13.ルシアナ、提案してみる
夕食会の後、何日か雨が降ってケイリーをりんご畑に案内したのは、滞在5日目のこと。
汚れてもいいように簡素な服を着て、祖父のいるりんご畑へとケイリーを伴いやって来た。
本当なら無視したいくらいの気持ちだが、そこはお互い身分のある身。表面上は仲がいいように取り繕って接している。
「おじい様、ケイリー様を連れてきましたわ」
りんご畑の手入れをしている祖父の足元では、ヤギがボサボサに生えた雑草をはみながら、尻から糞をポロポロと落としている。それを気にする風でもなく、ルシアナの呼び掛けに応えて手を振り返してきた。
「ケイリー王子、お待ちしておりました」
ニカッと笑った顔には多くの皺が入っているが、生き生きとしていて生命力に溢れている。どの家に生まれるかなんて選べないので仕方がないが、祖父は公爵家などという立派な家柄より、農家にでも生まれてきた方が良かったよかもしれない。くたびれて死にそうだった祖父は、少なくともあと10年は死にそうにない。
「今は何をなさっていたのですか」
「剪定ですよ。夏には枝葉がどんどん伸びてきて生い茂ってしまうので、こうして切り戻しをしてやるんです」
「そうでしたか。それでそちらの方達は?」
訊ねたケイリーの目線の先には、祖父の後ろに何人か頭を下げて立っている男たちがいる。ルシアナは時々祖父の所へ遊びに行くので、この人達とは顔見知りだ。
「ああ、こちらはこの農園で雇っている農夫で、そしてこちらは儂の師匠ですよ」
祖父と同い年くらいのおじさんを紹介すると、照れて「師匠だなんてそんな」と首の後ろをかいている。
「師匠?」
「ええ。十数年前に儂が農業を始めた時から農作について教えて貰っていてね」
「そうですか。どうぞ皆さん頭を上げて楽にして下さい。……けれど公爵、りんごなんて木を植えればなるものではないのですか?」
ケイリーは後ろで頭を下げ続けている男たちに声をかけると、近くになっているまだ青く小さなりんごをしげしげと眺めながら訊ねた。
「儂もそう思っていたのですが、いやぁ、とんでもない。病気やら虫やらで最初は酷い目にあいましたよ。それで辺りでりんごを育てている農民に教えをこいて、ここまで農園を続けてこれたというわけです」
「おじい様の師匠は領内に沢山いるのですわ。ね?」
「ああ、みんな親切だからね。良い領民に恵まれたものだよ」
「何をおっしゃいますか。良い領主様に恵まれて感謝しているのは我々民の方ですよ」
和気あいあいと話す民と祖父とをみて、ケイリーは目を細めた。
「ルミナリア公爵は領民と良い関係を築いているようですね。王都に流れてくるのは悪い話しばかりでしたので心配していたのですが」
「悪い話し? なんですの?」
「財政難で、領民は酷い暮らしぶりだと聞いておりました。冬になるとあちこちで凍えて飢え死ぬ者が転がっているとか」
「はっはっはっ……と笑っている場合ではありませんな」
快活な笑みが祖父の顔からフッと消えて、目を伏せた。
「あちこちで飢え死にとまではいきませんが、お恥ずかしい話し、民の暮し向きは良いとは言えませんのでね。儂の祖父がルミナリア公爵の位を授かってからこれまで、領地運営の才のある者に恵まれなかった。今は息子が頑張ってくれていますがね……。孫娘の婿にはバルドー家の三男を迎えて、少しは風向きが変わるといいとは思っています」
「婚約予定だとお聞きしました。あそこの一族はやり手だと、王都でも名が通っております」
「ええ。他所に頼るのは儂としても心苦しくはあるのですが、背に腹はかえられんでしょう」
やはりおじい様も、バルドー家の者を招き入れるのは不本意なのね。
しんみりなどしてはいられない。ルシアナは先日の夕食会からずっと考えていたことを口にしてみることにした。
「おじい様、わたくしずっと考えていたのですが、りんご酢をもっと全国に広めてみるというのはいかがでしょう」
「りんご酢をかい?」
「ええ。ルミナリア地方以外ではまだりんご酢は珍しいのでしょう? それならもっとお料理に使ってもらって消費してもらうのです。生のりんごが売れないのなら、保存の長く効く加工品をもっと売るべきですわ」
ジャムは元から全国に流通しているので、これ以上の売上は見込めない。
他の加工品と言うとジュースが思いついたけれど、保冷して運ぶというのは現実味に欠けるし、前世の世界よりも技術的に遅れていて賞味期限的にも長くは持たないのだ。
その点りんご酢はジュースに比べると保存が効いて、遠くまで運んで売ることが出来る。
りんご酢が全国的にポピュラーでないのなら、売り込む余地はまだあるということだ。
「うーむ……りんご酢を」
「お嬢様、領主様の前でこんな事を言うのはなんですが……」
考え込んで唸っている祖父の脇から、師匠と呼ばれていたおじさんがおずおずと手を挙げた。
「何かしら?」
「あれは、お嬢様達が生まれるより前のことでしたでしょうか。領主様は以前、シードルをもっと広めて売り出そうとしたことがあるのです」
「う゛っ……嫌な思い出だな」
シードルというのはりんごの果汁を発酵させて作るお酒。ルシアナはまだお酒を飲めないので知らないけれど、程よい甘みと酸味がある、スッキリとした飲み口のお酒らしい。
祖父の反応を見るに、失敗談のようだ。
それで、と目線で促すと、ケイリーも興味津々な様子で師匠の話しに耳を傾けている。
「りんご酒はこの辺りでは当たり前に飲みますが、他の地域ではまだそんなに認知されておりませんでしたので、今のお嬢様の様な考えで全国的に広めようとなさったのですよね、領主様」
「ああ、そうだ。ぶどう酒の地位をとって食ってやろうと目論んだのだが、結果はわざわざ話さなくても分かるだろう?」
過去を思い出している祖父は、肩を落としながらため息をついた。どんな結果に終わったのかはルシアナでも分かったが、先にケイリーが答えてくれた。
「あー、今でも日常的に飲まれる酒と言ったら、ぶどう酒か麦酒ですね。僕はまだ酒を嗜む歳ではありませんが、周りの大人がシードルを飲んでいるところは見たことがありません」
「たまに嗜む程度の需要はあったが、日常的に飲むとなるとやはりな。あの二大巨頭には全く歯が立たなかったよ。ははは……」
力なく笑う祖父の姿に、見えかけていた希望が消えてしまった。きっと祖父なりに精一杯やれる事をやっての結果だったのだろう。
「その失敗事例を考えると、りんご酢を日常的に使ってもらうのは難しいんじゃないかって事ですわね」
「一部の地域の風習を、日常レベルで使われるほどに全国に広めるというのは容易くはないだろうね。食は地域や個人それぞれの好みやこだわりも強いし。不可能ではないだろうけど、相当な、それも根気強いプロモーション活動が必要だと思うよ」
「あーあ、いい案だと思いましたのに」
こうなると、ぶどうに対してジェラシーを感じてきた。ぶどう酒もバルサミコ酢も、国内だけと言わず近隣諸国でも覇権を握っている。りんごだって古くからあるフルーツなのに、何故こうも需要に差が出るのか。
「僕も微力ながら、りんご酢の美味しさは王宮に戻って広めるよ」
不貞腐れるルシアナに、ケイリーが元気付けるようにして頭をポンポンと撫でてきた。
子供扱いされた感じでイラッとしたのが三分の一、兄がいたらこんな感じなのかなと心がくすぐったくなる感じが三分の一で、あと残りの三分の一は心臓がきゅっとなる複雑な心境になった。
「ところで公爵、ヤギの他にも蜂を飼っておられるのですか?」
ヤギの糞がそこらじゅうにポロポロと落っこちているのも気にせず、ケイリーは少し先にある木箱へと近づいていく。
へぇ、温室育ちのお坊ちゃんかと思っていたのに、結構神経が図太いのね。
王都からやって来た貴人なら当然嫌がるだろうと思っていただけに、少しだけケイリーのことを見直した。でも、あの「馬鹿」発言だけは許せないけど。
「果樹園では養蜂も同時に行うことが多いのですよ。なぜだか分かりますかな?」
「うーん……もしかして、受粉させる為かな? 蜂は蜜を集める時に、花の受粉を助けるのだと習ったよ」
「ご名答です。受粉を蜜蜂に手伝ってもらって、たくさんの実を付けてもらおうという訳です。はちみつも重要な収入源ですが、最近は南の国からサトウキビとかいう植物から取れる砂糖が入ってきているせいで、りんご同様、価格が低くならないかとヒヤヒヤしておりますよ」
この辺りの国々では、砂糖といえばてん菜から作る砂糖が一般的だったが、近年では南の国から次々と砂糖が輸入されてきている。甘味が比較的簡単に手に入るようになれば、はちみつも油断していると、あっという間に波に飲まれてしまうかもしれない。
あっちもこっちも南の国からの輸入品に押され気味で、頭が痛くなってくる。
当然この国からも色々と輸出しているのだろうけれど、輸出の恩恵をルミナリア地方は受けていないのが現状だ。
その後もしばらくケイリーをりんご畑の中で説明して過ごすと、本邸へ帰る頃には夕方近くになってしまった。