33.ルシアナ、出くわす(2)
「もしかして……ケイリー様?」
男性はステップを踏むことをやめ、ルシアナの手を離した。
「そう、僕だよ。ケイリー・スタインフェルド」
これは予想外の方向に変貌を遂げていた。
どうせあの輝かしいばかりの笑顔を振りまいて、お嬢さん方を次々と虜にしているものだとばかり想像していた。
一体何がどうしたのだろうか。
もしかしてルシアナが王宮に来ることを知って、わざわざこんなイタズラを?
……それにしては手が込みすぎているし、ケイリーはそういうタイプの人間じゃないと思う。
それに……以前にはなかった影を、どことなく感じる。
「人は見た目じゃないって事を、実証なさろうとしているのかしら?」
「君は相変わらず、いい性格しているよ」
くすくすと笑っても、髭のせいでエクボがよく見えない。
年に数回やり取りする手紙では、ケイリーの変化など感じ取れなかった。と言っても、なんの他愛もない時候の挨拶に始まり、体を気遣う文で締め括られるだけの手紙だったのだけれど。
「この再会に戸惑われるかと思ったのに、まさか嫌味を言われるとはね」
「戸惑っているのは間違いありませんが……。つい嫌味を言いたくなるのは、最初の印象が悪かったからでしょうか」
「まだ根に持ってるんだ。やっぱり君、相当ねちっこいよ」
「よ、け、い、な、お世話、ですっ!」
「……」
「……」
ぷっ、と吹き出したのはどちらが先だったのか。
まだ一輪の花も咲いていない薔薇園に、二人の笑い声が響いた。
「もう少しだけルシアナと話したい。いいかな?」
「ええ。仕事は夕方までありませんので、時間ならたっぷりとありますわ」
ケイリーは何時ぞやのように、近くのベンチに取り出したハンカチを広げてくれた。
「……僕は君に謝らなきゃならない」
「え?」
「人は見た目じゃないなんて言ったけど、あれは間違いだった。君の言う通り、人は見た目だ」
何故そんなことを言うのか真意が分からずポカンとケイリーの方を見ると、悲しそうな目をしたまま、口元だけが緩く弧を描いた。
「あの……なにを言いたい――?!」
ケイリーが唐突に自分の前髪をかき上げると、よく見えなかった瞳が顕になった。
その瞳のすぐ近く、左側の額からこめかみにかけて、生々しい大きな傷跡が走っている。
「まさか、ドラゴンに襲われた時の傷跡ですか?」
「そう。ドラゴンの牙が頭に強く当たった時には流石に死んだと思ったよ。一時は意識不明の重体に陥ったのだけれど、医師たちが頑張ってくれたお陰で命は取りとめた。幸いなことに傷跡が残った他は、すっかり元の健康体に戻れたし、言うことないと思ったんだけどさ……」
ケイリーは前髪をかき上げていた手を下ろすと、その手をぐっと握りしめた。
「わたくしが知っているケイリー様でしたら、顔の傷くらい大したことないって言いそうですけれど」
以前のケイリーなら、例え顔に傷跡が残っても気にしないって笑いながら言いそうだ。
「僕も最初はそう思ってた。だから気にせず過ごそうとしていたんだ。けど……」
ごくり、とケイリーの喉仏が動いた。
前髪と髭で顔の大部分が見えなくても、苦しげな表情をしていることは、息遣いから感じ取れる。
「会う人、会う人の目線が、どうしてもこの傷跡にいく。あからさまに『可愛そう』っていう顔をする人もいれば、折角の顔に残念だなんて言われたり、中にはざまあみろって遠回しに言われたこともある」
玉に瑕とは正にこの事。
女性ならばその傷を見て溜息をつき、男性ならばほくそ笑まれたのだろう。
非の打ち所のない完璧な容姿を持ったケイリーは、同性からの妬み嫉みを多く買っていたことは容易に想像できた。
「段々居心地が悪くなってきて軽く父や母に相談したんだ」
「なんと仰られたのですか?」
「笑われたよ。男が顔の傷くらいで何を言っているんだ。堂々としていればいい。女じゃあるまいしって……」
そうだと思った。
世間一般で言えば、傷は男の勲章という考え方がある。女性の傷跡に対して、男性の傷跡は軽く見られがちだ。
戦いに出るのが専ら男の仕事だから仕方がないのだけれど、ケイリーの場合は容姿を褒めそやされて生きてきたから、余計にこたえたのかもしれない。
「確かにそうだよなって思うのに、気になって気になって仕方がないんだ。皆の目線が段々怖くなってきて……。我ながら女々しいって思うよ。馬鹿みたいだ。こんな傷跡ひとつで僕は……」
今、ルシアナは、なんて言葉をかけるべきなんだろう。
それは辛かったですね?
それとも、お気持ちは分かります?
どちらもピンとこない。
気持ちが分かるだなんて言われた日には、ルシアナだったら怒るだろう。
かと言って「わたくしが言った通りでしょ?」なんて、皮肉る気にもなれない。
ルシアナがいつもケイリーに嫌味を言ってしまうのは、ケイリーなら受け流せるだけの度量があると分かっていたし、許してくれるだろうと思っていたから。
いつの間にかわたくし、ケイリー様に甘えていたようね……。
今更ながら、ルシアナはケイリーを信頼していたことに気がついた。
「君に偉そうなこと言っておいて、ホントかっこ悪い……。実は僕が一番、自分の容姿を気にしていたって言うのに、そんなことにも気が付かなかったなんてさ」
まだケイリーに、なんと返せばいいのか言葉が見つからないルシアナは、結局話題を逸らしてしまった。
「わ……わたくしも、ケイリー様に言いたいことがありましたわ」
「……なに?」
「ルミナリア公爵領をどうするべきなのかわたくしが迷っていた時、助言をしてくれたでしょう? あの時きちんと御礼を言えていなかったことがずっと、心残りでしたの。改めて、あの時はありがとうございました」
「なんだ、そんな事か。聞いているよ、ルミナリア公爵領のことは。上手くいっているみたいだね」
「ええ、お陰様で」
「ウィンストンはまだ遊学から帰ってきてないのかい?」
「今度の舞踏会には出席出来るように戻ってくるのだと、姉が言っておりました」
ウィンストンが遊学に旅立ってから約三年半。舞踏会の出席をベロニカに手紙で伝えてきた。
ルシアナが社交界デビューするので、今度の舞踏会には母や父、そして姉も参加する予定だ。ウィンストンとは舞踏会で久しぶりの対面となる。
「今から楽しみですわ」
ニィっと笑ってみせると、ケイリーも喉を鳴らして笑いだした。
「これは、自信があるようで」
「ええ。ウィンストンの………じゃなくて、ウィンストン様の言いなりになどならなくても良いくらいに、領地が立て直りつつありますもの。対等に渡り合えるはずです」
カジノリゾート開発などしなくてもいいくらいに、ルミナリアは立ち直っている。
ウィンストンの言う余剰分のりんごなど存在しない。むしろ生産が追い付かなくて、新しくりんごとあんずの木を植えているくらいなのだから。
「街にはりんごの加工場がいくつも作られましたし、今も増やしているところです。りんごが以前のような値で売れるようになったことで、農民も冬を憂うことなく過ごせますし、道行く人の髪型は千差万別! 本当に活気が出たのですよ。ケイリー様にも是非お見せしたいですわ!」
「……うん、僕も見てみたい」
ケイリーの無理やりに浮かべているであろう笑顔をみて、自分の失言に気が付いた。
何をやっているのかしら、わたくしったら。
外に出る気になんてなれるわけないのに。
ましてや、北部には嫌な思い出があるっていうのに。
「ごめんなさい……わたくし……」
「ねえ、ルシアナ。君の時間が空いてある時に、ダンスの練習をしに来ないかい?」
「え……? ケイリー様がお相手して下さるのですか?」
「だってさ、あのダンスをウィンストンに見られてご覧よ。またコテンパンに言われて、君が悔しい思いをするのは目に見えてる。それに、エスコートしてくれる男性が不憫じゃないか」
「むぅ。ケイリー様こそ相変わらずいい性格してらっしゃいますわ」
子供のように頬を膨らませるルシアナに、ケイリーはケラケラと笑い、そしてボソリと呟いた。
「……ルシアナだけ。ルシアナだからだよ」
わたくしに、だけ……?
別に愛の告白をされた訳でもないのに、急に心拍数が上がってしまった。
それは一体どういう意味なのか。
深く考えるまでもない。
気安いお友達ってことよね。
ドクドクと頭に激しく血液を送り込まれて、うまく思考が回らない。
どうせ言うなら、いつもみたいに笑って言って欲しい。そんな照れ臭そうにされると勘違いしちゃうじゃない。
カーン、カーンっと正午を報せる鐘の音が、王宮中に響き渡った。
「あら、もうこんな時間?!」
「もう行かないと。じゃあね、ルシアナ。待ってる」
「え、ええ……。それではまた」
まだ早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように、ルシアナは小さく息をついて目を伏せた。
あれ……?
今思ったけど、ケイリー様はいつからここにいたのかしら。
わたくしがここで一人でダンスの練習していたのを、ずっと見ていたってこと??
ううぅぅぅ! やっぱり嫌なお方だわ!!
悪態をつく脳内の声とは裏腹に、ルシアナの口元は弧を描いていた。




