12.ルシアナ、自身の知る世界が狭い事を知る
夕食会にはルシアナの両親と姉はもちろん、ルミナリア公爵である祖父と公爵夫人の祖母も参加している。
公爵と王子とが簡単な挨拶を済ませると、食事会が始まった。
「おじい様、今日はちゃんとおめかししているのですね」
「もちろんだよ。王子殿下との食事会に、まさか野良着で来る訳には行かんからな」
祖父は「はっはっはっ!」と豪快に笑うと、食前酒を飲み干した。
祖父は普段、屋敷の本館には居らず、りんご畑に囲まれた離れで祖母と暮らしている。
ルシアナが生まれた頃の話しだが、公爵は昔、大病を患い病床に伏した。残り少ない人生を自由に過ごしたいという公爵の願いで、夢だったりんご畑を耕すことに。
やせ細り、生気もなくなった公爵の余命は幾ばくも無いと思われていたが、農夫になってからというもの周囲が驚くほどの回復をみせ、今では筋肉質な元気なお爺さんに大変身を遂げた。
もともと身体を動かすことが好きだった祖父は、領主の仕事より農家の仕事の方が肌に合っていたようだ。
一方ルシアナの父はと言うと、爵位は死後でなければ継がせることは出来ないので、祖父が今もルミナリア公爵ではあるものの、実質的な家督はルシアナの父へと譲られ領主として動いている。
大人達が食前酒を飲み終わる頃、前菜のサラダが運ばれてきた。レタスなどの生野菜とオリーブの実に、生ハムが何枚か乗っかっている。それに別添えの小さな容器に入っているドレッシングをかけて食べ始めると、隣に座るケイリーが一口食べてフォークを動かす手を止めた。
何の計らいだかは知らないけれど、ルシアナは不本意にもケイリーの隣に座らされたのだ。
ベロニカはもうすぐ婚約するので、未成年とはいえ男性を隣りに座らせるのは相応しくないと判断し、代わりにルシアナを座らせたのだろうけど、あの口喧嘩の後だ。どうにも居心地が悪い。
とはいえゲストを完全無視する訳にもいかず、ルシアナは先程の事などなかったかのように、穏やかな声でケイリーに話しかけた。
「ケイリー様、どうかされましたか?」
「うん?」
「フォークを持つ手が止まっていらっしゃるので……。料理がお口に合いませんでしたか?」
「ん、いや。すごく美味しいよ。ただドレッシングの味がこれまで食べたことの無い味だったから。なんのドレッシングなの?」
「りんご酢のドレッシングですわ」
「へぇ、りんご酢! フルーティでサッパリしていて美味しいね」
これまで食べたことの無い味……?
「りんご酢のドレッシングって普通ではないのですか?」
美味しそうにパクパクとサラダを食べ始めたケイリーは、「うん」と頷き返してきた。
「そもそもりんご酢なんて口にするの初めてだから」
「そうなのですか……」
驚くルシアナに、祖父が再び「はっはっはっ」と笑ってルシアナに話しかけた。
「ドレッシングにりんご酢をかけるのはルミナリア地方特有の文化なんだよ。他では麦から作った穀物酢かぶどうから作るバルサミコ酢が一般的だな」
「そうなのですか。わたくしが知る世界ってまだまだ狭いのですね」
前世の記憶が戻っても、領地から出たことの無いルシアナの知識はまだ浅い。
ちょっぴり自信をなくして肩を落とすルシアナに、ケイリーが微笑みかけてきた。
「うん、それを言うなら僕もだよ。同じ国に住んでいるのに、地方に行くと随分と暮らしは違うものだと思い知らされることばかりさ」
「それならりんごをサラダに入れて召し上がられたことは? りんごの採れる時期になると、この生ハムサラダにりんごが入っているんですよ」
「なにそれ? 生ハムにはメロンでしょう?」
「あら、生ハムサラダに生のりんご、それからりんご酢のドレッシングって最高の組み合わせですわ」
りんごはただ甘いだけのフルーツじゃない。あの爽やかな酸味とシャキシャキ感が、デザートとしてだけではなく料理にしてもよく合うのだ。
「そこまで言われると一度食べてみたいね。りんごが採れる季節に来ればよかったよ」
「ええ、りんごはルミナリアの誇りですから。ね、おじい様」
「ああ、そうさ。もうじき至る所からりんごの甘酸っぱい香りがして、いい季節になりますぞ」
りんごしかない田舎だと言われようと、何だかんだで皆、りんごへの愛は半端ない。
うんうんと頷くルシアナ達に、ケイリーはクスクスと笑っている。
「それでは今度、その自慢のりんご畑を見に行っても宜しいでしょうか? 折角ルミナリア地方にまでやって来たのに、特産物を拝まない訳にはいかないでしょう? 父上にも何をしてきたんだと叱られてしまいます」
「もちろん構いません。ルシアナ、今度案内して差し上げなさい」
この流れからいくと当然ルシアナに振られるとは思ったけれど、ルシアナのケイリーへの印象は悪い。けれど断る口実も見つからず、ルシアナは仕方なく「分かりましたわ」と答えて承諾した。