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この世で一番軽い恋  作者: 神田柊子
第三章 公爵家を制覇せよ

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王妃のお茶会

 本格的な夏を前に、王宮で王妃主催の茶会が開かれた。

 前回は冬で、その茶会の直後にクリフ侯爵令嬢ナディアが王太子の婚約者に決まったのだった。

 名目はデビュー前の子女の交流会だが、実質は王太子の側近候補や妃候補の選定会だ。

(だから、気が抜けなかったのよね)

 側近候補はともかく、王太子の婚約者は決まったから、ほっとしている令嬢も多いだろう。

 セリーナ以外にも、婚約者が決まった令嬢が多いと聞いている。

 王太子は今年の春から学園に通っているから、側近はそちらで探せばいい。王妃の茶会も今回が最後になるかもしれない。

 そんな予測もあり、セリーナはアリスターを茶会に誘った。

 今までもアリスターに招待状は届いていたが、付き添ってくれる者がいなかったため、参加したことがなかったそうだ。

 そもそも、初めて他家に赴いたのが、顔合わせの際のラグーン侯爵家だというから驚く。

 フォレスト公爵には物申したいセリーナだった。

(いいわよ、いいわよ。アリスター様の初めては私が全部見届けて差し上げるんだから! 初めての茶会、初めての晩餐会、初めての舞踏会……、楽しみだわ!)

 今日はアリスターの初めての「王妃の茶会」だ。

 茶会には何度も参加しているセリーナだけれど、アリスターのエスコートは初めてだ。

 当然、アリスターの初めてのエスコート相手はセリーナである。

 初めてづくしに先ほどから何度も浮きそうになって、付き添いの母ベリンダが後ろから扇でつついて注意してくれている。

 席は自由だ。少し遅れてしまったため、まとまって空いているテーブルがほとんどない。

 一番多くの人が集まっているテーブルを見ると、中心にはナディアがいた。アリスターを紹介したかったのだけれど、彼女は今日は忙しくて無理かもしれない。

 セリーナに気づいたナディアは、左手の小指を立て、前髪を摘んで整えた。――ふたりの間で決めたハンドサインで、退屈やうんざり、最悪など、負の感情を表している。

 セリーナは右手で耳に触れる。――こちらは、うれしい、楽しい、最高など、正の感情を表している。

 つまり、ナディアは人に囲まれて最悪な気分で、セリーナはアリスターと一緒で最高な気分、というわけだ。

 茶会に参加し始めた十歳のころに作ったハンドサインだ。細かいことは伝わらなくても、雰囲気がわかれば良いし、こういう遊びがないとふたりとも社交なんてやっていられなかった。

 ナディアはちらりとアリスターに目をやった。アリスターと一緒に参加することは手紙で伝えていたから、わかるだろう。

「誰? 何、今の? もしかして何かの合図?」

 アリスターがセリーナに尋ねた。

「クリフ侯爵家のナディアですわ。幼馴染ですの」

「ああ、王太子殿下の婚約者?」

「ええ、後で時間があればご紹介いたしますね」

「で、何の合図なの?」

 アリスターは見逃してはくれなかった。

「……よく合図だとわかりましたね。今まで指摘されたことはないのですけど……。あれはふたりで決めたハンドサインですわ。意味は秘密です」

「秘密? 僕にも教えられないわけ? 僕とのサインも作る?」

 アリスターが真剣に言うから、セリーナはくすりと笑う。

「私たちの間にはもうサインがあるじゃないですか。――私が浮いたら、アリスター様を好きってことですからね」

 後半をささやくように言うと、アリスターは顔を赤くした。

「君は! また、こんなところでそういうことを……」

(照れているアリスター様、久しぶりだわ! かわいい……!)

 そこでセリーナは後ろからつつかれた。

「セリーナ、少し浮きかけていますわよ」

「あら、お母様。申し訳ありません。気をつけますわ」

 セリーナはすまし顔でごまかした。

「アリスター様も、控えてくださいね」

 ついでに注意されたアリスターは「え、僕も悪いの?」と戸惑っている。

「セリーナ、どちらの席に座るのかしら?」

 ベリンダに聞かれてセリーナは再度会場を見渡した。

 王宮の庭園の一角。芝生の広場に、七人ほど座れるテーブルがバランスよく並び、それぞれパラソルが立てられていた。

 ちょうどふたりだけしか埋まっていない席があった。その先客は初めて見る顔だ。

「あちらにいたしましょう」

 アリスターを促して、セリーナはそのテーブルに進む。

 なんとなく周りから注目されている気がしたけれど、初参加のアリスターが目立つのだろう、とセリーナは受け流した。

「こちら、よろしいかしら?」

 先客のうちの大人のほう――若い令嬢にベリンダが声をかけた。

「あ、はい。ええと……」

「空いていませんかしら? どなたかいらっしゃるのでしたら遠慮なくおっしゃってね」

「いいえ、空いております」

「ありがとう」

 すかさず、給仕がやってきて、ベリンダの椅子を引いた。セリーナはアリスターが座らせてくれる。

 慣れてらっしゃるのね、と考えたのが伝わったのか、「今日のためにマナーを復習してきた」とアリスターは小さく言い訳した。

 セリーナは浮きそうになるのを、必死で我慢しなくてはならなかった。

(公爵家では浮き放題にしているから、今日は辛いわ……。何の苦行かしら……)

 娘の内心など知らないベリンダが挨拶をする。

「私はラグーン侯爵の妻ベリンダですわ。こちらは娘のセリーナと、婚約者のアリスター・フォレスト公爵令息。よろしくお願いいたしますわね」

 紹介されたセリーナとアリスターは揃って「よろしくお願いいたします」と礼をした。

 先客は、学園を卒業したくらいの十八、九の令嬢と、セリーナたちと同年の少年だった。

 令嬢は座ったまま、深く頭を下げ、

「ご丁寧にありがとうございます。私はグレイシャー伯爵家のシャロンと申します。こちらは弟のケントです。どうぞよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」

 ケントも姉に合わせて丁寧に頭を下げた。

「まあ、そんなに畏まらなくてもよろしくてよ。これも何かのご縁ですから、楽しくお話しいたしましょう」

 ベリンダがふたりに微笑んでから、セリーナをちらりと見た。ここからはセリーナの社交の実戦演習だ。

「グレイシャー伯爵令息は王妃様のお茶会には初めての参加でしょうか? 今までお見かけしたことがありませんでしたから」

「は、はい。あの、招待状はいただいていたのですが、領地が遠いもので……」

 ケントが慌てて返事をする。

「アリスター様も初めての参加ですのよ。ね?」

 セリーナが振ると、アリスターはうなずいた。外向きの微笑みを浮かべている。

「グレイシャー殿は、お幾つですか?」

「今年十三歳になりました。あの。僕のことはケントと呼んでください」

「それなら、僕もアリスターと呼んでほしい。僕も十三で同じ年だから、楽な話し方でいいだろうか? 学園でも同学年だろ?」

「はい! もちろんです! アリスター様」

「いや、だから、様なしで」

「は、はい! アリスター様」

 繰り返してもまだ硬いケントに、アリスターは苦笑した。

(アリスター様、初めてのお友だち!)

 と、セリーナは心の中で感動に打ち震えながら、顔は微笑みを湛えていた。

「私もケント様とお呼びしてよろしいでしょうか? 私のことはセリーナと呼んでくださいませ。私はひとつ上の十四歳です」

「はい、もちろんです。セリーナ様」

「グレイシャー伯爵領といえば、国の北東だったか? 林業が盛んなんだろ?」

「確か、王都の大聖堂に使われた木材もグレイシャー領から運んできたものなのですよね」

 アリスターとセリーナがそう言うと、ケントは目を見開く。

「二百年前ですよ! よくご存知ですね」

「本で読んだのですわ」

 セリーナは笑顔で流した。

 王都とグレイシャー伯爵領の中間あたりにフォレスト公爵領がある。当時はまだ他の家が治めていて公爵領ではなかったけれど、木材は公爵領の中を運ばれたのだ。――セリーナは婚約してから公爵家に関するいろいろな文献を読み漁ったため、ついでにいろいろな知識も増えた。

 そんな話をしていると、どこからか「貧乏伯爵家が侯爵家に擦り寄って……」と聞こえてきた。

「ご令嬢は働いてらっしゃるんですって」

「婚約者もいないなんて、おかわいそう」

「あのドレス、一昨年の……」

 くすくすと笑う声に顔を上げると、プラトー伯爵家の夫人とその派閥の夫人たちだった。プラトー伯爵家は、やる気がなかったラグーン侯爵家と違って、クリフ侯爵家に負けず劣らず王太子妃争いに積極的だった家だ。いちいち張り合われて、セリーナとベリンダはうんざりしていた。

(婚約者争いに関係なく、これなのね。他人を見下さないと生きていけない病気かしら)

 セリーナは、身を縮こませるシャロンに、

「不躾にすみません。どんなお仕事をしてらっしゃるのですか? 私も学園を卒業したら就職したらどうかと勧められたことがあるので、気になってしまって」

「え? まあ、気を使っていただいて」

「本当ですのよ」

 グレタから魔塔に誘われた件だ。魔塔に所属できる魔法使いは魔力が高い者だけだからどういうことかと思って、後日確認したら、就職というのはグレタの助手の枠だそうだ。魔法の修行を重ねた今ではそれも楽しそうだと少し惹かれる。

 セリーナの言葉は気遣いからくる嘘だと思ったのか、シャロンは微笑んで、

「財務部で文官をしております。まだ一年目ですが」

「まあ、王宮にお勤めなのですか。すごいですわね! 尊敬いたします」

「財務部なら、兄と同じ職場ですね」

「えっ、あ! チャーリー様の!」

 アリスターの言葉にシャロンが驚く。

「姉上、気がついていなかったのですか?」

「家名で呼ばない決まりなんだもの……」

 ケントとシャロンのやり取りに、ふたりは仲がいいのだな、と思う。

「兄は今年入った新人文官は優秀だと話していましたよ」

「ありがとうございます」

 アリスターの言葉に、シャロンは顔をほころばせた。

 こちらがほんわかすると、またプラトー伯爵夫人のテーブルが嫌な笑い声を上げる。

「王太子妃争いに負けたから、焦って婚約したのかしから」

「どこの方? お見かけしたことがないわ」

 今度はセリーナの陰口だ。いや、セリーナではなくてアリスターか。

 セリーナは思わず立ち上がりそうになった。しかし、それをアリスターが止めた。

「ねぇ、聞いて。昨日、ハツカ国の国王陛下から親書をいただいたんだよ」

 その瞬間、向こうのテーブルがしんと静かになった。

「ハツカ国の国王陛下はルイーズ様のお兄様でいらっしゃいますよね?」

「そう。僕の伯父にあたる方だよ。……それで僕も初めて知ったんだけど、母のきょうだいは同母異母含めて十二人いるらしいよ。陛下は長兄でいらっしゃる」

「えっ、そんなに? ええと、後宮でしたっけ? 妃が住む宮があるとか……」

 最初はアリスターの牽制に乗って話していたセリーナも、十二人きょうだいには素で驚いてしまった。

カイ()帝国に属する国にも嫁入り婿入りしているんだって。今度紹介してくださるみたい」

「まあ! いつか会いに行きたいですわね」

 カイ帝国は、東方諸国で一番大きな国家だ。以前知り合ったサイ商会もカイ帝国の商会だ。このユーカリプタス王国は、ハツカ国よりカイ帝国のほうが取引が大きい。

 プラトー伯爵夫人のテーブルは完全に口を閉ざしている。

 シャロンとケントは目を瞬かせてセリーナとアリスターを見ており、ベリンダはにこやかに微笑んでいた。

 そこでやっと、王妃と王太子が入場した。

 セリーナはもう茶会か終わった気分なのに、実際はまだ始まってもいない。

「今日はご参加ありがとう。発表があった通り、王太子の婚約者はクリフ侯爵令嬢に決まりました。ナディア、こちらへ」

 王妃に呼ばれてナディアが前に出る。綺麗な所作で礼をして、「若輩者でございますが、皆様どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶した。

 彼女は王太子にエスコートされて席に戻る。

「では、どうぞお楽しみくださいね」

 王妃の言葉で、茶会が始まった。

 ナディアと王太子と同じテーブルにつくと思われた王妃だったけれど、彼女はこちらにやってきた。セリーナたちのテーブルにもう一つ席が作られる。

 セリーナたちは立ち上がって王妃を迎えた。

「王妃殿下にご挨拶申し上げます」

 代表してベリンダが口上を述べる。王妃は鷹揚に「楽になさって。どうぞ席に」と、侍女が引いた椅子に腰掛けた。

 皆が席についたあと、王妃はセリーナに笑顔を向けた。

「セリーナ嬢、婚約おめでとう」

「ありがとうございます」

「アリスター殿ははじめまして。あなたのお父様は陛下のお従弟ですから、私のことは伯母だと思ってちょうだいね」

「もったいないお言葉です」

 王妃とアリスターの会話に聞き耳を立てていたのか、プラトー伯爵夫人派が再び固まった。

「ルイーズ様には私も仲良くしていただいたわ。遅くなりましたがお悔やみを申し上げます」

「ありがとうございます……」

 アリスターは頭を下げた。

 そんな彼を目細めて見てから、王妃はセリーナに向き直る。

「妄言を吐く者がいるようですけれど、セリーナ嬢なら心配ありませんわね」

「はい。私はアリスター様が大好きですから、何があっても絶対結婚いたします!」

 フォレスト公爵家は王家の血縁で、家格が高い。それに、アリスターは容姿も整っているから、セリーナのように一目ぼれする令嬢がいるかもしれない。

 欲しいものは欲しいと主張する主義のセリーナは、堂々と言い切った。

「あら、それは頼もしいわ」

 王妃はふふっと笑ったが、ベリンダは「セリーナ……」と苦笑している。

 アリスターは「君はまたっ!」と顔を伏せていた。

 セリーナとベリンダは王妃とそれなりに交流がある。ナディアとクリフ侯爵夫人も同席して五人だけの茶会も経験していた。

 だから、セリーナは王妃に気負いなく話をした。

「王妃様、こちらのシャロン様は財務部の文官なのだそうです。とても優秀だそうで、憧れますわ」

 突然話を向けられたシャロンは目を白黒させたけれど、王妃はシャロンを知っていた。

「ええ、財務部の新人女性文官のお話は私も聞いておりますよ。女性の文官は今後はもっと増えていくでしょう。期待しておりますわ」

「あ……ありがとうございますっ……」

 両手で口元を押さえるシャロンに、

「今度、女性文官のサロンを開く予定なの。私の侍女のラリエット夫人が取りまとめるから、あなたもよろしければ参加してくださいな」

「はい! ぜひ!」

 王妃の後ろに控えていた侍女がシャロンに会釈する。

 王妃は最後にケントに顔を向けた。

「優秀なお姉様がいらしゃって幸せね。あなたもお姉様に協力して領地を守っていると聞きましたわ。グレイシャー伯爵家は安泰ね」

 ケントが礼を言うのを聞いてから、王妃は席を立った。他のテーブルに回るのだ。

 セリーナたちも立ち上がり、頭を下げて見送る。

 王妃の席が片付けられると、皆からほっと息がこぼれた。

 ベリンダの微笑みが、セリーナの合格を物語っている。

(お母様から合格が出たら、ご褒美で、フォレスト公爵領に避暑旅行に行けるわ!)

 セリーナの今日のやる気はそのせいだった。

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