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あの後、セシルは私に全てを話した。
あの薬草に細工した理由、そして前の魔術試験での妨害も自分の仕業だったと告白した。さらに、その両方を指示したのはエレナだったとも。
だが、彼は最後に「実際に行動した責任は自分にある」とだけ言って、深く頭を下げた。私はそれ以上は何も言わなかった。
きっと、彼がエレナの言葉に縛られることはもうないだろうから。
ちなみに、『なぜ池に投げると勘違いしたのか』をセシルに聞いたが、「好きにしていいとはつまり、池に投げ込まれても構わないということか。前に疑惑をかけられた腹いせに、本当にやるかもしれんぞ?」――と、どうやらアルバートは真剣な顔で彼をそんなふうに煽ったらしい。そりゃ、慌てて追いかけてくるのも無理はない。
アルバートについて何も知らなければちゃんとした王太子に見えるし(失礼)、その言葉を信じ切ってもおかしくはない。……後でアルバートには小言を言っておこう。
一方のダリウスはというと、いつも通り思ったことをそのまま口にしただけだったとか。うん。こっちはそんな気がしていた。
今はあれから数日後。日が傾きかけた屋上から、澄んだ音色が風に乗って届く。セシルが練習しているのだろう。以前のような不安定さは消え、今は落ち着いた音を奏でていた。
まあ、当然だ。彼にはもともと十分な技量があり、弾けなかったのは心の問題に過ぎなかった。本当は才能がないわけじゃない。
遠くに見える彼の姿は、真剣で、けれどどこか楽しげでもある。授業にもちゃんと出るようになり、以前のようにふらついている様子は薄れてきていた。
これから彼は少しずつ、元の自分を取り戻していくのだろう。
……というわけで色々あったが、こうしてセシルとバイオリンを巡る騒動は静かに幕を閉じた。
だけどまだわからないこともある。主にエレナだ。
これほどまでにセシルへ干渉していたのだ。彼女の動向を、もう少し注意深く見ておく必要があるだろう。
セシルも言っていた。
「エレナが嫌がらせを続けるのは、何か目的がある気がするんだ。だから、気をつけた方がいいと思う」
実習の際にこちらを睨みつけてきた顔を思い出す。まだ諦めてないだろうし、あの様子ならまたすぐに来るだろう。
そう、例えば――
後日、魔術実習の成績発表の日。
「最優秀評価――ルージュ・ド・ラリマー」
その名が響いた瞬間、広間の視線が私に集まる。ゆっくりと壇上に上がると、学園長は穏やかにこちらへ微笑んだ。
「見事な成果です。特に薬草の扱いにおいて、非常に高い理解と応用力を示しました。加えて――」
学園長の隣に立つ教師が説明を引き継ぐ。彼女は、まるで自分の功績であるかのように誇らしげに言葉を続けた。
「あなたは、従来では量産が不可能とされてきた特殊な薬について、新たな作製方法を開発しました。その成果は既に研究所に提出され、高い評価を得ています」
――そう、それは先日の実習で手に入れた結晶を用いた秘薬。効能を最大限に引き出すため、幾度も調整と実験を重ねて完成させたものだ。
それを研究所に提出した結果がこの表彰だった。
この秘薬の効果は傷の治癒と魔力の回復。つまりHPとMPを同時に大きく回復することができる。非常に便利なのだが、入手手段が限られていたのだ。
今回、これを研究所で作れるようになった。つまり量産できるのだ。これが店頭で流通するようになれば、攻略だけでなく、民の助けにもなるだろう。
こっそり実験してきた甲斐があった。とはいえこの短期間ですべて実験したわけではない。どうしても入手できなかった結晶以外の材料を収集し、準備していただけ。
そんな中で皮肉にも結晶をくれたのがエレナだったわけだ。
「ルージュ・ド・ラリマー。その研鑽と才覚は、我が学園にとって誇るべき成果である。よって、ここに深甚なる敬意を表する」
改めて学園長がそう告げ、証書を差し出す。私がそれを受け取ると、広間に大きな拍手が鳴り響いた。
「ありがとうございます。これからも精進いたします」
生徒たちの称賛と羨望、それらを浴びながら、私は静かに一礼した。
表彰式を終え、証書を手に廊下を歩いていると、ダリウスがこちらへ近づいてきた。
「すげぇじゃねぇか」
「ふふ、ありがとうございます」
少しだけ声を抑えて彼は続ける。
「……それに、セシルのことも助けてくれて感謝してる。あいつ、前よりもマシになったからな」
「いえ、わたくしは何も。セシル様が自分の力で立ち上がっただけですわ」
実際に変わったのはセシル。私はちょっとしたきっかけになっただけだ。それに、アルバートやダリウスの力も大きかった。
「それでも、ルージュ様が動いてくれたからだろ。だから礼を言う。……ありがとな」
「恐縮ですわ。でも本当に、わたくしは――あら?」
そう言いながら教室の扉を開けた瞬間、いつもと違う生徒たちの様子に思わず足を止めた。教室の中はざわついていて、誰もが同じ一点に視線を注いでいる。
なんだろう?
「皆様、どうなさったのです?」
「ルージュ様! 実は……」
私の入室に気づいた生徒たちが小さく道を空け、視線を教卓へと向けた。そこには一通の封筒が置かれている。
「……これは?」
「皆、心当たりが無いようです。戻ってきたらここに置かれていて」
「誰からだ?」
ダリウスは教卓から封筒を摘み上げ、ひらひらと眺める。
「何も書いてねぇな。差出人の名前もねぇし」
ダリウスはそう言うと怪訝そうに眉を寄せ、躊躇いなく封を切った。周囲の視線が一斉に集まる中、カサリと紙片が取り出される。
彼はそれに目を走らせた瞬間、明らかに表情を曇らせ、口を開いた。
「『ルージュ・ド・ラリマーは薬草を自ら細工し、偶然を装って成果を偽った』……?」
その言葉に周囲の生徒たちが息をのみ、ざわざわと視線を交わし始めた。私は一歩も動かず、ただその光景を見つめる。
「……ん? もう一枚入ってるな」
ダリウスが封筒から二枚目の紙を取り出す。
そこには『実習で評価を得るために薬草を細工する』という計画めいた文面と、ラリマー家の家紋があった。
「これが証拠ってわけか?」
……なるほど。そう来ましたか。
「ルージュ様、こちらは……」
「身に覚えのないことです。そのような細工を施した覚えは一切ございませんわ」
問いかけてくる生徒に毅然とした口調で答える。一瞬でも戸惑えば、それだけで疑念を招く。迷わず堂々と否定しなければならない。
「そもそも、この文書は差出人すら記されていない匿名の告発です」
証拠と呼ぶにはあまりにも心もとない。これをもって断罪されるのであれば、誰でも容易に他者を陥れられることになってしまう。
ちなみにこの告発文。文面は異なるが、これもゲーム内イベントのひとつだ。……といっても本来はアルバートのセリフで語られる程度の扱い。
実習中に発火事故を起こしてしまったエレナはその責任を追及される。そこに匿名の告発文が届くのだ。――『ルージュがエレナの薬草に危険な草を混入させた』と。
この告発を機に、一度はエレナの過失による事故として処理された事件は内密に調査され、最終的に断罪シーンでのルージュの罪の中にも並ぶのだ。
どうやらエレナはまだあの薬草事件の延長戦を続けるつもりらしい。まったく、往生際が悪い。
……とはいえ、またこの流れだ。バイオリンの時のように結局はクラスメイトに疑われてしまうのだろうか。
そう思って身構えていると、考え込むように紙を見つめていたダリウスが静かに口を開いた。
「……くだらねぇな。差出人が名乗ってもいないのに、これを信じろってのは無理があるだろ?」
ダリウスは紙を持ったままゆっくりと顔を上げ、教室をぐるりと見渡す。すると、それに応えるように何人かの生徒が声を上げた。
「ええ。匿名の紙切れだけでルージュ様を疑うなんて無理がありますわ」
「確かに。彼女はこれまでも優秀な成果を挙げてきた。その事実を覆すほどの信憑性は、この文書にはないだろう」
「それに、仮に計画を立てるとしても家紋が入った紙に書くわけありませんもの。これこそ偽物ですわ!」
「……!」
場の空気が変わる。私の隣に来た二人の令嬢がさらに続けた。
「おそらくは妬みによる嫌がらせでしょう」
「実際、ルージュ様の成果を見れば羨望を集めるのも当然ですから。お気になさらないで」
いつの間にか、教室の生徒たちは私を擁護する方向に傾いていた。
「皆様……」
どうやら、これまで必死に印象を改めようと行動してきたことは、無駄ではなかったのだ。
「……本当にありがとうございます」
胸に安堵が広がる。今、私は元のルージュのように孤立してはいない――その実感が何より心強かった。
そんな教室の温かい空気に包まれながら、私はようやく一息ついたのだった。
――けれど、今回はそう簡単には休ませてくれないらしい。
放課後、帰り支度をしていると、ふと視線を感じた。振り向くと、廊下の影に隠れるようにしてアルバートがやけに楽しげに手招きをしている。
……はい。こんなの嫌な予感しかしないわけですが。
「ルージュ、早く来てくれ。面白いことになっているぞ!」
でしょうね。




