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32.ルシアナ、出くわす(1)

 りんごって確か、ピーリング効果があったんじゃないかしら……。りんごの絵がプリントされた洗顔石鹸とかあったわよね。


 ポカポカ陽気に誘われて、ルシアナは庭園を散歩しながら新しい商品について考えている。

 ベアトリスの朝の支度を終えて、夜の入浴時まで今日は特に何もないので、ゆっくりと考え事ができる。


 シャンプー用の石鹸にりんごエキスが入っている。とりあえずはこの石鹸でしばらく顔を洗ってみて、開発を進めてみよっと。


「ふぅー、いい天気ね。薔薇ももうすぐ咲きそう」


 庭園に植えられている薔薇には、ちらほらと蕾が付き始めている。舞踏会が開かれる頃には開花していそうだ。


 ベアトリス様がパートナーを見つけてきてくれると言っていたけど、果たして見つかるかどうか……。


 まあ、考えても仕方がない。

 いざとなったらお父様と踊ればいいし。

 だいぶ痛い人になるけどね。


 ところでわたしくしって、ダンス踊れるのかしら……。


 領地を何とかしようと立ち上がってからというもの、ルシアナは淑女としての教育をほとんどほっぽり出して過ごしてきた。

 ダンスに裁縫、絵画や楽器の演奏……。領地運営に今、必要ないと思うものは全て削ぎ落として、研究・開発に精を出し、売り込む方法を考え、理容師達の技術向上に時間を注いだ。

 そのツケが今、回ってきてしまった。


「えーっと、基本ステップはこうよね……」


 一応、昔にダンスの練習はしていた。その記憶を手繰り寄せて、ひとりステップを踏んでみる。

 足がもたつくけど、思っていたより悪くない?


「一曲目は薔薇園のワルツだったわよね。あの曲結構速いのよね。1.2.3、1.2.3……」


 初夏に次々と咲きこぼれる、薔薇の花をイメージした曲。優雅で明るい曲調は、舞踏会の始まりの曲としてピッタリだ。


 下から上へ、流れるように。

 背筋を伸ばして、下を向かないように。


 徐々に体が慣れて基本的なステップをスムーズに踏めるようになった所で、少し早く、そしてステップも複雑に。

 頭の中で薔薇園のワルツを再生させながら、大きく後ろへ動いた時だった。

 ここが広いホールではなく、まさに薔薇園であることを忘れていたルシアナは、段差があることに気づかず足を踏み外した。


「きゃあぁっ!!」


 ドスンっ! と派手に尻もちをついたものの、思ったよりも衝撃が軽かった。


「痛たた……」

「うっ……」


 ――え、なに?


 自分のとは違う低い呻き声が聞こえてきてバッと下を向くと、見知らぬ男性が這いつくばって……いや、ルシアナの下敷きになっていた。


「ごっ、ごめんなさい!」

「いや……大丈夫?」


 ルシアナに踏み潰された背中を擦りながら男性が立ち上がると、スラリとしているがルシアナより頭ひとつ分は大きい。

 顎には無精髭が生えている上に、髪は目が隠れるほどボサボサに伸ばしっぱなしにされているせいで、顔立ちはよく分からない。


 見事な金色の髪をしているのに台無しね。


 磨けば光るタイプなのに勿体ないと、今度は服装を見ると、シャツにスラックスとかなり簡素な格好ではあるが、生地は上質な物のように見える。


 庭師……? にしては、作業着とはちがうわよね?


「受け止めようと思ったんだけど……。体が随分訛っちゃってて、タイミングが合わなかったみたいだ」

「どこのどなたかは存じませんが、ありがとうございます。わたくしルミナリア公爵の孫で、ルシアナ・スタインフェルドと申します。危うく怪我で、今度のデビュタントボールに出られなくなるところでしたわ」

「……僕が誰か、分からない?」

「……? 誰かと言われましても……。どこかでお会いした事があったかしら」


 こんなもっさい青年と知り合いなわけが無い。ルミナリア公爵領で出会っていたなら、即座にルシアナの手にかかっていたハズ。

 ルミナリア公爵邸を訪れると、誰彼構わずカットモデルにされるのだと、巷ではウワサになっていたくらいだ。


「…………」


 俯いて黙ったままでいる男性に、ルシアナは痺れを切らした。


 何なのかしら。もしかしてナンパ?

 公爵家の孫娘を口説こうなんて、いくら何でも無謀過ぎる。


「あのね、助けて貰っておいてこんなことを言うのは何だけれど、わたくしとお近付きになりたいとかでしたら、諦めてくださいませ。わたくしこれでも、公爵家の孫娘ですの」

「公爵家のご令嬢にしては、ダンスはあまり得意じゃなさそうだね」

「なっ……なんですって?! 余計なお世話よ! ステップのひとつも踏めないような人には言われたくはありませんわ」

「出来るよ。少なくとも君よりは」

「あんまり馬鹿にすると怒り……ちょっ、ちょっと!!」


 男と向かい合う形で手を取られた。

 タン・タン・タン、タン・タン・タン……。


 むさ苦しい見た目に反して男は優雅にワルツのステップを踏み、ルシアナをリードしてくる。

 

 こうして背筋を伸ばせるんじゃない。


 先程まで俯いて、背中が丸まっていたくせに。こうなると尚更、この無精髭と髪型が勿体ない。


「ねえあなた、髪型を変えてみませんこと? わたくしに任せて貰えば、きっと素敵に大変身出来ますわよ」

「ははっ……ルシアナは相変らすだね」


 まるで本当に、ルシアナを知ったふうな口を聞く。


「人は見た目じゃない。中身が大事」

「――――!!」


 一気に記憶が蘇った。4年前の夏、ケイリーが公爵邸にやって来た初日を。

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