17.ルシアナ、迷う
悪夢のお茶会から一夜明け、ルシアナはあてもなくプラプラと街を歩いている。
リゾート開発? カジノ? ウィンタースポーツ??
あの後ウィンストンは父に、遊学へ出ることとカジノリゾート計画について話したらしい。
夕食の時間は重たい空気が流れて、誰も、一言も喋らなかった。
婚約前から既に、スタインフェルド家はウィンストンの手中に収められたも同然だった。
「何が正しいのか分からないわ……」
ルシアナはりんご酢を使ったヘアケア製品を世に広めて、ルミナリア地方を再建しようと考えていた。りんごの使い道が増えれば、ルミナリアはまだやれると思ったのだ。
一方でウィンストンは、りんごのルミナリアからリゾート地のルミナリアにしようとしている。
長閑なりんご畑の広がるこの風景が好きなのは、もしかしたらルシアナだけなのかもしれない。
領民達は苦労してりんごを育てるよりも、カジノで働くことを望んでいるかもしれない。
そう思うと、ルシアナのやろうとしていることは馬鹿げている。真に領民のことを考えるのなら自分達の感情など置き捨てて、ウィンストンの案に素直に乗るべきだ。
「この街もあと数日で見納めだ」
黙々と考え込んでいるルシアナの耳に突然、ケイリーの声が聞こえてきた。
「ケ、ケイリー様。なぜこんな所に?」
「フラフラと出かけて行く君を見かけてさ。心配だったからついてきたんだ」
「ケイリー様に心配して頂かなくとも、きちんと護衛の騎士は付いてきてくれていますわ」
子供だからといって一人で街を歩くほど抜けてない。一人になりたいから侍女は付いてきていなくても、きちんと出掛ける旨は伝えたので、護衛は何処かからひっそりとついてきてくれている。
「ホント君、可愛くないね」
「ええ、よく存じ上げております」
「…………」
「…………」
なんか、言ってよ。
「明後日にはここを発つ予定なんだ」
「アルベリア伯爵の所へ行くのですか?」
「そう」
ケイリーはパンツのポケットからハンカチを取り出すと、近くのベンチに敷いて「どうぞ」と座るように促してきた。
一人になりたいのに……。
空気の読めない王子だと思いつつ、けれど少しだけ誰かと話したい気持ちもあったルシアナは、素直に座ることにした。
「わたくしは行ったことがないのですが、どんな所なのですか? 魔物が多く出ると聞きましたけれど」
アルベリア伯爵の領地は隣り合わせだが、行った事がない。
「うん、そうらしいね」
「そうらしいって、毎年避暑のために行っているのではないのですか?」
「伯爵のところはここよりもずっと、街の防衛がしっかりしているんだ。街や集落の周りは高い壁で囲まれて、飛行する魔物はともかく、普通の魔物は中へはそう簡単に入れないようになっている。こちらは魔物の出る数はずっと少なくても、防衛意識が弱いから、どちらが安全かと言われたら変わらないくらいじゃないかな。実際、毎年行くけど、危険な目にあったことはないしね」
飛行する魔物はそんなに数としては多くないし、きっと高台などの見張りが多くいるのだろう。
王子が避暑地としてルミナリアではなくアルベリアを選ぶくらいだから、安全面での心配はなさそうだ。
「そうなのですか……」
「もしかして、僕の身の安全でも案じてくれたの?」
イヒっとイタズラげな笑みを浮かべて、顔を覗き込まれた。
「ちっ、違います! なんで王子がルミナリアじゃなくてアルベリアを避暑地として選ぶのか、気になっただけですから!」
なんて自意識過剰な王子なんだろう。
自分の意思に反して、顔が一気に熱くなった。無駄に顔が綺麗だからやんなっちゃう。
「あーあ、それはね、アルベリアの方が道は整備されているし、栄えているからね。この辺りは公爵邸の近くだから整っているけど、ルミナリアのほとんどの道は舗装されてない地面がむき出しの道だった。でもアルベリアでは多くの道が石畳で美しく整えられているんだよ」
「そう……なのですか」
「それに街並みもこことは随分と違うよ。ここがルミナリア公爵の領土で一番大きな街なんでしょう? はっきり言ってこの程度なら、アルベリアで言ったらちょっとした町くらいのレベルだよ。王都に住む者がみたら、ここが主要地だなんて驚くだろうね。人の活気が全然違う。なんて言うのかなぁ。もっと熱を帯びてる感じ?」
何だか泣きたくなってきた。
アルベリアでは魔物が多く出る代わりに、魔石も多く取れる。生活には欠かせない魔石は一年中高く売れるので、アルベリアの領主も領民も潤っているとは聞いていた。
けれど実際に話を聞いてみると、悔しくて、腹立たしい気持ちにすらなってくる。
アルベリアはルミナリアの隣だ。人間が勝手に引いた境界線があるだけで、自然にはそんなものはない。冬は雪に閉ざされて気候だって似ているのに、魔物の出現率の高さだけでどうしてこんなに差ができてしまうのだろう。
「カジノリゾート……」
「ん?」
「カジノリゾートが出来たら、きっと活気のある街になるでしょうね。領民たちだって、華やかなカジノで働いた方が楽しいでしょうし」
もしカジノが出来たら、豪勢な宿屋や飲み屋がずらりと立ち並び、街は一気に華やぐだろう。
ウィンタースポーツを楽しむのなら、道具の貸出屋や施設の需要もある。
街の様相が変わることを恐れて、しがみついてはいけない。大好きなルミナリアの民を、余所者に任せたくないなんてつまらないプライドで苦しめてはダメだ。
ポタポタと瞳から、生ぬるい水滴が零れ落ちてきた。
「ごめん。ハンカチもう一枚、持ってないんだ」
そう言うとケイリーは、ルシアナの頬を手で拭った。身長はほとんど変わらないのに、見かけによらず大きな手だ。
「勘違いしないでほしいのだけど、僕はルミナリアがつまらない場所だとは思っていないよ」
返事の代わりにズビッと鼻をすすると、ケイリーは改めて街並みに目を向けた。
「ルミナリアは確かに田舎臭いところはある。けれど自然が豊かで水も空気も美味しいし、心が安らぐよ。なにより領民たちが穏やかでせかせかしてないし、優しいって印象を持ったね。都市部だと衛兵をあちこちに置いても悪さをするやつがゴロゴロといるけれど、ここはそんな事ないでしょ? こうして街歩きをしてもスリにあったり、見かけたこともない。物乞いもほとんどいないし、スラム街もない。珍しいよ」
ルミナリアは貧しい。
どこの家庭も大した蓄えはなく、いつ底をつくか分からない。
明日は我が身の精神が染み付いているから、飢えている者には食べさせてやるし、家がなければ入れてやる。
そうやってみんな、手と手を取り合ってなんとか冬を凌ぐのだ。
だからルシアナをはじめとする公爵邸の者たちは、自分達の贅沢など考えない。少しでも領民たちの暮らしが安定するように、常に節制を心がけている。
そんなルミナリアがルシアナは大好きだし、愛おしい。
大好きな人達には、幸せであって欲しい。
それがルシアナの1番の願いだ。
「領主に似て領民ものんびりし過ぎているのが、いけないところかもしれないけれどね」
「ええ、そうですわね」
街の方へと目を向ければ、そこにはゆったりとした時間が流れる長閑な日常風景が広がる。
店先に出した木箱に座って、欠伸をしながら空を見上げるおじさん。もう何十分も前から同じ場所で井戸端会議をしている女性達。道のど真ん中でけんけんぱをして遊ぶ子ども……。
やはりルシアナのちっぽけな感情で、領民に苦労させるわけにはいかない。
「慰めて下さりありがとうございました。わたくし決めましたわ。ウィンストン様の案に乗るのは正直気が進みませんでしたが、わたくしも微力ながらリゾート開発の応援をしようと思います」
「……決意を固めた矢先にこんなことを言うのは悪いんだけど、君にはもう一度よく考えて欲しい」
「え?」
ケイリーが何を言おうとしているのか真意が分からず顔を見ると、真っ直ぐに瞳を見つめ返された。
「将来僕は、国の舵取りを任されるかもしれない。そういう立場にある者からの助言だと思って聞いて欲しい」
「は、はい」
「僕に限らず父も同じ考えだとは思うけど、自国の民には豊かであって欲しいし、幸せであって欲しい。多少の困難はあっても笑って過ごしてもらいたい」
「そうですわね。だから……」
だからリゾート開発に領主家族一丸となって取り組むべきだとルシアナは言おうとしたが、ケイリーの人差し指で口を押さえ付けられてしまった。
「飢えないこと、住む場所があること、働ける場所があることは大前提として、民にとっての豊かさとは何か、幸せとはなにか。そこの所をよく考えて欲しい」
「民にとっての豊かさ……?」
「君の場合ならこのルミナリア公爵領の民のことさ。ずっと一人で考え込んでいるけれど、何を望み、どんな暮らしをしたいと思っているのか、決断する前にもっと民の声に耳を傾ける必要があるんじゃない?」
「――――!!」
ケイリーの言うことはもっともだ。ルシアナの思いだけでずっと、どうするべきかを考えていた。
このルミナリアの地は、ルミナリアに住む民のためにある。領主とはただ、それを統括する者に過ぎない。実際に暮らす者たちの声を聞かずして大事なことを決めるのは愚かだ。
そうだった! と目を見開くと、ケイリーはニコリと笑った。
「分かってくれたようだね。さて、もうすぐここを出発することだし、家族へのお土産でも買おうかな。何にするか一緒に選んでくれる?」
「もちろんですわ。りんご酢は是非、王都にお持ち帰って宣伝をお願い致しますね。沢山お譲りしますわ!」
「ははっ、抜かりないお嬢様だ」
まだどうするべきか決まったわけじゃないけれど、自分がまず何をすべきかはハッキリとした。
ルミナリアの民の声を聞く。
ルシアナがまずしなければならないことは、これだ。