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「セシルのレベリングを始めたぞ。例の墓場で」
いつもの部屋で紅茶を味わっていると、アルバートがカップを置き、さらりと言った。
「大丈夫でしたか?」
「聞いたことのないような悲鳴を上げられた」
「大丈夫ではないやつでしたか」
私がそう言うと、彼はわざとらしく首を傾げる。
「そうか? 途中からは黙々と倒していたし、特に問題はないだろう」
「問題しかないですね」
遠い目で魔物を倒すセシルの姿が脳裏に浮かぶ。彼の苦手なものは幽霊だ。ご愁傷様である。
アルバートは「なるほど」と納得したように頷き、すぐに表情を引き締めた。
「しかし、あいつは貴重な戦力なのだろう? ならばすぐにでも鍛えておくべきだ」
「それはそうです」
私は苦笑して頷いた。効率よく戦力を育てるなら、確かにあれを避けては通れない。
アルバートとダリウスはかなり物理寄りだ。私はシナリオで協力できるとは限らないし、妨害メインとはいえ魔術に秀でたセシルには早めに戦闘に加わってもらいたいのだ。
……エレナ? 彼女はもう戦力には数えていない。だからこそ、バランスを取る意味でも彼の育成は急務だった。
一通りセシルの話を終えたところで、アルバートがふと顔を上げた。
「ところで、エレナに与していた令嬢たちはどうする?」
「どうもしませんよ」
侯爵令嬢としての立場を使えば、処罰することなど容易い。だが、まずは彼女たちがなぜエレナに協力したのかを確かめるべきだろう。
実は彼女たちの動きは、少し前から把握していた。最近はエレナと行動を共にすることが多かったのだ。
そして案の定、あの告発騒動ではエレナの味方をした。それは自分の意思か、はたまた脅されていたのか。
エレナとの関係を確認するためにも今は静観するしかない。
「しかし、理屈は分かるが随分と甘い沙汰だな」
「まあまあ。彼女たちは十分に痛い目を見ていますから」
「……ふむ、一理あるな」
彼女たちは『王太子であるアルバートに嘘をついたこと』が皆の前で明らかになったのだ。『王太子を騙した令嬢』という噂は広まり、社交界でも長く尾を引くだろう。
貴族の子女という立場は、ほんの一つの失敗でさえ将来に影を落とす。
私に危害を加えたセシルも似たようなことになるだろうが、彼はそれが分からないような人間ではない。あの場で自白した時点で相応の覚悟はできているはずである。
「というわけで、ここまでは無事に解決したと思って問題はないでしょう」
「セシルもこちら側についたからな」
「ええ」
つまり、これでようやく初期攻略対象三人が揃ったわけだ。
「長かったな」
「ですね」
ゲームなら初めから主人公の味方だが、立場が違うためそうもいかない。……ここまで時間がかかるとは、さすがに思わなかったが。
そして、登場人物たちの心はゲームとは違う。私の知っているのは『設定』であって、今を生きる彼らそのものではない。
セシルがバッサリと髪を切ったのはそういうことなのだろう。あれはまさに原作にはなかった出来事。分かりやすい変化だ。
でもなんだかんだ、メインシナリオも攻略対象のシナリオもここまでは順調。エレナたちは『大精霊の加護』を無事にゲットできているし、これで問題なく次へ進められる。
「結局、『大精霊の加護』とはなんだ?」
「いつか分かります」
「む……」
私が流すとアルバートは少々不満げな声を出した。まあ、無理もない。だけど、この手のものは説明するより実際に体感した方が早いのだ。もう少しだけ待ってもらうとしよう。
それより、個人的には私が貰ったオマケの詳細を知りたい。『青の大精霊』に直接聞けば教えてくれるかもしれない――いや、無理だろうな。そんな気がする。
とにかく盛りだくさんの展開だったが、これで序盤は一区切り。けれど、『異変』はまだ序の口だ。
「というわけでこれからも頑張りましょう」
「待て、ルージュよ」
話を終わらせて立ちあがろうとした私をアルバートが引き止めた。
「なんですか?」
「何か忘れてはいないか?」
「? セシルのシナリオの話ならもうしましたけど」
そう言うと、彼は不敵に笑って続ける。
「何を言う。デートイベントとやらだ」
「あー……」
確かにセシルのデートイベントについてノータッチだったことに気がつく。さすがアルバート、抜け目がない。これだけイベント続きで忙しい中でも、それを忘れていないあたりすごい。ある意味すごい。
「それで、どんな内容なんだ?」
ぼんやりと窓の外を見て現実逃避する私を遮るように、ずいっと前のめりになって聞いてくる。
「えーと……まあ、いろいろです」
言いかけて、なんとなく空になったカップを見つめたまま沈黙すると、私がはぐらかしたことに彼は不思議そうにきょとんとした。
「口にすることも憚られるような内容なのか?」
「そういうわけではなく」
「ではなんだ? もしやダンジョン攻略とかか?」
「デートイベントですよ?」
ダンジョンはデートスポットではない。
私は小さくため息をついて続ける。
「そんな奇抜なものではありません」
「では教えてくれても問題ないだろう?」
アルバートが催促してくる。これは教えない限り納得しそうにない。言いにくい理由は別にあるのだが……仕方ない、行くしかないか。
数日後の休日、私たちは王都の表通りに立っていた。
「ここは?」
「カフェです」
学園からそう遠くない場所にそれはあった。おしゃれな二階建ての石造りで、淡いクリーム色の外壁、窓辺には季節の花が飾られている。
これはあの『黒幕の魔道具屋』と同時に解放された店だ。
「なるほど、これが例の店か。……で、俺たちはなぜ変装を?」
「念のためです」
「念のためにしても、少々やり過ぎではないか?」
そう言ったアルバートの頭上には『?』が浮かんでいた。
そう。今回はいつもとは違い、上から下まで完璧な変装をしている。これには深いワケがあるのだが、それは追々。
「まずは中に入りましょう」
「ああ」
扉をくぐると、美味しそうな匂いが漂ってくる。見渡すと、中央には黒いピアノ。壁際には古びた本棚と風景画が並び、丸いテーブルでは客たちが静かに言葉を交わしている。
そうしているうちに店員がすぐに現れ、私たちを奥のボックス席へと導いた。
手渡されたメニューをざっと眺め、注文する。店員が去ると、私たちの周囲はすぐに静かになった。
「さて、セシルのデートイベントについてですね」
「うむ」
私が説明を始めると、アルバートは姿勢を正した。
これはセシルが再びバイオリンを弾けるようになった後に起こるイベントだ。その内容は……
「一言で言えば……砂糖過多です」
「具体的に頼む」
舞台は新しく開店した話題のカフェ。静かな店内で、演奏が出来るようになった喜びを語るセシルに、エレナが穏やかに微笑む。お互いを気遣いながら話しつつ、少しずつ距離が縮まっていく。
やがて二人の前にケーキが運ばれた。談笑の最中、エレナが「一口、いいですか?」と尋ねると、セシルは小さく笑ってフォークにケーキを乗せ差し出す。
そして、エレナは照れながらそれを受け取るのだ。所謂、『あーん』というやつである。
……ここは超美麗なスチルが出てくる名シーンなのだが、プレイヤー視点では突然大量の砂糖を口に突っ込まれたような気分だった。一体、何を見せられたのだろうか。
「という感じです」
「ふむ、なるほどな」
アルバートは腕を組み、妙に上機嫌な笑顔で頷いた。
はい。嫌な予感しかしないんですが。
それをひしひしと感じていると、再び現れた店員が静かに皿を並べ、「ごゆっくりどうぞ」と頭を下げて去っていった。目の前にはチョコケーキ、向かいには香ばしいキッシュが置かれた。
「美味しそうですね」
手を合わせ、「いただきます」と小さく声にして、フォークを持つ。
「よし。ルージュよ」
「なんです?」
「先ほどの話だが――」
そう言うとアルバートは一口分に切り分けたキッシュをフォークに刺し、流れるようにこちらに差し出した。
「こういうことだろう?」
フォークの先のキッシュを見つめたまま、私は慎重に彼に問いかける。
「……やらなきゃダメですか?」
「ダメだ」
アルバートは有無を言わせぬように、にっこりと笑った。
……ほら、やっぱりこうなると思ってたんですよ!




