31.ベアトリス、ケイリーを訪問する
日が暮れてきた。
ベアトリスはついてきた侍女に「ここまででいいわ」と声を掛けると、目の前のドアをノックした。
「ケイリー、私よ。ベアトリス。入ってもいい?」
返事がないのはいつもの事。しばらく待っていると、小さくドアが開いた。
「……どうぞ」
ケイリーはドアの隙間からベアトリスの姿を確認すると、部屋の中へと入れてくれた。
東側にある王族の住まいは、早くから暗くなる。灯りをともす魔道ランプが一つだけついたケイリーの部屋は、薄暗い。
弟の姿は弱々しい明かりに、ぼんやりと浮かぶだけだ。
暗い部屋で過ごすと気持ちも落ち込みやすくなるからと、ランプをもっと付けるようにと言ったのは3年ほど前のこと。
あの時ケイリーは激怒した。
「灯りなんか付けるな! 僕を見るな!」とランプを叩き割って、部屋から追い出された。
それ以来、ベアトリスを含め他の者も、灯りを足しましょうなんて絶対に口にしない。
「……何か用?」
ぶっきらぼうに投げかけられた言葉に、ベアトリスは一瞬怯みかけた。
「きょ、今日はね、デビュタントボールの衣装やヘアメイクのリハーサルをしたの。どう、可愛いでしょ? 特にこのヘアセットが気に入って、ケイリーにも見てもらいたくなっちゃって」
無理やり笑顔を捻り出し、うふふと笑って見せた。
こうして何かしら理由を付けないと、ケイリーは会ってくれない。
昔は仲の良い兄弟だった。いや、今も仲良しだと思いたい。
ベアトリスには他にも弟が二人いるけれど、ケイリーとは双子の兄弟のせいか、どこか特別な思いがある。
弟二人がケイリーとの交流を諦めても、父や母の期待が弟二人の方へいってしまっても、ベアトリスはケイリーを諦めたくはない。
「……その髪、ルシアナがセットしたの?」
珍しくケイリーの方から質問が来た。
やっぱりケイリーはルシアナの事が気になるんだわ。
大怪我を負ってベッドに伏せている時、ケイリーはよくルシアナの話しをして、ルミナリア公爵領を気にかけていた。
「そうなの。ドライヤーという魔道具の次は、コテという魔道具も開発しているんですって。私のようなストレートヘアでもあっという間に巻き髪に出来るのよ。まだ試作品の段階だそうだけど、使うのに支障はないからとひと足お先に使ってヘアセットしてくれたのよ。それからストレートアイロンって言ったかしら。そちらは髪の毛を真っ直ぐにする魔道具で、寝癖がついちゃった日でもアレがあれば安心だわ。侍女達なんて、こぞって予約して……ふふ、ルシアナったら顔がにやけちゃってるの。すぐ気持ちが顔に出るんだから」
思い出し笑いをしながら、ベアトリスは近くにあったカウチに座った。窓際に立つケイリーの横顔にどことなく笑みが浮かんだように見えて、ベアトリスの緊張も少しだけ解れた。あと少しだけ、長居してもいいだろう。
「ルシアナは姉さんのところでも頑張ってるみたいだね」
「ええ、期待していた以上よ。見てよ、この髪。ツヤツヤでしょ? もともとルシアナが開発したヘアケア製品は使っていたんだけど、ケアの方法も大事なのね。正しい手入れの仕方を、他の侍女にもレクチャーして貰っているの。それにヘアアレンジやメイクもとっても上手よ」
わずか16歳の子が、あそこまで知識が豊富だとは思ってもみなかった。
貴族の女性なら花嫁修業として侍女となり、主人のメイクやヘアセットをするものだが、ヘアカットや顔剃までこなせる者などそうはいない。
「でもね……ふふっ、ルシアナったら、あんなにしっかりしてそうに見えて、自分の事にはうっかりしているのよ」
「……?」
「舞踏会にデビュタントとして参加するっていうのに、エスコートをして貰うパートナーのことを忘れていたの」
デビュタントボールでは、その年のデビュタント達が最初の一曲目を踊るしきたりとなっているので、パートナーは必須。
まさかと思って聞いてみたら、そのまさかで、パートナーはいないと言うではないか。
本人も初めての舞踏会で忙しいのに、突然呼び付けてしまったこちらも悪い。ならばとルシアナに、パートナー探しをしておくと提案した。
「パートナー……いないんだ」
「誰がいいかしら? アミレント子爵の次男は王宮の財務官として働いていたわよね。それともベルヒム伯爵の何番目だったかは忘れたけど、騎士団にいたわね。あの方もルシアナに良さそうだわ。それか――」
伊達に王女をやっていない。
あちこちのパーティーに出席しては人脈を築き、どこの誰がどんな事をして、どの家と仲がいいのか等、ありとあらゆる情報を常日頃から収集している。
「あっ! スターン侯爵の長男がいいわ!! 昨年遊学から帰ってきたばかりで、婚約もしてなかったはずだもの。 早速、早馬を出して――」
「ダメだっ!!!」
「え……?」
ベアトリスがペラペラと1人で喋り続けていたところに、突然、ケイリーが大きな声を出した。
ベアトリスよりも、大声を出したケイリー自身の方が驚いているようで、目を白黒させて慌てている。
「い、いや……その……舞踏会まであと2週間しかないんだろ? 有力な令息はもう相手くらいいるんじゃないかと……」
「そんな事を言ったって仕方ないでしょ。とにかくあちこちに聞いてみないと。ルシアナは公爵家の令嬢なのよ。下手な人には相手させられないわ」
「そ、そうだけどさ……」
「じゃあなに? ケイリーがエスコートしてくれるって言うの?」
ベアトリスにだって分かっていることを言われて、つい意地悪をしてしまった。
しまった、とケイリーの見えずらい顔を見ると、予想外にも顔を真っ赤にしていた。
「え……ケイリー……」
そういうこと、ね。
これは乗らない手はない。
「うん、そうね。それがいいわ! ケイリーがルシアナをエスコートしてあげてよ。私もケイリーに来て欲しいって思っていたの。だって私、もうすぐお嫁に行くのよ? お願い。ね?」
最上級のお願い光線を出しながら、たじろぐケイリーに近付いた。
「……僕なんかじゃ、ルシアナが嫌がるに決まってる」
「嫌だったらすぐ分かるわ。ルシアナだもの。ケイリーだって知っているでしょ? 少しでも難色を示したら提案は取り下げる」
ルシアナは良くも悪くもハッキリとした子だ。王女からの提案など普通は断れないものだが、ルシアナなら嫌ならすぐに顔に出るので分かりやすい。
「……ルシアナは今の僕を知らない」
「あら。かと言って以前のケイリーだって、あからさまに嫌われていたのでしょう? 大差ないわ」
確かにルシアナのあの様子だと、現在のケイリーがどうなのか知らないみたいだ。領地運営の事で頭がいっぱいで、王都のうわさ話など耳に入ってこないのだろう。
ルミナリア公爵領に滞在していた時、ルシアナと嫌味を言い合う仲だったと、昔楽しげに話していた。
キラキラと輝くあのケイリーに、好意ではなく自分の意見をぶつけて嫌味を言ってくる令嬢など他にいなかったから、余程嬉しかったのだろう。
ケイリーとよく似るベアトリスは、その気持ちがよく分かる。
この見た目と性格から、好意を寄せられることはよくある。同性ならば嫉妬を買うこともしばしば。
そうやって生きてきていると、嫉妬心からではなく、意見や主張の違いによる対立は新鮮に感じられるし、こちらも猫を被らず本心をぶつけられる。そういう相手は本当に稀有だ。
「ルシアナにそれとなく打診してみるから。それとも紳士らしく、自分で申し出る?」
「……」
肯定はしないが否定もしない、ね。
止めろと言わないのは、ケイリーも暗闇から抜け出したいと願っているから。
「ケイリー、お願いよ。ほんの少しだけ勇気を出して」
あと数年でベアトリスは王宮を離れる。
ベアトリスがいなくなったら、ケイリーはこの暗闇に取り残されてしまう。
「お願い……」
泣いたらケイリーが困るとわかっているのに。
涙をこらえきれなくなったベアトリスは、ケイリーの部屋から飛び出した。




