16.ルシアナ、行きたくもないお茶会に参加する(2)
ケイリーとウィンストンとがお喋りしているのを片耳で聴きながら、ちびちびと紅茶を口にする。
早く終わんないかなぁ。
ベロニカの隣は当然ウィンストン。そして空いたケイリーの隣は必然的にルシアナの席となった。
ベロニカは男たちの会話には入っていけず、微妙な笑みを浮かべながらウィンストンの横で小さく相槌をうっている。
婚約前からこれなのね……。この構図がウィンストンかベロニカ、どちらかが死ぬまで続くのかと思うとため息をつかずにはいられない。
ルシアナは思った事を言うし、やりたい事をやってしまうタチだが、ベロニカはその真逆の性格だ。奥ゆかしいと言えばそうなのだけれど……。
ベロニカの旦那様になる人が、思いやりに溢れる優しい男性ならばなんの問題もない。きっと良い夫婦関係を築けるだろう。
けれどベロニカの夫となる人はこの、ウィンストン・バルドーだ。
ベロニカが一生をウィンストンの顔色を伺い、怯えながら暮らしていくことになるんじゃないかと心配でならない。
サクサクとクッキーを齧って食べるルシアナの斜め前では、ウィンストンが時々ケイリーを煽てながら、自慢話をベラベラと喋り続けている。
「今、私が新しい事業として取り組んでいるのはカツラですよ。この国では自前の髪の毛を良しとしますが、私はカツラを流行らせたいと思っているのです」
「へぇ、カツラねえ。別に今生えている髪の毛で十分かと思うけど。わざわざなんで、別の髪の毛をくっつける必要があるの?」
外見を磨くことに興味のないケイリーは、きっとカツラへの興味はゼロだろう。ルシアナ一人が食べ続けずっと手をつけていなかったクッキーに、ケイリーも手を伸ばしてパクパクと食べ始めた。
「私がこの事業を思い付いたのは、我が婚約者のためですよ」
急に自分へと話題が振られて、ベロニカがビクッと肩を震わせた。
「ベロニカ嬢のためですか?」
「ええそうです。ご覧いただければ分かりますでしょう? 彼女は髪の毛に少々難がある。いや、かなりかな? ははっ、まあともかく、この見るに堪えない頭を何とかしてやりたいと思いましてね。カツラで覆ってしまえばいいのですよ」
二ィィっと笑いながら喋るウィンストンの横では、ベロニカが涙をこらえて震えている。
「ほら、臭いものには蓋と言うではありませんか。見せなければいいのですよ。一人だけ被るというのは可哀想ですから、流行らせてしまえば恥ずかしくもない。ついでにバルドー家は儲かる、とね。はっはっはっ! いや、実にいい案だとは思いませんか?」
ルシアナはカツラ事業に対しては悪い案だとは思わない。なりたい自分に近づくためにカツラを被ったっていいと思うし、そういう流行りがあったっていいと思う。
けれど、他者にそれを押し付けるのは違うでしょう?
声を荒らげて反論したくなったルシアナよりも先に、ケイリーは冷ややかな声で言った。
「僕にはベロニカ嬢が地毛を隠す必要など、全くないように見えるけどね」
「ああそれは、殿下にとっては他人事だからですよ。自分の横に並ぶ花はやはり美しくなくては。そうだ! 事業と言えばもう一つ、これからやろうと考えている構想がありましてね。殿下には特別に、先にお話ししておきましょう」
カツラ話でうんざりした様子のケイリーは、2枚目のクッキーを手に取り、目も合わさずに「何かな」と相槌をうった。
「私がスタインフェルド家に入ったら、このルミナリア地方にカジノを作ろうかと思っているのですよ」
「カジノですって!?」
想定外の話しに、ルシアナは思わず立ち上がってしまった。
カジノなんて話しは、1ミリも、1デシベルも聞いたことがないわ!!!
「どうやら、家族となる者たちすら知らない話しみたいだね」
「ええ、お慕いしている殿下にだからこそ、特別ですよ、特別。こんな大した金にもならないりんご畑なんて切り倒して、巨大なカジノリゾートを作るのです。夏は涼しさを活かして避暑に、冬はウィンタースポーツを楽しむのも良いでしょう。南に住む奴らは雪を珍しがりますからねぇ」
『特別』を強調するあたり、媚びているのが見え見えで気持ちが悪い。
「カジノだなんて、お爺様がお許しになるはずがありませんわ」
祖父も、そして父も、このルミナリア地方のりんご畑を愛している。
それを切り倒してカジノリゾートにするだなんて、絶対に反対するに決まっている。
「それはどうな。ルミナリア地方がこうなったのはルミナリア公爵の責任だろう? このままいけばいずれ破綻する。己の能力の無さを自覚した公爵も君の父親も、だから私を跡取りにとベロニカとの婚約を了承した。違うかい? ルシアナ嬢」
うううぅっ。
全くもってその通りすぎて、ぐうの音も出ない。
ウィンストンの話しにクッキーを食べる手を止めて耳を傾けていたケイリーが、顎に手をやり考え込んでいる。
「カジノリゾートねぇ……。発想自体は悪くは無いと思うけど、農業は『食』を生み出す産業だ。暮らしの根底を握る重要な産業を捨てて、娯楽施設というのはいかがなものだろう?」
「もちろん全ての畑を潰すとは言っておりませんよ。私が言いたいのは、余剰分を潰せばいいという事です。輸入フルーツに押されて、りんごの価格は年々下がっている。つまり作りすぎて余っているということ。余っている分を潰したところで困りはしません。むしろりんごの価格は戻るでしょう」
「ふむ……確かに。畑を失った者はカジノで働けば良いしね。言っていることは理にかなっている」
「さすがはケイリー殿下、話しの分かる御方だ」
ウィンストンは満足げな様子で紅茶を口に含むと、更に話を続ける。
「このウィンストン・バルドーが、しみったれた田舎臭いルミナリアを変えてやりますよ。馬車がすれ違える広い道を四方にドーンと通して、風通しを良くするのです!」
「へえ、それは見物だね」
「カジノが出来た際には、どうぞご贔屓に」
ウィンストンの満面の笑みに、ケイリーもまたにこりと笑顔で返している。
「それで、ベロニカ嬢とはいつご結婚なさるのですか?」
「婚約式が2ヶ月後、結婚式はそこから更に3、4年後の予定です」
「貴方のことだからもっと早く結婚して、行動に移すものだと思っていたよ」
「私も早くにとは思ったのですが、来年には私の姉が結婚するもので。その後という事になったのですが、折角ですから結婚前に遊学でもしようかと思いましてね。4年もすればベロニカは成人しますし、調度良いでしょう」
「遊学、なさるのですか?」
ベロニカも今知らされたのだろう。目を見開いて、恐る恐るという風にウィンストンに訊ねたが、当のウィンストンはケイリーの方を見ながら話し始めた。
「物を売る仕事はよく手がけるのですが、リゾート開発はバルドー家でも初めてでしてね。あちこち勉強して回ってきた方がいいと父からアドバイスをもらったので、従うことにしたのですよ。急いては事を仕損じるものでしょう?」
「なるほど。思いつきで事を進めるには、大きな計画だからね」
「ええ、よく計画を練りませんと。そういう訳だからベロニカ、それまでに自分に良く似合うカツラを作っておいて貰うといい。式でカツラ姿を見た者たちが、君の美しい変貌ぶりに驚くようにね。ああ、そんな顔をしなくたって大丈夫さ。私も一緒に宣伝がてらにカツラを被ろう。われわれの式を見たら飛ぶようにカツラが売れるぞ! そうしたらカジノ開発資金も潤沢になる。はっはっはっ!」
なんにも……! なんにも面白くなんてなぁァァいっ!!!
頭の血管が切れるかと思うほど頭に血が上ったルシアナは、その後、お茶会がどう終わったのかよく覚えていない。