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人気のない廊下に二人分の足音が響く。
『人の子はどこへ行くつもりだ?』
「少し図書館へ向かおうかと」
『図書館か。我も共に向かってもよいか?』
「ええ、もちろん構いませんわ」
隣を歩く白い犬は、歩調を合わせるように私を見上げた。この毛玉はあの祠の神。ゲームでは基本的にあの場所から動かない彼だが、ある程度の力が戻ると学園内をこの姿でうろつくようになる。
本来の姿の威厳はどこへやら、今はただの小さな犬にしか見えない。一応、犬ではなく狼のはずなのだが……可愛いのでよし。
もっとも、この見た目に惑わされてはいけない。彼のルートのバッドエンドでは、私はあっさり祟り殺されてしまうのだ。今は可愛い姿でも、神は神。それだけは忘れないようにしないと。
「それにしても、なぜこんな所にいらっしゃるのです?」
『ここのところ人の子らが姿を見せぬゆえな。久方ぶりに、この場を歩いてみたくなったのだ』
要は暇つぶしの散歩ということらしい。自由な神である。
あ、そういえば。
「ところで神様。最近『姫君』の様子が変わったとアルバート様からお聞きしましたの。何かご存知ではありませんこと?」
『……神は多くを語らぬものだ』
おっと、その言い方は絶対なんか知ってるやつ。そして聞いても教えてくれないやつだ。
「彼女の気が変わったということでしょうか」
『そうとも言えよう』
……うん。ダメだこれ。とりあえず一旦、話を流すことにしよう。大丈夫、彼が関わっている可能性があるなら思い当たる節がないわけでもないし、自分で突き止めればいいのである。
そんなこんなで世間話的なやり取りを交わしつつ、私たちは図書館へたどり着いた。扉を開いて中を覗く。照明はついていないようだが、吹き抜けから差し込む夏の光のお陰で十分に明るい。
「あら、誰もいませんわね」
軽く見回すが、室内に人の気配はなく静まり返っていた。夏季休暇中とはいえ生徒の姿が全くないのは珍しい。
だけどそれはそれで好都合でもある。なぜなら、本を探しているだけで『ルージュ様が図書館で怪しいことをしていた』などと目撃者に妙な噂を立てられたり――
「いや、気にしすぎか」
『?』
「……ひとりごとですわ」
……別に悪さをしているわけではないのだ。堂々としていよう。
気を取り直し、ひと通り棚を見て回る。けれどそれらしい本は簡単なものしか出てこない。歴史ある学園だし、ここならば詳しい情報があると思ったのだが。
小さくため息をついた私を見上げて、神が小さく首を傾げた。
『人の子よ。何を探しているのだ?』
「精霊についての過去の記録ですわ。最近『異変』とやらが起きていますので、昔のことを知っておきたく」
できれば『大精霊』や『精霊の姫君』についても、踏み込んだものがあれば……と続けると、彼は耳をぴくりと動かした。
『おそらくあるぞ』
「え?」
当然のように告げられて思わず瞬きをする。確かに彼が学園の創立時からいる神である以上、把握していても不思議ではない。どこか別の場所にあるということだろうか。
「それはどちらに……?」
『ついてくるがよい』
問いかけると彼はひょいと身を翻し歩き出した。言われるがままにその後をついて行くと、どんどん図書館の奥へと進んでいく。
『確かこの辺りに……ああ、ここだ』
「ここ、ですか?」
ここはゲームでは入れないほど奥のエリアだ。そして、彼の示す場所はどう見ても壁で行き止まりになっているが……
『よく見よ』
「……あっ」
促されるまま壁を凝視すると、わずかに歪んでいる箇所に気がつく。そっと触れて魔力を注ぐと、そこが横にずれて狭い通路が姿を現した。
「隠し通路ですか」
『そうだ』
ゲームに出てくる隠し通路は全て把握していたが、図書館の奥にまで仕掛けがあるとは、侮れない世界だ。
感心していると、神は懐かしげな声で続けた。
『この先に古い部屋がある。かつて我が祠の建立に関わった者らが出入りしていた場所だ』
「そんなに昔から……」
狭い通路を先に進みながら彼は説明する。ここは学園創立当初、研究者たちが精霊や魔術の記録を保管していた区画で、現在の図書館が建て増しされる以前の原型にあたるらしい。
長い年月のうちに改築などで構造が変わり、この部屋の存在は一部の者しか知らなくなったという。
『古い書物の多くは魔力の影響を受けやすく、管理が難しいのだ』
「それで過去の記録がここに置き去りにされているかもしれない……ということですのね」
『その通り』
なるほど。そういえば建物の老朽化の関係で数十年前に閉められた場所があると噂をゲーム内で聞いたことがあったが、ここのことだったのか。
しばらく進むと、通路の突き当たりに木製の扉があった。押し開けると、金具がぎぃと軋む音とともに、ひんやりした空気が流れてくる。
そして一歩踏み入れた途端、床板が沈んで埃が舞い上がった。それになんだか少しカビ臭いような……
「うわぁ……」
なんというか、入りたくない。
一歩引いて足元に視線を落とすと、ところどころ木が朽ちて隙間すら見える箇所もあった。下手に踏み抜けば怪我では済まないだろう。そもそもこれ、全然管理されてなさそうだけど入って大丈夫なやつですか?
しかし私が躊躇っている間にも、神は中に入ってズンズン先に進んでいく。
「勝手に入るのは……」
『案ずるな。我が許そう』
「いえ、そういうことでは……」
彼は引き止める私を軽く遮り、さっさと行ってしまった。仕方ない、少し……いや、割と気が引けるが、私も行くしかないようだ。
魔術で明かりを灯し中に入ると、そこは古びた倉庫のようだった。壁に沿って棚が並び、本や紙の束が雑然と押し込まれているのが見える。一歩一歩、足元を照らし堅そうな部分を確かめながら慎重に進む。
そして立ち止まりながら、ひとつひとつ棚を覗いていくが、どの本も背表紙が経年劣化で摩耗し、文字の判別が難しい。加えて、この足元と視界の悪さだ。
「この状態で探すのは……」
正直、結構キツい。これはもう準備を整えてから再チャレンジした方がいいのではと考え始めた頃、不意に神が私を呼んだ。
『人の子よ。これではないか?』
彼が短い前足で指し示す場所に目を向けると、低い棚の奥に黒ずんだ本が置かれていた。そっと両手で持ち上げ表紙に目を凝らすと、かすかに金文字で『精霊史』と刻まれているように見える。
「! ありがとうございます。これかもしれませんわ」
とりあえず読んでみよう。ちょうど良く近くにあった椅子の埃を軽く払い、腰を下ろす。すると神が当然のように膝へ乗せろと催促してきた。どうやら一緒に読むつもりらしい。
私は少し苦笑しつつも彼を抱き上げ、そっと本を開いた。
発行年は想像よりずっと昔だった。紙は黄ばんで脆くなっているが、文字は鮮明に残っている。
『……随分と古い記録だ。よく残っていたものよ』
膝の上で覗き込むようにしていた神が感慨深そうに耳を揺らした。
早速、読んでいこう。ページをめくると、まず目に入ったのは『大精霊』に関する記述。大精霊とは、一部の精霊が役目を負うために特殊な成長を遂げた存在。その力は国を守護できるほど強大である一方で、彼らは精霊王の支配下にあり、直接逆らうことはできない。
だからこそゲームで『異変』に対抗できるのは、加護を授かる人間――主人公たちだけなのだ。……ちなみにこれはゲーム開始時のモノローグで説明される情報だったりする。
静かな空間にページをめくる音だけが響く。読み進めるうちに、当時の『異変』についての記録に辿り着いた。そこには、『精霊の姫君』についても書かれている。
「これがかつての『姫君』の功績……ですのね」
各地を周り、弱った精霊たちの力を目覚めさせた。特殊な魔術で民を救い、そして大精霊の加護を集め、『異変』を食い止めたと。
簡潔に書いてあるが、彼女は紛れもなくこの世界を救った人物だ。そして、もし役目が果たされなかったら世界の理が歪んでいたのではとも書かれている。
『今後、あの者の働き次第ではそうなる』
「……ならないことを祈りますわ」
エレナ本人が理解しているのかは分からないが、『精霊の姫君』にこれだけの力があるからこそ、今の彼女は国から特別な扱いを受けているのだ。ちゃんと働いてくれなければ普通に世界の危機である。
とはいえ、ここまでは知っていた情報だ。だが、何気なくページをめくった先の一文に、思わず指が止まった。
「……え?」
一瞬、読み間違えたのかと思い、目を近づけて再度文字を追う。そこに記されていた内容は、私が当然だと思い込んでいた前提をひっくり返すものだった。
《曰く、『精霊の姫君』の力とは、――である。》
何度読み返しても変わらないその文字列を見つめていると、神が私を見上げて問いかけてくる。
『良き情報を得られたか、人の子よ』
「――ええ、想像以上ですわ」
楽しげな声に対し、私はにっこり微笑んで返事をした。彼のお陰でゲームでは知り得なかった情報を入手できのだ。感謝しかない。
本を閉じると、膝の上の神が小さく身じろぎして床に降りた。私は立ち上がり、改めて彼へ向き直る。
「ここまで案内してくださって、感謝いたします。とても良い時間を過ごせましたわ」
『礼には及ばぬ。我も良い暇つぶしになった』
私の言葉に彼は満足げに尻尾を振り、ふわりと姿を消した。
図書館を後にした私は、すぐに寮の自室に向かい、机からノートとペンを取り出した。前提が覆ったのだ。もしこれが真実なら、今の攻略チャートでは不十分。早急に組み直さないと。
でも裏返せば、打てる手が増えたということでもある。
「……次のクエスト、俄然楽しみになってきましたね」




