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2.ルシアナ、思い出す(2)

 小一時間ほど待っていると、ベロニカの髪の毛を切り終えた理髪師に呼ばれた。

 いつも髪の毛を切ってもらう為に使っている部屋には大きな姿見が置かれ、光がたっぷりと差し込むように大きな窓が設置されている。


 ルシアナが椅子に座ると、鼻の下にちょこんと髭を生やしたいつもの理髪師が、営業スマイルを浮かべて話しかけてきた。


「ルシアナお嬢様の御髪は今日もお美しいですね」

「ありがとう」

「いつも通り、毛先を切りそろえれば宜しいでしょうか」


 理髪師のおじさんは霧吹きでルシアナの髪を湿らせながら、『一応』といった感じで聞いてきた。


「いいえ、今日は髪型を変えようかと思っているの」

「変える……と、申しますと?」

「わたくし、顔が少し面長なのが気になるのよ。だからレイヤーカットで顔周りにボリュームをだして、それから前髪も眉下辺りまで切って作ってちょうだい」

「れ、れいやーかっと……ですか?」

「そうそう。つまり、『段』を入れて欲しいってことですわ」


  レイヤーカットとは簡単にいうと、髪の毛の各部分に『段』をつけたカットのこと。それは上部と下部であったり、前と後ろであったり、あるいは中側と外側であったりと様々。髪の毛に段がつくことによって動きが出て、ふんわりと軽やかに仕上がるのである。


「段……ですか。顔周りに段……。こんな感じで顔横の髪を切ればよろしいので?」


 理髪師は眉間に皺を寄せながらルシアナの横髪をすくって取ると、耳横辺りで髪の毛を真横にジョキンと切る真似をした。


「違う違うっ! そんな極端な段じゃなくて、徐々に長さを変えていくのよ。先ずは前髪を作るでしょ。それからサイドの髪と上部をブロッキングしてそれで…………」


 説明している途中で気が付いた。

 この国のヘアスタイルと言えば、長さが長いか短いか。前髪があるかないかくらいな事に。

 そして大概髪の長さは、その人の身分や裕福さで決まる。髪の毛を手入れする余裕のある富裕層の女性の髪型はロング、それ以外の女性は大概ショート、というように。


 それなら富裕層の女性達がどこで差をつけるかというと、カットの仕方ではなく専らヘアアレンジである。


 今ここでこの理髪師にカットの仕方を教えたところで、練習もなしに出来るわけがない。前世のルシアナだって練習を何度もして習得したのだから。


「……やっぱり前髪を作って貰えばいいわ。あとはいつも通り毛先を揃えてちょうだい」


「ええ……はい、かしこまりました」


 気を取り直した理髪師にカットしてもらい部屋へと戻ったルシアナに続いて、不安げな顔をしているモニカも入ってきた。


「ルシアナお嬢様、どうなさったのですか? 今日は何だか様子が変ですが」

「変って何が?」

「よく分からないことばかり仰っているではありませんか。コンディショナーだとかキュー何とかとか、先程はレイヤーでしたっけ?」

「ああ、それはね、わたくし熱を出している間に自分の前世が理髪師だったって思い出したのよ」

「…………お嬢様、今お医者様を呼んでまいりますね。今しばらくお待ちください」


  くるりとドアの方向へターンしたモニカの腕を、ガシッと掴んで引き止めた。


「信じられないかもしれないけど本当よ。そういう訳だからモニカ、髪切りバサミを持ってきて 」

「今度は一体、何をなさるおつもりですか!」

「まぁそう慌てることなんてないから落ち着いて。とにかく髪切りバサミを貸してくれればいいから」


 モニカが自分の前髪を切るために、髪切りバサミを持っている事くらい知っている。さぁさぁと促すと、ため息をひとつついてモニカが自分の部屋からハサミを持ってきた。


 髪の毛はさっきカットしてもらった時のままで、まだ湿っている。ドレッサーの前に座ったルシアナはくしとヘアクリップを使って髪の毛をブロッキングして、さらにモニカに借りたハサミを使って髪を切ろうとしたその瞬間、モニカが悲鳴を上げた。


「おおおお嬢様っ! まさかご自分で髪を切ろうとしているのですか?! ダメですよ、絶対っ!」

「だーいじょうぶ! まあ見ていて」

「なにが大丈夫なんですか! あぁっ……!!」


 はらり、とプラチナブロンドの髪の毛が床に落ちた。


 どうせなら、思い切ってきっちゃおーっと。


 口元に手をあてて固まっているモニカをよそに、調子づいてきたルシアナは軽快なハサミさばきでチョキチョキと自分の髪をカットしていく。


 ああ……なんだか懐かしいわ。

 前世で美容師になろうと志して専門学校へ入る前には、自分の髪の毛でよく練習したんだっけ。


「よしっ! こんな感じでいいんじゃないかしら? さて、あとは乾かしてからドライカットで仕上げっと。モニカ、お願いしますわ 」


 呆然として見ていたモニカはハッとして我に返ると、ルシアナの頭に手のひらを向けて魔法の呪文を唱えた。


「アエオリア・ブロウタス、風よ吹け!」


 この世界には以前居た世界のように電気を自由に使えない。電気と言えば雷か静電気くらいだけれど、魔法という不思議な現象をおこすことはできる。ただし魔力があればの話で、ルシアナには魔力は皆無だ。

 モニカは魔力が強くはないものの、ちょっと風を吹かせてみたり、光を灯したりくらいの魔法は使えるので、こうしてよく髪の毛を乾かしてもらっている。

 髪の毛を乾かし終わった後はさらに仕上げのカットをし、ヘアオイルでスタイリング。

 一通りやり終えたルシアナは鏡に映った自分を見て呟いた。


「やだ、わたくしの可愛いさ二割増じゃない?」


 腰まであったルシアナの髪は鎖骨の辺りまでバッサリと切って短くなり、ふわりと風に舞いそうな軽やかな頭になった。

 さらに気になっていた面長な顔は、頬骨の辺りに横幅が出るようにカットしたおかげで縦ラインが和らいで卵型に近づいたように見える。


「本当ですね……。これは二割増どころか倍です、倍!!」


 ついに仕上がったルシアナの頭を見たモニカも、コクコクと何度も頷いて同意した。


「ですが……こんなに短くしてしまって、奥様がなんと仰ることやら……」

「あら。大丈夫よ、多分。丁度夕食の時間じゃない? 早速みんなにお披露目出来ちゃうわ!」


 足取りも軽く食堂へと入っていくと、既に両親と姉が座っていた。入室してきたルシアナに母がのんびりと向けて話しかけてきた。


「ルシアナ、遅かったじゃありませんか。さあ早く座って……なっ、なんですか、その髪は?!」

「うっふふー。素敵でしょ?」

「素敵でしょ、じゃないでしょう、そんなに短くして! それではまるで農村かどこかの貧しい娘のようだわ……あ、あら? でもそんなにみずぼらしくもないわね」

「でしょう? わたくしが自分でカットしたのよ」


 ふふんっ、と鼻高々に自らのヘアをアピールする。

 一般的にこの国で女性が短いヘアスタイルにするのは、髪の御手入れにかける余裕がないから。だから必然的に貧しく見えてしまうのだが、ルシアナのヘアは違う。

 ただ短く切りそろえたのではなく自分の骨格に合わせてカットし、ブローしてヘアスタイルを作り、さらに香油で艶を出しているのだ。どちらかというと、きめっきめの超お洒落スタイルだ。


「自分でカットしたって本当なの? 信じられないわ」

「熱でうなされているうちにわたくし、新たな特技を発掘しちゃったみたいですわ!」


 驚いている姉のベロニカに、てへっと笑ってみせると「凄いわー」と素直に感心している。

 

 お姉様の髪の毛は相変わらずね……。


 ベロニカの髪の毛は強いクセ毛の為に、フワフワを通り越してボサボサに近い。毎朝クシを通すのも一苦労なようで、ヘアセットに30分以上はかかっているらしい。

 今日ルシアナの前に、ベロニカが理髪師にヘアカットをして貰っていたはずだが、いつも通り毛先を切りそろえてもらっただけなのだろう。この国では極一般的なワンレンスタイルだ。


「まったく。ルシアナときたらなんでこう、ベロニカのように慎ましく、お淑やかにしていられないのかしらねぇ。あなたの行動力があり過ぎるところ、何とかならないの? そんな事では良縁に恵まれませんよ。あんまり出しゃばりだと男は嫌いますからね。だからね、ルシアナ。あなたは……」

「まあまあまあまあオリビア、髪の毛なんてすぐに伸びるさ。さあ食事が冷めてしまうよ。頂こう」

「もうっ、あなたったら呑気なんだから」


 渋々と引き下がった母を見て、父は穏やかに笑っている。

 

 母のオリビアが少々神経質になるのも無理はない。父も、そして祖父も結構のんびりとしてマイペースな人達だ。


 公爵という身分にあるにもかかわらず、スタインフェルド家は決して贅沢三昧出来るような財政状況にはない。

 先々代が王の弟だった事から公爵の爵位を賜り、このルミナリア地方を領地として預かっているが、ただそれだけ。

 めぼしい資源も目立った産業もなく、強いて言うならば特産品のリンゴがあるくらいで、ルミナリアってリンゴ以外に何があるの? なんて世間では言われているような、超ド田舎なのだ。


 ルミナリア地方を盛り上げよう!


 と、母が嫁いできた時には父も頑張ったらしいのだが、如何せん父にも祖父にも領地運営の能力とか、ビジネスセンスというものが備わっていない。結局赤字ばかりを出してしまい『何もしない方がいい』というのが我が家の定石となってしまった。


 そんなスタインフェルド家だから、母は娘達を少しでも良い縁談に恵まれるようにと神経を尖らせ気味になっている。

 取り分け姉・ベロニカの縁談相手は、我が家にとって最重要事項と言ってもいい。


 というのも、父と母には娘しかいない。


 この国では爵位を継ぐことが出来るのは男の実子か、もしくは婿養子だけ。だから長女のベロニカの結婚相手が、父の後に爵位を継ぐ人となるのだ。

 母と姉とが来週行われる公爵家主催のパーティーについて話していると、父がタイミングを見計らうようにして咳払いをした。


「そう言えばだな、オリビア。先程、第一王子殿下付きの従者から連絡があってな。一週間後に公爵邸(ここ)を訪れる故、泊まらせて欲しいと言うことだ」

「なんですって? 一週間後?!」

「なんでまたそんなに急なのですか?」


 母も姉も急な話に目を見開いている。


 第一王子殿下……確かルシアナより一つか二つくらい年上の方で、王都ではまだ社交界デビューもしていないというのに大人気なのだとか聞いたことがある。


 名前は確か、ケイリー・スタインフェルド。


「ケイリー王子は避暑の為に、毎年夏になるとアルベリア伯爵の所へ滞在するだろう? 通るはずだった橋が壊れて復旧には時間がかかるからと、少し遠回りをして向かうんだそうだ」


 アルベリア伯爵の住む城は、ここから北西にある。王城から最短で向かうルートには我が家の方は通らないのだが、今回は事情が変わったらしい。


「そうですか……それでは仕方ありませんね。でもよりにもよってパーティーのすぐ後じゃないの。こうしてのんびり食事をしている暇なんてないわ! 早く準備を進めないと」


 ナイフとフォークを素早く動かし食事を終わらせた母は、これまた素早い動きで食堂から出ていった。


「王子様ですって。顔見知りになっておいて損はないわ。ね、ルシアナ」

「話のタネくらいにはなりわすわね」


 こらこら、と窘める父をよそにルシアナも席を立って部屋へと戻った。

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