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【アルバート視点】
数時間後。峡谷でのクエストを終えた俺は、その足で直ちに王城へ戻っていた。
「――では、失礼いたします」
父上に深く頭を下げ、謁見の間を退出する。報告は問題なく終わった。扉を閉めると、外で待たせていたエレナたち三人が駆け寄ってくる。
「どうでしたか?」
「父上に全て伝えたが、問題なく進めていただけるそうだ」
王都での魔物の異常行動と峡谷での出来事。そして、それらは全て『異変』の影響の可能性が高いこと。それを伝えると、父上は『異変』に対して早急な対策を行うと約束してくれた。
「よかった……!」
「これで少しは状況が動きそうかな」
「ひとまずは安心ってところか。あれだけの化け物を相手にした後だしな」
三人の安堵した表情を見て、俺はようやく力を抜いた。……だが、今日のクエストは簡単に終わったわけではなかった。
――エレナが魔術を放った瞬間が脳裏に蘇る。強烈な光の奔流が谷底を満たし、それに怯んだ魔物は一歩後退した。
……しかし、
『――!!』
次の瞬間、魔物は身を震わせ大きく頭をもたげた。そして逃げるどころか怒りの咆哮を上げてこちらへと突進してきたのだ。
「えっ、嘘、なんで……?」
「……なんだか怒ってるみたいだね」
「前みたいに逃げるんじゃねぇのか!?」
セシルとダリウスが庇うように前に出ると、さっきまでの勢いが嘘のように、エレナは慌てて一歩下がる。
「待って、こんなはずじゃ……もう一度――あれ?」
彼女は再度魔術を使おうとするが、光を散らしただけで途切れた。焦りで魔力が乱れているのが見て取れる。
……さて。ここまで来れば、もう様子見は不要だ。
「俺が戦う。エレナは任せた」
二人が頷いた瞬間、俺は魔物の懐へ踏み込んだ。
「――そこだ!」
渾身の力で剣を振り抜く。鋭い音を伴う重い手応えと共に、巨体が大きく吹き飛んで岩壁に激突した。
「!? お、おお……」
腕に残る衝撃の重さに困惑した。――俺は、いつの間にこれほどまでの力をつけていたのだろうか。だが、今は驚いている場合ではない。戦闘に集中せねば。
ややあって、砂埃の中から魔物が立ち上がる。しかし、鱗の隙間からは血が滲み、四肢はふらついていた。もはや戦える状態ではなかった。
『……』
魔物は短く呻き声を漏らし、視線を逸らした。そして、傷をかばうようにゆっくりと谷の奥へと消えていったのだった。
――こうして、今日のクエストは幕を下ろした。予想外に見えるが、実際は全てルージュの読み通りだった。
彼女は事前にエレナの魔術を推測し、『あの魔術はボスには効かない。むしろ怒らせる』と言っていた。だからもしエレナが使った場合、俺が倒す段取りになっていたのだ。そして案の定、その通りになったわけである。
曰く、『技の効果がないパターンを忘れる』のは古今東西のゲームプレイヤーあるあるらしい。……とにかく、次からは同じ失敗はしないだろう。
考え込んでいると、エレナが不安げに口を開いた。
「アルバート様……もう大丈夫なんですよね? あの魔物がまた現れたらと思うと、少し怖いです」
「今日中に調査を出す。行き先はすぐ分かるはずだ。安心するといい」
ゲームでは、あの魔物は傷を癒すため群れを引き連れて峡谷を離れるとルージュから聞いている。心配はいらないだろう。
だが、休んではいられない。表情を引き締めて三人に告げる。
「俺たちも警戒を強める必要がある。『異変』の兆候を見逃さぬよう注意して動こう」
クエストは終わったが、事態は既に次へと動き始めている。
王都周辺の『異変』はもはや一部地域の問題ではない。シナリオ通りなら、父上は明日、貴族たちに『異変』対策の本格的な着手を宣言し、王国全体が大幅な防衛体制の見直しを余儀なくされる。
当然、俺にも仕事が回ってくる。……少なくとも数日は報告や調整で執務室に篭もることになるだろう。
「本格的に政務が動き出すはずだ。悪いが、俺はしばらく時間が取れない」
「じゃあその間は俺らで次の動きを考えておくか。殿下を待ってる暇はなさそうだしな」
「そうだね。今のうちにできることを整理しておこう」
学園に魔物が現れた日のことがまだ記憶に新しい中、さらなる『異変』の現状を見せつけられたのだ。危機感は否応なく高まっていた。
「大丈夫です。きっと私たちなら乗り越えられます。みんなで力を合わせましょう!」
こうしてエレナたちは次のメインクエストに向けて本格的に動き始めるのだ。
「頼もしいな。では、皆に任せよう」
――それに伴い、俺には今からやるべきことがある。
廊下の窓から差し込む光を横目に、俺たちは足早に執務室へ向かっていた。途中、曲がり角に差し掛かったところで、俺は三人に悟られないよう小さく合図を送る。
すると、その先から不意にウォルターが姿を現した。そして、反対側から歩いてきた俺たちと鉢合わせ、避けきれずにエレナと軽く肩がぶつかる。
「おや、失礼いたしました」
「い、いえ。こちらこそ……っ!?」
エレナは咄嗟に謝罪するも、相手の顔を確認した瞬間、驚いたように一歩下がった。そしてウォルターはさりげなくこちらへ視線を送る。
……よし、予定通りだ。
「ああ、お前か。……ちょうどいい」
そして俺は、何食わぬ顔で皆に紹介することにする。
「俺の従者のウォルターだ」
「ウォルターと申します。以後、お見知りおきを」
彼は丁寧な礼をした。しかしエレナは何も言わず、ウォルターの顔を見たまま動かない。
「エレナ、どうかしたのかい?」
セシルに声をかけられると、彼女はハッとしたように視線を逸らして口を開いた。
「あ……すみません。少し驚いてしまって」
「構いません。こちらこそ、先ほどは大変失礼いたしました」
「いえっ! その……私は大丈夫ですし、大した者ではありませんので、お気になさらず!」
エレナは視線を泳がせながら、さらに後ろへ退いた。その様子に対しても、ウォルターは表情を変えずに続ける。
「アルバート様と行動を共にされる方に礼を尽くすのは当然でございます」
「その……本当にお気遣いなく」
「左様ですか」
「……はい」
二人が言葉を交わすごとに空気が重くなっていく。ダリウスとセシルも声をかけられずに顔を見合わせて困惑していた。
……今日はこのくらいで切り上げるか。
「すまない、俺はウォルターと少し話をする。皆は先に執務室に向かってくれ」
「! で、では、私はこれで失礼します!」
場の空気を切り替えるように俺がそう言うと、エレナは明らかにホッとした表情で俺たちに頭を下げ、逃げるように足早に去っていった。それを追うようにダリウスとセシルもついていく。
「……どうだ?」
三人の姿が角を曲がって消えたところで問いかけると、ウォルターは心底面倒そうにため息をついた。
「率直に申し上げますが、明らかに距離を取られていました」
「そうだな」
少なくとも印象は良くなさそうだ。まあ、初対面であれほど露骨に避けられたのだから、無理もない。
しかし今は最低限、顔合わせという目的は果たせたので良しとしよう。
「とにかく、よくやった。もう業務に戻って構わない」
「……アルバート様の仰せのままに」
ウォルターはそう言って一礼すると、静かに廊下を歩き去っていった。
執務室に向かいながら、先ほどの場面を整理する。ここであの二人を会わせたことには、ふたつ目的があった。
ひとつはシナリオ通りに話を進めるためだ。ゲーム同様、ウォルターにはエレナの動向を密かに確認させる役目がある。それがこの時期から始まるらしい。
そしてもうひとつ、それはエレナの不用意な行動の抑制だ。
本来なら初対面にも関わらず、あれほど距離を取った。エレナはウォルターが何者かを知っているはず。ならば、監視されると困る理由があると考えるのが自然だ。
例えば、取り巻きとのやり取りや、ルージュを陥れるための細工。そして――あの異常な魔力量の伸びについての秘密。
何をするにしても監視の可能性がチラつくとなれば、彼女は大人しくせざるを得ない。先ほどの様子なら効果は覿面だろう。
そして、ウォルターの能力は折り紙付きだ。彼女が少しでも妙な行動すれば、巧妙に隠そうと、いずれ何かしらの報告は上がるはず――
「……」
思わず足を止めた。報告が上がるのは間違いない。しかし、それまでの時間がやけに遠く思えた。
エレナについて気になる点は多いが、やはり一番はあの力だ。
なぜあれほど急激に力をつけたのか、それが気になって仕方がない。それを知れば、コントロールもできるだろうし、俺たちも何かに活かせるかもしれないのだから。
ルージュならば、既に何か情報を掴んでいるだろうか。だが、彼女は屋敷にしばらく帰る予定だと聞いていた。それに俺も明日から忙しくなる。話ができるのは先になるだろう。
しかし、一度気になったものは、そう簡単には消えない。知れるのなら、すぐにでも知りたい。
――なら、選択肢はひとつだ。
「今日のうちに行くしかないな」




