40. ルシアナ、急展開を迎える
舞踏会が始まってから何時間経ったのか。すっかり夜は更けて、いつの間にか日付けが変わっている。
まだまだ終わらないパーティーと、まだまだ女性達に取り囲まれているケイリー。
まあ、こうなることは分かってはおりましたけど。
心に渦巻くモヤモヤしたものを取り払いたくなったルシアナは、シードルの入ったグラスを手にバルコニーへと出た。
外の空気はまだ少し冷たいが、お酒で火照った身体には丁度いい。風に乗ってやってくるバラの香りを堪能しながら、シードルを口に含んだ。
うーん、やっぱりぶどうよりりんごよね。
白ワインや赤ワインも飲んでみたが、やはりルシアナの口に合うのはこの、りんごで出来たシードルだった。
ケイリー様は無事に復帰できたのだから、喜ばなくっちゃね。国王夫妻にもルシアナの腕前をアピール出来たし、ベアトリス様も舞踏会中あちこちでルシアナの開発した製品を売り込んでくれていたから、これからもっとヘアケア製品だって売れるようになる。
何もかもが上手くいって万々歳じゃない。
ムカムカしてくるような、泣き出したくなるような、訳の分からない感情が込み上げてきた。残っていたシードルを一気に飲み干したルシアナは、空になったグラスを近くのガーデンテーブルにトンッと置いた。
「シードルが美味しいからってそんなに一気に飲むと、酔いすぎてしまうよ」
振り返った先にいたのはケイリーだった。近付いてくるケイリーに、ルシアナはふんっと鼻を鳴らした。
「ケイリー様こそ酔いつぶれて、お持ち帰りなどされないように気をつけた方がよろしいのでは?」
「そんなに酔ってないよ。それよりもルシアナが変な男に連れて行かれないか心配なんだ。僕の視界から居なくならないで」
そっぽを向くルシアナの瞳を覗き込むように、ケイリーの顔が近くに迫ってきた。
なんでそんなに真面目に答えるのよ……。
いつもみたいに嫌味を嫌味で返してくれないケイリーに、ルシアナの言葉は宙をさまよった。
「あ……な、なにを仰いますやら。そ、そうだ! ベアトリス様の婚約発表が上手くいって良かったですわね! 婚約者の方も優しそうで素敵な方でしたし、ベアトリス様にゾッコンって感じで……。それからケイリー様もお元気になりましたし、これで安心して公爵領へ帰れます」
ルシアナの侍女生活は、ベアトリス王女の婚約発表と共に終わる。そういう約束でここへやってきた。両親と一緒に帰るつもりでいるので、ケイリーとこうして話を出来るのもあと少しだ。
「今度避暑で北部を訪れる際には、是非ルミナリアにもお立ち寄りくださいね。生まれ変わりつつあるルミナリアをケイリー様にも見て頂きたいですから」
外へ出られるようになったのなら、アルベリア伯爵のところへ再び行くようになるかもしれない。ケイリーにまた会いたいからと素直に言えないルシアナは、ルミナリアを出しにしてしまった。
手をモジモジとさせて視線を彷徨わせるルシアナの頬に、ケイリーの手が伸びてきた。その手は頬から頭の後ろへと滑り、ルシアナの瞳にはケイリーしか映らなくなった。
「僕や姉さんが、君をこのまま返すと思ってるの?」
「どういう意味で……」
近づいてきたケイリーの顔は、そのままルシアナの肩にのせられた。抱きしめられるのはもう三度目なのに、鼓動はますます激しくなる。
「少なくとも僕は、大人しく返す気なんてない」
「大人しくって、それは……」
「嫌なら僕を跳ね除けて。そうしたら潔く会場へ戻るから」
急に苛立ったり、苦しくなったり、嬉しくなったり……全部ケイリー様を好きになっていたからだったのね。
この腕の中にずっと居たいと思うのが、その証拠だ。
ぎゅうっと抱き締め返したルシアナは、不敵に微笑んでみせる。
「目を閉じていても、わたくしを選んでくれますわよね?」
「はは、それ今言う?」
「わたくしがしつこいって、ご存知でしょう?」
わざとふくれっ面でケイリーを見上げれば、月明かりは近づいてきたケイリーの顔で見えなくなった。開かれた窓から聞こえてきていた騒がしい声も、優雅な音色も、何もかもが遠くに感じる。
「もちろん、目を開けていようが閉じていようが関係ない。そもそも僕にはもう、ルシアナ以外の女性は目に入らないから」
重ねなれた唇は、次の瞬間に聞こえてきた怒鳴り声であっという間に引き離された。
「いっ……今何か聞こえてきましたよね?」
「うん、女性の声だったけど。喧嘩している……のかな」
どことなく知っている人の声だった様な気がしたルシアナは、声のした方へ顔を向けると、テラスへと続く大窓の近くにベロニカとウィンストンとが、向かい合っているのが見えた。
「今の声、やっぱりお姉様だったのね」
互いに鋭い視線を投げつけあっている二人は殺気立ち、まさに一触即発の状態だ。
「ウィンストンったら、お姉様に何かしたらタダじゃおかないんだから!」
二人のただならぬ気配を察したケイリーも、ベロニカの側へと走り寄っていくルシアナの跡を付いてきた。
ベロニカの後ろには騒ぎを聞き付けたルシアナの両親が、一足早く到着していた。
「ベロニカ。君は今、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「もちろん分かっています。ウィンストン様の方こそ、私の言うことをもう一度よくお聞きになって下さい。これ以上私と、そして私の大切にしている人達のことを侮辱するのは許しません。謝ってください」
母の隣についたルシアナは何があったのかと両親に目で聞くと、小声で教えてくれた。
「ウィンストンがパーティー間中、ベロニカに嫌味を言っていたみたいだけれど、耐えていたのよ」
「それは知ってますわ」
「それでね、ベロニカが領地運営について話し合おうとしたみたいなの。そうしたら彼がルシアナ、貴女を慎みがない女だとか、お父様を無能な領主だとかと悪口を言って、とうとうベロニカの堪忍袋の緒が切れたみたい」
「あーあ、なるほど」
母から事情を聞いている間にも、二人の応酬は続いている。
「謝れって何をだ? 全部本当のことだろう。だから俺が代わりに領主として、ルミナリアを変えてやるって言ってるんだ」
「ルミナリアは貴方の手を借りずとも、もう生まれ変わっています。カジノ計画は見直して下さい」
「いいや、必ず遂行する。りんご畑だらけのド田舎を変えてやろうって言うんだ。領民も喜ぶだろう? 領地が栄えて何が悪い」
「ルミナリアの民はそれを望んでいません。強引にことを推し進めようなんてしたら……」
「したらなんだ? あぁ? 言ってみろ」
ウィンストンを睨みつけたベロニカは、これまでの不満を全て吐き出すかのように、声を張り上げた。
「――婚・約・破棄! しますっ!!」
うわぁ、言っちゃった。いや、よくぞ言ってくれた! かしら?
ルシアナは心の中で拍手を送りながら、姉の勇気を賞賛した。父も母も異論はないらしく、頷いているだけで止めようともしない。
一方女性から婚約破棄を告げられたウィンストンはと言うと、顔をねじ曲げて笑っている。
「婚約破棄だとぉ? ――そんなことが出来ると思っているのか!? 誰がお前みたいな金のない、ジャングル頭のいも女なんて相手にすると思ってるんだ。勘違いも甚だしい。俺が嫁に貰ってやるって言ってるんだ! 髪が爆発しているだけじゃなく、とうとう頭の中までこんがらがって爆発したんじゃないのか?」
「……なんですって?」
前世で例えるならば、RPGで悪を召喚した時のような……とでも表現したらいいだろうか。
紫紺の渦がベロニカの周りを取り巻き、毛が逆だっているかのように見えた。
「爆発するような髪が無い貴方になんて言われたくないわ! このっ――薄毛野郎っ!!!」
「なっ……」
口をパクパクさせて固まるウィンストンに、ベロニカは詰め寄った。
「ずっと言わなかったけど、貴方が薄毛を気にしているって知ってるんだから! 相手が気にしていることを言うのは良くないと思って触れないできたけど、貴方が私の気にしていることを口にして傷付けてくるのなら、お互い様だもの。言わせてもらうわ!」
「いや……ちょっ……」
「結婚式でカツラをつけろですって? カツラを流行らせたいのは、薄毛を隠したい自分の為でしょう?! それをあたかも私の為であるかのように言って!」
――あぁ、お姉様。ウィンストンの薄毛に気付いてたのね。
ルシアナももちろん気付いていた。ケイリーとウィンストン、ベロニカと4人でお茶をしたあの日、ウィンストンの頭頂部が目に入った時から。
相手の容姿を茶化してあげつらうのは好きじゃないので黙っていたが、ベロニカの方はとうとう我慢ならなくなってしまったみたいだ。
遠巻きに事の成り行きを見守っている人達は、手や扇子で口元を隠して肩を小刻みに揺らしている。
「私は自分のこの髪の毛が好きなってきたの!隠したくなんてないわ! カツラをつけたいなら貴方おひとりでどうぞ!! 」
「おい、ちょっと待て……!」
「婚約破棄されたくないのなら、まずは謝罪からよ」
「そうだぞ、ウィンストン君。立場を弁えろ」
立ち去ろうとするベロニカの肩を掴もうとしたウィンストンの手を、父が払い除けた。
「はっ!! なーにが謝罪からだ! どうせりんごを使ったヘアケア商材なんざ飽きられて、上手くいかなくなる。泣きついてくるのは最終的にはお前達の方だ!」
捨て台詞を吐いたウィンストンは、そのまま足早に会場から出ていった。




