ふたつの密談
サイ商会の会頭、崔は外務部の応接室でウォーレン・ラグーン侯爵と面会していた。
手土産に持参した檜帝国のティーセットを出す。西方諸国で一般的な形の茶器に、東国風の絵付けをするのが最新の流行だ。
「へぇ、綺麗だね」
「どうぞお納めください。まだこちらでは数が出回っておりませんから、茶会で使用すれば話題になりましょう」
「ああ、そうだね。でも、もらうわけにはいかないから、個人的に買うよ」
そう言って、ウォーレンは茶器を箱に戻した。
「ありがとうございます」
これで商談成立だ。
崔とウォーレンはもう十五年ほどの付き合いになる。
「長くこちらにおりましたが、一度国に帰ろうかと思います」
「おや、店を閉めるのかい?」
「いいえ、わたくしが不在の間、店は部下に任せますので、何かあれば遠慮なくお申し付けください」
「そうか、それなら良かった。君のところは頼りになるからね」
そうして取引するのは、商品の輸入雑貨ではなく、東方諸国関連の情報だ。
「国というのはどちらのほうかな?」
崔の事情を全て知っているウォーレンが尋ねた。
「ハツカ国ですよ」
「そうか、では、私から陛下への手紙を頼んでもいいだろうか」
「ええ、もちろんでございます」
崔は元々ハツカ国の生まれだ。
末の姫ルイーズ――瑠璃の耳目になるために教育された。
ユーカリプタス王国でフォレスト公爵ハワードに出会うまで、瑠璃の嫁ぎ先の最有力が檜帝国の後宮だったため、崔は先行して帝国に店を構えたのだ。
(それが、突然、西の国だからなぁ)
あのときは本当に驚いた。長年準備してきたのにどうしてくれるんだという気持ち、瑠璃姫に恋が訪れたことを祝う気持ち、それが遠い国であるための心配、と複雑な思いになったものだ。
サイ商会は帝国所属のまま西に手を広げ、ハツカ国にとっても良い結果になった。瑠璃の情熱は強く、遠国に嫁ぐ心配は杞憂に終わった。
早世は悲しいことだが、近くで見ていた崔もハツカ国の王族も、瑠璃は恋に全力を尽くした、と納得している。
――ハツカ国は大陸東岸を占める檜帝国の沖合にある小さな島国だ。どこからも攻め落とされないのは、周辺国に王族が嫁入り婿入りしているからで、その全てが政略ではなく恋愛結婚だった。つまり、代々の王族が皆、瑠璃のような王子や姫ばかりなのだ。
周辺国や檜帝国の属国のほとんどに兄姉がおり、残りは檜帝国の帝室くらいだった。瑠璃は兄姉のどたばたを見てきたせいか結婚に冷めていて、公務で何度か会ったことがある帝国の皇子を「出会いがなければ彼でもいい」と言っていた。ところが、初の西方訪問で運命に出会ったというわけだ。
(帝国に姫の縁談打診をする前だったけれど、状況的に考えたら「次はうちだろう」って想定していたよな……)
瑠璃の結婚に帝国から祝いの言葉が届いたけれど、若干の嫌味混じりだったとか。
ウォーレンは、瑠璃が嫁いできた当時、外務部に入って数年の若手だった。だが、崔は彼なら出世すると踏んで、ウォーレンに近づいた。崔の目は確かで、彼は今では東方諸国との外交のトップだ。
崔との情報のやり取りは、私的ではあるが、ほとんど公式と変わらない。崔に指示を出しているのはハツカ国の国王で、ウォーレンも同じく国の方針で流す情報を選んでいる。
「アリスター様と繋がりができたことを陛下はたいそう喜んでおられました。ありがとうございます」
「いや、アリスター君から頼まれたことだからね。私の力ではないよ」
「いいえ。アリスター様がそうされたのは、お嬢様のおかげですから。良いご縁をいただきました」
「ふふ、セリーナは良い子だろう?」
ウォーレンが一人娘を目に入れても痛くないと思っているのは、崔も知っている。
侯爵夫人と令嬢に会ったのは、チャーリーから依頼された先日が初めてだったが、話はウォーレンから何度も聞いていた。――ちなみに、チャーリーは崔のことを「ルイーズと懇意にしていた商会」と認識しており、ハツカ国の者であることは知らない。
「崔殿はいつまでハツカ国に? 何年も戻らないのか?」
国王への手紙をその場で書き上げたウォーレンが尋ねる。
「いえ、チャーリー様の婚礼までには戻りますよ。祝いの品をハツカ国で用意しているそうで、私は運び人です」
「ああ、なるほど」
手紙を受け取りながら、ついでのように崔は大事な情報を口にする。
「そういえば、漆塗りの手鏡が見つかったんですよ」
「おお! それは良かった。チャーリー殿が喜んだだろう?」
「いいえ、フォレスト公爵家には伝えておりません」
崔が首を振ると、ウォーレンは眉をひそめた。
「なぜ?」
「帝国の浩大皇子の元にあるのです」
「第三皇子か……。どういう伝手かな。うちとの外交は皇帝の配下が仕切っているはずだが……」
「私も商会の本店に一度立ち寄るつもりですので、また何かあればご連絡します」
商会の本店――帝国で探りをいれる、と崔は言った。
「チャーリー様の祝いに手鏡もお持ちしたかったんですが、難しいでしょうね」
「無理はしないように」
「ええ、もちろんです」
固い握手を交わし、崔はウォーレンの前を辞した。
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同じころ、檜帝国の帝都のとある宿にて。
第三皇子の浩大は、秘密裡に一人の男と会っていた。
男の名は檀。浩大の密偵で、主に西方諸国の担当だ。
帝国の皇帝は一夫多妻。後宮に妻が何人もおり、皇子皇女も多い。次代は、母の実家が強い第一皇子と第二皇子が争っていた。浩大の母の実家は下級役人のため、歯牙にもかけられていない。放蕩皇子を装ってのらりくらりと生きている――つもりだが、放蕩は元来の性質かもしれないと自分でも最近思う。
「西は近頃どうだ? おもしろいことがあったか?」
「マンダリン王国で数年のうちに代替わりがありそうです」
「へぇ。あそこの国王はもうそれなりの年だったな……順当な譲位ってことか」
「はい。特に問題があるわけではありません」
「なるほどね」
おもしろくないならどうでもいいか、と浩大は興味を失う。
「それから、あの鏡の来歴がわかりました」
檀からそう言われて、浩大は身を乗り出した。
「何だと?」
一年ほど前に、「風変わりな品を好む殿下に」と言って西方から来た商人が献上した品だった。
赤い漆塗りの手鏡。裏に螺鈿で萩の花が描かれている。
ハツカ国の品だと浩大は思ったが、商人が言うには、「西国の貴族婦人が夜な夜な現れて恨み言を言う鏡」だそうだ。
使用人に数日見張らせたが、貴族婦人は現れなかった。
「西国の婦人は幽鬼になっても東国には来ないのでしょう」
近しい従者がそう言うのに、浩大も笑った。
ただ、手鏡自体は気になった。
かなり高級な品だと思う。ハツカ国の高貴な女性で萩の絵柄を愛用していたのは、現王の末妹の瑠璃姫だと聞いたことがある。そして、彼女は西のユーカリプタス王国に嫁いだ。
話のついでに檀に鏡を見せ、余裕があったら調べるように言っておいたのだ。
政治や経済の話よりもよほど前のめりな浩大を見ても、檀は全く表情を変えず、報告を続ける。
「殿下のご慧眼の通り、瑠璃姫の持ち物だったようです」
瑠璃姫は嫁いで五年ほどで亡くなったが、その家で盗難事件があり、姫の所縁の品が売り払われてしまった。大部分は取り戻したが、一部は依然不明なまま。
「それが、あの鏡ってことか?」
「そのようです」
檀が言うには、瑠璃姫の婚家は手鏡を探しているらしい。
「返せば恩を売れるだろうか」
「おそらくは。……ですが、盗人の家を脅すほうがおもしろいかもしれませんね」
「へぇ?」
無表情でとんでもないことを提案する檀を浩大は気に入っている。
聞けば、婚家の長男の婚約者が盗みを働いたのだそうだ。彼女は修道院送りになり、一生出てくることはない。
「鏡に映って恨み言を言う婦人が、その盗人なのでしょう」
「なるほどねぇ」
檀の言葉に浩大は納得した。恨んで生霊になる話など檜帝国には山ほどある。
「そういえば、その瑠璃姫の御子が婚約したそうですが、相手の息女が魔法使いだとか……」
「魔法使い?」
聞きなれない言葉に浩大は首をかしげる。
「西方諸国でまれに生まれる、不可思議な現象を起こす力がある者です。おそらく妖術の類でしょう」
「へぇ、妖術使いか。帝国でも今はあまりいないのに」
見てみたいな、と浩大はつぶやく。
その言葉の意味を正確に受け取った檀は「その息女は無理ですね」と一刀両断した。
「かなり高貴な生まれですから、私ではとても近づけません。逆に、殿下が公式訪問したら確実にお会いできるでしょうが」
「そんな面倒なことをするほどの、興味はない。別にその女じゃなくても構わん。俺が見てみたいのはその女じゃなくて、西方の妖術使いだ。妖術は高貴な者にしか使えないわけじゃないんだろ?」
「高貴な方のほうが珍しいようです」
檀の答えに浩大はにやりと笑う。
「なにも攫って来いってわけじゃない。異国の奇術師を招待して、技を披露してもらいたいだけだ」




