魔塔の魔法使い
魔塔は王宮の敷地の隅にある魔法使いの塔だ。
建国時代は国民の一割くらいは魔法が使えたけれど、今では国全体で百人ほどしか魔法使いはいない。その中でも特に力が強い者が魔塔に所属していた。
フォレスト公爵の提案にのって父が問い合わせると、さっそく魔塔の魔法使いがセリーナを訪ねてやってきた。
「あら?」
三十半ばに見える女魔法使いは、応接間に入ってきたセリーナを見るなり、ソファから立ち上がり白いローブの裾をひるがえして駆け寄ってくる。
「へー。これはこれは。なるほどねぇ」
セリーナの周りをぐるぐる回って全身を見るから居心地が悪く、セリーナは助けを求めるように父ウォーレンを見た。
それを受け取ったウォーレンは、ごほんっと咳払いをすると、
「リッジ殿。紹介させてくれ」
「ああ、そうね。失礼したわ」
魔法使いはセリーナから数歩下がる。
「娘のセリーナだ」
「セリーナと申します」
カーテシーをするセリーナに、魔法使いは「グレタ・リッジよ。魔塔の次席に就いているわ」と名乗った。
「宙に浮かんだって、本当なの?」
「はい、そうです」
「へー、なるほどねぇ。これはおもしろいわね」
先ほどと同じようにつぶやいて、グレタは赤い唇で弧を描く。その細められた目に、セリーナは悲鳴を呑み込んだ。
(怖っ! 私、魔法の実験台にされてしまうのかも!)
見兼ねたウォーレンがまた口を挟んでくれた。
「すまない、リッジ殿。娘をあまり怖がらせないでくれないか」
「怖がらせるつもりなんてないわ。勝手に怖がったのはお嬢さんよ」
グレタはふんっと鼻を鳴らす。
魔塔で席を持つ魔法使いは貴族扱いになるが、それでも、貴族の中では上から数えたほうが早いラグーン侯爵に対する不遜な態度に驚く。
(魔法使いは希少だから? それともグレタ様の性格かしら?)
どうも後者な気がするセリーナだった。
それからウォーレンに促され、再度ソファに座ったグレタの前に、両親に挟まれてセリーナは座る。
「結論から言うと、セリーナは魔法使いよ」
「えっ?」
「娘が魔法使いですか?」
驚くラグーン侯爵家の面々に、グレタはうなずいてローブの中から小さな布包みを取り出した。布を開くと中には小さな水晶玉があった。
「セリーナ、手を出しなさい」
「はい」
命令され、セリーナが素直に手を差し出すと、グレタは布から転がすようにして水晶玉を乗せた。
クルミの実くらいの大きさの水晶玉は、セリーナの手の上でほんのりと光った。
「光ったわ!」
「魔力があると光るのよ」
「私に魔力があるんですか?」
「セリーナのかわいさはただ事ではないと思っていたが魔法使いだったなんて!」
「そうね、やっぱりセリーナは違うのね。すごいわ、セリーナ」
一人娘を溺愛する両親は、セリーナが何をやってもとりあえずほめてくれる。――ちなみに、セリーナの容姿は十人並みだ。
「うーん、セリーナはそれほど力は強くないわね」
そう言ったグレタが水晶玉を持つと、セリーナの比ではないくらい眩しく光った。
「魔力が多ければ、このくらい光るわ」
グレタが水晶玉を布に包むと、すぐに光は収まる。
「魔力の多少に関係なく、素質があるものは魔法使いの登録と修行が義務付けられているのは知っているわよね?」
「ええ」
「それでは、セリーナも……?」
うなずくウォーレンと、心配そうに尋ねるベリンダ。
グレタは両親とセリーナの顔を順に見渡し、
「修行といっても通いで構わないわ。特別に私が弟子にしてあげるから、感謝しなさい」
「ひっ、やっぱり実験台ですかっ!?」
今度こそ悲鳴あげるセリーナを、グレタは「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい」と睨む。
「弟子って言ってるでしょ? 魔法を教えてあげるだけよ」
全く誰も彼も、ちょっと歳より下に見えるからって人を化け物みたいに怖がって、……まぁ確かに美容の研究は力を入れているけど……、などなど、グレタはぶつぶつ文句を言う。
それを遮ったのはベリンダだった。
「修行はどれくらい時間がかかりますでしょうか? 娘は来年の春から王立学園に通うのですが、間に合いますか?」
「ああ、貴族がみんな通うっていう学校ね? そうねぇ。セリーナは魔法使いを生業にできるほどの魔力はないから、初級魔法を一通り使えるようになれたら終わりでいいわ。週三回通いで、半年くらいかしら。そのあとは月一でいいわよ。もちろん来たかったらいつでもくればいいし、何なら就職もできるわよ」
「いいえ! 私はアリスター様と結婚しますので、魔塔はご遠慮させてくださいませ」
セリーナがきっぱり言うと、両親は苦笑した。
顔合わせ以降、セリーナはことあるごとにアリスターと結婚したいと主張していたから、「また、この子は……」と思ったのだろう。
(だって、欲しいものは欲しいって言わなくちゃ)
黙って一人で努力するより、周りに話して協力してもらうほうが確実だ。
一人娘に甘い父だからセリーナの希望を優先してくれるが、貴族の婚姻は家同士の繋がりもあり、娘が好きだと言ったからだけで押し通せるものではない。友人たちの中には親の命令で婚約者が決まっている令嬢もいる。
「魔塔に就職したって結婚はできるわよ?」
首をかしげるグレタに、
「でも、お相手は好きに選べないのではないですか?」
「えっ? あ! 二十年前のあれね……まだ世間では忘れられていないのね……」
グレタは少し遠い目をすると、
「あれは、当時の第五席の魔法使いが身分差のある恋人との結婚を反対されてね。彼、恋人と結婚できないなら国外に駆け落ちするって言ったのよ。それで、国に残ってほしい上層部の人たちが王命を出すからなんとか、って」
「まあ、そんなことが……」
「逆に、あなたがどうしてもその恋人と結婚したいなら、魔塔は協力するわよ」
「きゃ、恋人なんて! そんな! まだ一度しかお会いしてないのに!」
セリーナは両手で頬を押さえて身悶えした。
「んん? 恋人じゃないの?」
「婚約者候補ですわ。でも、絶対婚約したいのです! 政略上の関係ではなく、愛し愛される夫婦を目指しています!」
「あ、そう」
さすがのグレタもセリーナの勢いには驚いたようで、引いている。
「アリスター様は素敵な方なのですよ? 全体的にすっきりしたお顔で、髪は黒真珠のように艶やかな黒。目元は涼やかで……」
アリスターの容貌をさらに語ろうとしたところ、セリーナの身体がソファから浮き上がった。
「セリーナ!」
「また浮いているわ!」
すぐに気づいた両親が、両側から押さえる。
アリスターとの顔合わせのあとにもセリーナは何度か浮いている。そのどれもが彼のことを思い出しているときだった。幸いそれほど高く浮かなかったため、落ちても問題なかった。
セリーナは自分が浮いていることに気づき、アリスター語りをやめる。すると、すとんと座面に落ちた。
セリーナも両親も、ほっと安心のため息をつく。
「とまあ、こんな感じで……。娘が婚約者候補の令息のことを考えると浮かんでしまうのです」
ウォーレンが両手を広げて肩をすくめた。
グレタは「確かに浮いたわね!」と目を輝かせた。
「まあ、珍しい! 私も初めて見るわよ!」
グレタはテーブル越しにセリーナの両手を握ると、「ほら、もう一度、浮いてみなさい」と無理を言う。
「そんな、突然おっしゃられても……」
「ええと、なんだったかしら? ア……、アー……? アーノルド?」
「アリスター様です!」
「そう、そのアリスターサマ。どこが好きなの?」
「お顔ですわ!」
「え、顔? へー、顔……。具体的には?」
一瞬戸惑ったグレタだが、すぐに気を取り直し、セリーナに尋ねる。聞かれたセリーナは嬉々としてアリスターの素敵な容姿を語り出した。
「象牙色の温かみのある色合いの肌に、黒真珠のような艶やかな黒髪! ……これは先ほどお伝えしたかしら? それから……。眉、目、鼻、口、全てのパーツが控え目でさりげなく、でもとてもバランスよく並んでいらっしゃるのです! 切れ長の一重まぶたの目が私を見るときに、わずかに不審感をにじませるのです。それがもう素敵で!」
セリフの途中でセリーナはソファから浮いた。グレタが目配せしたため、ウォーレンとベリンダは娘に手を出さずに見守る。グレタが手をつないでいるおかげか、セリーナは拳一つ分ほど浮くだけで留まった。
「私、あれほどまでに心がときめいたことはありませんでしたわ! もう一生に一度の恋だと思いますの!」
「はい、そこまで!」
グレタがセリーナの話を大きな声で遮る。
「え、まだまだアリスター様の魅力をお伝えしきれていないのですが」
「もういいわ。十分よ」
「ええー」
口をとがらせるセリーナはすとんとソファに落ちた。話に夢中で浮いていたことにも気づかなかった。
セリーナから手を離したグレタは考えるように、緑に染めた爪で唇をなぞる。
「やっぱり、セリーナは浮遊体質ね」
「浮遊体質?」
ウォーレンが代表して、聞き返した。
「魔法使いには特殊な体質の者がいるの。体質は魔力の多さとは関係ないわ。浮遊体質は、何かのきっかけで身体の比重が軽くなって浮く体質よ。記録によれば、引き金は幸福感って人が多いわね」
「幸福感、ですか?」
セリーナが繰り返すと、グレタは人差し指を立てて「ほら」と振る。
「天にも昇る心地って言うでしょ?」
「ええ、言いますけれど、あれは比喩表現ですわよね?」
「普通はね。でも、あなた、どうなの? アリスターサマのことを考えると」
「天にも昇る心地ですわ」
グレタの言葉にかぶせて、セリーナは身を乗り出した。
「幸せを感じることは他にもありますが、アリスター様以外では浮かないのですけれど……。それだけアリスター様から得られる幸福感が高いということでしょうか?」
「あなた、なんだか表現がおかしいわね。まあいいけれど」
残念なものを見る目をセリーナに向けたグレタは、
「幸福感の高さなのかもしれないし、恋愛感情が引き金なのかもしれない。そのあたりは今後見極めていくしかないわね」
「そうなのですか……」
(魔塔の魔法使いだからって、ずばっと解決してもらえるわけではないのね)
セリーナのがっかり感が伝わったのか、グレタは言葉を重ねる。
「仕方ないでしょ。引き金は人それぞれなんだから。それに、魔法使いも減ったから、特殊体質も減ったのよ。今の特殊体質持ちはこの国では一人だけよ。辛いものを食べると火を噴いてしまうっていう特殊体質」
「まあ、火を? それは大変ですわね」
自分は浮かぶだけで良かった、とセリーナは会ったこともない特殊体質仲間に同情した。
「噴火体質も、昔はピリ辛の辛さでも引き金になったみたいだけれど、今の体質持ちは激辛以上じゃないと火を噴かないそうよ」
「まあ……。それは大変? なのかしら?」
セリーナは首をかしげたが、グレタは「激辛好きだから苦労しているわ」と目を伏せた。
それにしても、魔法使いの特殊体質は迷惑なものばかりなんだろうか。
(私は魔力も少ないようだし、なんだか微妙ね……)
「特殊体質は治るのでしょうか?」
ベリンダがグレタに尋ねたけれど、彼女は首を振った。
「治らないわね。できるだけ浮かないようにするしかないわ」
「え! アリスター様と結婚できないのは嫌です!」
セリーナが声を上げると、グレタは「結婚するなとは言っていないわよ」と顔をしかめた。
「でも、アリスター様のことを思わないなんて無理ですし、幸福を感じないようにはできません」
「ああ、ああ、はいはい。だったら、浮かんでも安全に落ちてこれるように、浮遊魔法を特訓しなさい」
「はい! そうしますわ! アリスター様と結婚するためなら何でも耐えられます」
セリーナは両手を握りしめて宣言する。
彼女のアリスター愛に負けないくらいセリーナを愛している両親は、「セリーナは頑張り屋さんだね」「セリーナならすぐに飛べるようになるわ」と娘を応援するだけだ。
そんなラグーン侯爵一家を呆れた目で見たグレタは、
「それじゃ、来週から魔塔に来てちょうだい」
と、雑にまとめてさっさと帰って行ったのだった。