8.ルシアナ、姉の髪について考える
「うーーーーん。やっぱり濡れた髪を放置しているのが一番の問題よね」
ベロニカの婚約話しから一夜明け、ルシアナは紙を広げ羽根ペンを片手に唸った。
くせっ毛が酷くなる原因として挙げられるのは、ストレスや寝不足、栄養不良や加齢など色々とあるが、ベロニカの場合で言えば最も考えられそうなのは頭皮や髪の乾燥だろう。
ルシアナはたまたま専属の侍女が魔法を使える為、洗髪後に風をおこしてもらい髪の毛を乾かしているが、自然乾燥させて済ますのが一般的なのだ。
濡れた髪をそのままにしておくとキューティクルが開いているのでダメージを受けやすく髪内部の水分まで抜けてしまう上、雑菌だって繁殖しやすい。
本来ならドライヤーをあてて根元から素早く乾かした方が良いのだけれど……
「電気なんて、ありませんものねぇ……」
ドライヤーなどという文明の利器はこの世界には存在しないので使えない。
「とりあえず念入りにタオルドライして貰うしかないわね。あっ、扇子で扇ぐのも効果あるかも」
紙に『念入りなタオルドライ』『扇子で扇ぐ』と書き付けて次の項目へ。
「次はシャンプーよね」
前世の世界には石油系やアミノ酸系のシャンプーが主流だったけれど、こちらの世界で使われるのはもっぱら石鹸だ。そもそも石油なんてものが存在しないのだから石油系合成界面活性剤なんてある訳ない。
アミノ酸系シャンプーも人気だったし前世の自分が務めていたヘアサロンでも使っていたけれど、はて……アミノ酸……。
アミノ酸が洗浄成分の主原料なのは分かるが、一体何からどうやってそのアミノ酸とやらを取り出して作り出すのか。
たしかアブラヤシから作るものが多いって聞いたことがあったけど、ヤシってくらいだから南の方に生えている木よね?
南国からアブラヤシを取り寄せたとして、樹液から成分をとるの? それとも実の方?? もしかしたら葉っぱかも……???
「あ゛ぁーーっ!! 前世のわたくしは、一体何をしていたのかしら」
この成分が良いというのは分かるのに、その成分がどうやって作られるものなのかなんて一切知らなかったし、知ろうともしなかった。
「なぁにが『自分のヘアケアブランドを作る』よ。なんにも知らなかったじゃない」
前世の自分に悪態をついてから、改めて石鹸シャンプーについて考えてみる。
石鹸で髪の毛を洗う方法は別に悪くない。
むしろ石油系シャンプーよりも頭皮や髪に優しく、かつ毛穴汚れもしっかりと落とせるのだ。
ただ石鹸はシンプルな故に保湿力が足りず、脂性肌の人は良いが、乾燥しがちになるという欠点もある。
「と、言うことは、保湿成分を石鹸に混ぜ込めばいいって事よね。これなら出来そうだわ! 保湿成分、保湿成分……」
ヘアケア製品に使われていた保湿成分を思い出しながら、次々と紙へと書き付けていく。
グリセリン、コラーゲン、セラミド、スクワラン、アルガンオイル、ホホバオイル……。
……グリセリンとかコラーゲンとかセラミドって、どうやって作るのよ。
コラーゲンと言ったらゼラチン? ゼラチンを入れたらいいのかしら? グリセリンやセラミドに至っては、皆目見当もつかないわ。
スクワランって確か鮫からとるオイルよね。どの鮫なのかしら。チョウザメ? あれはキャビアよね。
……アルガンオイルはアルガンツリー、ホホバオイルはホホバって言う植物だった気がするけど、そんな植物この辺では聞いたことないし。探せば輸入されていたりするのかしら?
うーん、と唸ること暫し。
「やっぱり、入手しやすさと効果で言うと馬油かオリーブオイルかしらね」
馬油はその名の通り馬からとる油で、人の皮脂に近く肌馴染みがいい。馬がいれば生産することが出来るので、この辺りでも作られている。
オリーブはというと、国内の温暖な地域で盛んに生産されている。栄養豊富で、塗って良し、食べて良しの超優秀な果実だ。
とりあえず馬油かオリーブオイルを、シャンプーの時に混ぜて使ってみようかな。
改めて目の前にある用紙を見ると、自分に出来ることが思いのほか少ない。
前世の知識を頼りに、お姉様の髪をもっと美しくしてあげられると思ったのに……。
所詮は一介の美容師。平凡だった自分は、今世でも平凡だ。
あまりの不甲斐なさに思わずため息が漏れる。
「あーあ。オリーブは使い道が豊富でいいわよね。リンゴなんて生で食べるかお菓子にする以外だと、ジャムかお酢くらいにしかならないもの。もっと活用法があればいいんだけど」
…………活用法?
リンゴをもっと活用する方法……。
何かがルシアナの中で閃きそうになったが、ドアを開ける音と人の気配に思考が遮られた。