もお師匠様に相談いたしますね」
「はい、お手数おかけします」
「気にしないでくださいな。私も魔法使いなので、他人事ではありません」
セリーナが微笑むと、キャシーは再度頭を下げた。
「それで、キャシー様は魔塔の所属になったんですよ」
後日、セリーナはふたりきりの茶会でアリスターに話した。
セリーナがグレタに伝えた結果、キャシーは成人を待たずに魔塔の魔法使いになった。
「キャシー様の席次は十二番目だそうです」
「へー」
隣に座るアリスターは興味がなさそうに相槌を打つ。
キャシーは魔塔に個室を得たため、イヴォンの部屋を出ることになった。
キャシーをメイドにしないことは、魔塔主席のフランクから通達してもらい、イヴォンも受け入れたらしい。養子は継続で、キャシーは引き続き学園に通うことになる。
また、魔塔の研修と称して、グレタが再修行してくれている。
「イヴォン様は全然良い師匠ではなかったみたいですわ」
グレタの修行を受けたキャシーが、「初めて魔力が身体を巡る感覚が掴めました」と報告してくれたから、セリーナは驚いた。
キャシーは魔力が多かったから、セリーナのように操作しなくても、溢れる魔力で魔法が使えていたのだそうだ。
(これで繊細な魔法も使えるようになるわね)
「修行の課程が統一されていないことが問題なのですよね。魔法使い同士で交流がないのも気になりますし……。登録した魔法使いの所在管理の件も含めて、魔塔の仕組みは改善すべきだと思います」
セリーナが拳を握ると、アリスターは片眉を上げた。
「君がやるつもりなの? 王太子殿下が担当なんでしょ?」
「ナディアの話を聞いていると、殿下は他にもいろいろ担当されているようなので、ある程度こちらでまとめてからお話した方がいいかなと思っているんです」
「そうなんだ……」
アリスターは少し考えてから、
「セリーナ、この件、僕から殿下に話してもいい? もちろん君の提案だってことは伝えるけれど、殿下とのやりとりを僕に任せてほしいんだ。……ほら、僕は今まで殿下と繋がりがほとんどなかったでしょ? だから、これを機に親しくなれないかなって思ってさ」
「まあ、それはいいですわね!」
セリーナは手を叩いて喜んだ。セリーナはナディアと親友なので、アリスターが殿下と仲良くなるのは大歓迎だった。
それに、ずっと屋敷に籠っていたアリスターが外に出て何かしたいと言うなら、セリーナは当然応援する。
「それでは、殿下とのやりとりはアリスター様にお任せいたしますわ」
「ありがとう。セリーナの協力が必要なときは僕から伝えるから、そのときはよろしくね」
「ええ! もちろんですわ!」
アリスターに頼られて、セリーナは少し浮いた。
さっそくその場で現状の問題点などをアリスターとまとめた。
(アリスター様と一緒にお仕事! これは、結婚後の領地経営の予行練習かしら?)
アリスターと一緒に一枚の書類を覗き込むセリーナは、ずっと少しだけ浮いたままだった。




