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【王太子の従者視点】
私は名乗るほどもないアルバート様の従者の一人。彼とは乳母兄弟であり幼い頃から親しくしていたため、彼のことは仕えるべき主人でありながら少し年の離れた弟のようにも思っている。
従者自体は私を含め数人いるものの、今年の夏に同僚のウォルターがラリマー侯爵家に補佐として研修に行ってしまったこともあり、基本的に私が筆頭従者として仕えている状況である。
「おはようございます、アルバート様」
「ああ、おはよう。早速だが、既に終わったものがそこに置いてある。確認してくれ」
執務室に入るや否や指し示された場所を見ればそこには書類の山ができていた。相変わらず仕事が速い。この分なら昼前までに全て終わるのではないだろうか。
彼の有能さに感心しつつ、ふと横の壁を見ると上質な装飾を施された剣が掛けてあるのが目に入る。そういえばある日突然飾られたそれがなんなのかずっと気になっていたことを思い出した。せっかくなのでこの機会に聞いてみようと思う。
「以前より気になっていたのですが、あちらの美しい剣はなんでしょうか。どこかで購入したものですか?」
「ああ、あれは威力……いや、とても切れ味の優れた質の良い剣だ。以前、城の中で見つけた」
「そうでしたか」
城の中? ……ということは倉庫などから出て来たものだろうか。それを問えば彼は何も答えず意味深に笑みを深めた。えっ、その笑顔はどういう意味ですか。
ここ最近──具体的には学園入学の少し前くらいからだろうか、アルバート様は明らかに変わった。長年仕える従者としてその変化に気づかないわけがない。
彼は冷静で真面目な人物だ。国のことを第一に考え、自らに降りかかる困難の全てを義務感から受け入れていた。
学園が休みである今日、彼は執務室で仕事をしている。以前はこのような場面ではどこか思い詰めたような厳しい表情をしていたものだが、今は上機嫌でどこか楽しそうに見える。
「最近、アルバート様はご機嫌ですね」
私は完璧に仕上げられた書類を確認しながらなるべく自然に声をかける。すると彼はふと筆を止め顔を上げた。そしてなんとも楽しそうな笑みを浮かべる。
「お前も気づいたか」
その声には秘密めいた響きがあった。まるで何かを知っていてそれをこちらが知らないのを楽しんでいるかのように。
「最近、色々と面白いことがあったからな」
「面白いこと……ですか」
「ああ」
私はその言葉に少し警戒しながらも興味を引かれた。
以前の彼は『面白い』などという言葉を口にすることはほとんどなかった。彼の興味は国のことや政治にしか向いていなかったからだ。
しかし今の彼は何かが違う。
「詳しくは言えないのだが……とにかく、考え方を変えてみると今まで見えていなかったものが見えてくるのだと思ってな」
曖昧に言葉を濁しながらも、明らかに何かを楽しんでいるような口ぶりだ。
「見えていなかったもの、ですか?」
私には彼の言っていることがさっぱり理解できない。だが彼が『面白い』と評していることに少なからず興味は引かれる。
「そうだ。……まあ、気にしなくていい。ただ、俺は今の状況を楽しんでるということだけだ」
……えっ、おしまい? 今のは話してくれる流れでは? そこまで言ったのなら教えてくれてもいいのではなかろうか。ものすごく気になるところで話を切り上げられてしまった。
言葉の裏にある意味はわからないが、とにかく彼が楽しんでいるのは確かなようだ。それが悪いことではないことを願うばかりの私である。
「ところで、ルージュ様とはいかがでしょうか。学園でもお会いしているのですよね」
「ああ、ルージュとは仲良くしているぞ。ウォルターの件では少し苦情を言われてしまったがな」
苦情って一体何をしたんだウォルター。いやそんなことより、
「ですが、以前は……」
彼はルージュ様と仲が良くなかったはず。そう思った私はつい口を滑らせてしまった。
彼が婚約者であるルージュ様を煩わしく思っていて、ずっと冷淡な態度を崩さなかったことを私は知っている。それを思い出して口にしてしまったのだが、彼はそれに対して驚くどころか少し目を細めて笑った。
「そうだな、確かに以前のルージュのことは気に入らなかった。だが……どうやら『心を入れ替えた』そうだ」
「心を入れ替えた」
「ああ。今は話をしていて飽きない」
それはつまり改心したということだろうか。彼女の性格には贔屓目に見ても難があったため、それが改善されたとなれば良いことである。とはいえ話をしていて飽きないとは、これも以前の彼からは考えられない言葉だ。
「驚いているか?」
アルバート様は楽しげに私を見つめる。まさしくその通りだった。
「その……少し意外です。以前はルージュ様をあまり快く思っていらっしゃらなかったようでしたので」
「そうだな。しかし、時に人間は変わるものだ。そういうこともあるだろう?」
私の知っている彼はこのように柔軟に物事を受け入れることはほとんどなく、自らに益がないとなれば簡単に切り捨てることもあるなど厳格で冷たい印象だった。
それが今ではこれほどまでに穏やかになり、心の余裕すら見えるのだ。この変化には驚きとともに感慨深いものがあった。
おそらくルージュ様の影響で他人に対する見方が変わったのだろう。……もしかすると彼女が先に変わりそれが彼にも伝わったのかもしれない。婚約者の影響を受けるのは自然なことだ。
そして、あれほど彼女を疎んでいたにも関わらず今や彼女との時間を楽しんでいるのだから、かなり関係が改善されたのだろう。ずっと二人の仲を危惧していた身なので少しホッとしている。
「ではルージュ様はあなたにとって良い影響を与えているのですね」
私はそう言ってみた。もし彼女の存在が彼にとってプラスになっているのなら、それは従者として喜ぶべきことだ。
「……ああ、そうだな。少なくとも、今の俺にとってはな」
その返事には少し含みがあった。それが何を意味しているのかはわからないが、彼が満足しているのならそれで良いのかもしれない。
「ところで、」
「はい。なんでしょうアルバート様」
私が彼の成長を噛み締めてしていると、突然、アルバート様が話題を変えた。
「仮に一人の年頃の少女がいたとして、男らしさのある騎士と柔和な音楽家と……とりあえずこの二人だったらどちらと恋仲になる方がこう、見ててグッとくるだろうか。参考に教えてくれ」
「はい?」
意味がわからず変な返事をしてしまった。
いや急にどうした話が変わりすぎだろう。そしてそれはなんの参考に?
「なお、登場人物の身分に関しては一切考えないこととする」
「ええ……?」
試験問題の説明文か?
私が困惑しているのに気づいたのか、彼はさらに説明を加える。
「ああ、いや、これは人伝に聞いた物語の話だ。とある少女の恋物語でな。相手となる可能性のある男性が複数いるのだが、どちらの方が好ましく感じるのか、お前の意見を聞いてみたいんだ」
「そういうことですか」
民の間で流行している物語を学友から聞いたのだろうか。しかし王太子として文学に親しむのは良いことだ。政治の合間には適度な息抜きも必要である。時には頭を休めることもまた大切な務めなのだから。
「そうですね私は──」
では想像してみよう。少女と騎士の物語、これは鉄板だ。実際に力強く格好の良い男性に恋焦がれる少女は数多くいる。ふとした瞬間にスマートに護られるなんてときめくだろう。
「でも、しかし──」
一方で、音楽家との恋も捨てがたい。優雅で感性豊かな音楽家と過ごす時間もまた魅力的だ。共に演奏をして互いの想いを深めるシーンなどあるとさらに良い。夢がある。
──結論。どちらも良い。
そんな私の所見を述べると、アルバート様は腕を組みながら頷いている。
「やはりどちらも違った味わいがある。優劣はつけ難い……」
「それは……少しわかります」
「!」
私が肯定するとアルバート様の目がキラキラと輝き、いつになく興奮した様子で続けた。
「そうだろうそうだろう! 全部見たい、どちらも捨てがたい! だからこそ迷うんだ。いや、やはり物語の醍醐味はそこにあるのかもしれないな……」
「しかし迷うからこそ選んだものが光る……ということもあるかと」
「その観点もあるな! だとしたら──」
誰だこの人は。
その姿に私は一瞬、誰の前にいるのかわからなくなるほどだった。初めて見るアルバート様の王太子らしからぬ無邪気な姿に驚きを隠せない。
でも、楽しそうでなによりです。
私の中でのアルバート様の印象が大分変わった日であった。




