93
「えっ、エレナさんがクエストについてきたんですか?」
学園が夏季休暇に入り、しばらく経ったある日。私を突然王城に呼び出したアルバートは信じられないことを言った。
「しかも自ら志願してな」
「本当ですか?」
「ああ。だが――」
彼は疲れたように頭を抱え、話を続けた。
「妙なことが起きた」
――事の発端は数日前。今後の作戦会議を兼ねてアルバートと紅茶を飲んでいた私は、ふと思い出したことを口に出した。
「そういえば、そろそろ武器の強化をしてみたくないですか?」
「なん……だと……!?」
その話を出した途端、さっきまで穏やかだった彼の表情が一変した。椅子から身を乗り出しそうな勢いに思わず笑いそうになる。
「めちゃくちゃ食いつきますね」
「逆に聞くが、してみたくならないと思うか?」
「全く思いませんね」
それもそうだ。武器強化はプレイヤーにとって、レベリングと共にやり込み甲斐のある要素のひとつ。侮ってはいけない。
「ですが、ひとつ注意点がありまして……このゲームの武器強化は、運ゲーなんです」
「運ゲー」
なんとこの強化、仕様上、普通に失敗する可能性があるのだ。
「成功すれば一気に装備の性能が跳ね上がり、失敗すれば――」
「ど、どうなるんだ?」
「使用した素材とお金が消えます」
「……想像以上に容赦ないな」
若干引き気味に眉を上げる彼に、私は真顔で言葉を畳み掛ける。
「アルバートは分かりますか? 成功率80%と表示されてるのに、三回連続で失敗する惨劇が起きた時の私の気持ちが……!」
「なるほど、体験談か」
彼の目が憐れみに変わった。元の武器そのものが消えないあたりは温情があるが、必死に集めた素材が無に帰すのは普通にめちゃくちゃ悲しいのである。
「それでもやめられないんですよね」
最初は弱い武器でも、素材を足すたびに少しずつ強くなっていく。その積み重ねがたまらないのだ。失敗のリスクがあっても、『強化成功!』の文字を見た瞬間すべて報われる。
この世界でも同じことができるとしたら胸が高鳴らないはずがないだろう。私が拳を握りしめ熱弁すると、アルバートは目を輝かせた。
「それに、武器の性能が上がれば攻略も楽になります」
彼の持つ例の剣は元から性能が良い。それをさらに強化できるのだ。攻撃力が相当上がるだろう。
「それはやるしかないな」
とはいえ、そう簡単にはいかない。私は意気込む彼に続けた。
「武器の強化ができる鍛冶屋を解禁するには、とあるクエストをクリアする必要があります」
「分かった、教えてくれ。早速向かうとしよう」
そしてクエストの説明を聞いたアルバートは意気揚々とダリウスとセシルに声を掛けに行ったのだった。
「で、それにエレナさんもついてきたと」
「ああ。三人で攻略の打ち合わせをしていたのだが、偶然会ったエレナも行くと言い出してな。妙だろう?」
「ええ」
このクエストは魔物の討伐だ。いつもの彼女なら来ないか、参加しても渋々といった状態だった。それが自分の意思でくるとは、確かに妙である。
「やっとやる気になったんですかね」
「うむ……そこまではまだ良かったのだが」
彼女が主人公らしく動き始めてくれたのだと安堵したが、彼の話はそれだけでは終わらなかった。
「クエストに失敗した」
その言葉に驚く私に彼はゆっくりと説明を始めた。
武器強化を解禁するためのクエストは、魔物の群れの討伐が目的だ。
アルバートが言うには、森の奥で討伐対象の魔物の群れに遭遇したらしい。しかし数が多く、エレナを守るため防御を固めながら応戦していたこともあり、押し切られかけていたのだという。
出現数が多いのはゲームと同じ。ただ、護衛を必要とする味方を抱えたまま戦うとなれば、はるかに過酷になる。
とにかく、その時の状況は、どう考えても一度退くべき場面だったらしい。
「それでクエストに失敗したと」
「いや、そうではない。退路の確保を始めた矢先、エレナが前へ出たんだ」
「……え?」
明らかに難しい状況で、しかも普段なら戦闘を避けていた彼女が、である。慌てて声をかけたが、彼女は応じず、魔力を練って解き放ったらしい。
そして次の瞬間、魔物たちが怯えたように身を縮めたかと思うと、一斉に森の奥へ逃げ去ってしまった。
「というわけだ」
「なるほど……そんな顛末でしたか」
彼の説明を聞き終えた私はため息をついた。魔物を退けたとはいえ、このクエストの目標はあくまで『討伐』だ。つまり、結果は失敗になる。
「やはりダメか?」
「ダメです」
鍛冶屋の採掘地に魔物が棲みついてしまい作業が止まっているのだ。だから、このクエストをクリアしない限り武器強化は解禁されない。
「そうか……面倒だが仕方ない。また行くしかないか」
「じゃあ今から私と二人で行きますか?」
「行く」
即答だった。
――それから数時間後。
「……こんなに簡単に終わるとは」
「ふふふ、この私を誰だとお思いで?」
森の奥に向かった私たちの周りには討伐された魔物の群れが転がっていた。これがクエスト内容を熟知した上でレベリングをやり込んだ人間の力ですよ!
とはいえ、やたら感動した様子のアルバートに軽く釘を刺しておく。
「元々そんなに難しいクエストではないですからね。私たちのレベルだとこんなもんです」
「……ふむ」
私の言葉に、彼は考え込むように口を開いた。
「しかし、今の戦闘で確信した。やはり今のエレナに魔物を撤退させるほどの力があるのは違和感がある」
「そうですね」
難易度は高くないとはいえ、レベリングなしでは到底倒せない相手だ。それこそ、魔物が怖気付いて逃げ出すなんてあり得ない。
「実はこっそりレベリングをしていたとか?」
「だとしても早すぎる。試験の成績ですら実技は並以下だったからな。それに、エレナ自身も驚いていたように見えた。魔術を制御できていないかもしれん」
「……うーん」
力にコントロールが追いついていないのだろうか。仮に成長速度に主人公補正のようなものがあるのだとしても、そもそも『精霊の姫君』はステータスが戦闘向きじゃないはずだ。
「戦力になるとしたら、こちらとしてもありがたいのだが……」
「なんだか、素直に喜べない気がしますね」
「ああ。全く同感だ」
急成長はともかく、今まであんなに人任せにしていた彼女がすぐに戦えるようになるとは思えない。きっと何か裏がある。
顎に手を当て思案する。この変化についていくつか考えることがあるが……そうだ、ひとつ思いついた。
「アルバート。ちょっとお願いがあるんですが」
「なんだ?」
「実はそろそろ解禁される予定のクエストがありまして」
これはメインクエストのひとつで、次の大精霊に会うためにはクリアが必要なものだ。依頼内容は王都にほど近い峡谷に巣食う魔物を追い払うというもの。
「討伐は必須じゃないので、彼女の様子を見るにはちょうど良いかなと。報酬も美味しいですし。レベリングついでにどうですか?」
「悪くないな」
メインクエストならばエレナはまず参加するはず。そしてこのクエストの戦闘はそれなりに歯応えがある。こっそりついて行き、彼女の変化をこの目で確かめさせていただこうではないか。
「というわけで、アルバートはいつも通りにお願いしますね」
「任せろ」
私が念を押すと、彼はニヤリと笑って頷いた。
「さて、私も動かないとですね」
アルバートとの話を終えた私は一人で学園に来ていた。
メインクエストの前に、情報収集をしようと思うのだ。エレナの急激な変化に説明がつくとしたら、『精霊』そして『精霊の姫君』に関すること。そこに私の知らない何かがある可能性が高い。
この辺はゲーム本編や設定集を読んでも曖昧な部分も多かったのだ。学園の図書館なら古い資料があるかもしれないし、少なくとも何かヒントを得られれば御の字だ。
中庭を抜けて校舎に入ると、休暇中の学園は嘘のように静かで、なんだか落ち着かない。
「……ん?」
考え事をしながら廊下を歩いていると、曲がり角で足元に柔らかなものが触れた。見下ろすと、雪のように白い小さな犬がこちらを見上げている。
……うん。見覚えがありすぎる。
ゲームでもよく見た存在だ。条件を満たすと現れ、たまに学園内を歩いていたり、主人公に抱えられて移動していたりした、この犬は――
じっと見つめていると、その犬は見た目に似合わない良い声で話しかけてくる。
『おお。久しいな、人の子よ』
やっぱり、あなたですよね。




