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「ここは……?」
問いかけるアルバートに、私は答えた。
「イクリール家の本邸があった場所です」
学園から少し離れた街外れ。舗装の途切れた小道を抜けると、そこにかつての屋敷の跡地が広がっていた。
夕陽に照らされたそれには、今はもう、往時の面影もない。基礎の石積みが辛うじて地面に残り、蔓植物と雑草が呑み込むように覆っている。かつては華やかに門を構えたはずの場所も、ただの瓦礫と化していた。
私はしばし荒れ果てた光景を見つめ、口を開いた。
「このことは一切、公にされていない上、百年近く前の話になります」
あの黒幕――彼の名はカロン・イクリール。かつてこの国の貴族の家の末裔。
その昔、イクリール家は侯爵位を持つ名門だった。魔術の技では他に並ぶ者なしと称されたほどだ。だが、ある日を境に一族ごと断罪された。表向きの理由は『政治的不正』。だけど、その真実は――
「『禁術の使用』です」
「!」
アルバートが驚くのをよそに、私は続ける。
「その禁術は簡単にいえば精霊の力を行使するもの。彼が仮面舞踏会の夜に『大精霊の加護』を見分けるのに使ったのも、それの応用だそうです」
具体的な方法は分からない。だが、その禁術は隣国の精霊術を強引に掛け合わせた、歪な技術だった。
精霊の力に人間が干渉するなど本来ありえない。それを扱えるのは『精霊の姫君』だけ――それがこの世界の絶対の理だ。
それを強引に魔術で試みたのがこの禁術。その結果としての粛清が国外追放の理由だった。
「ならば、『精霊の姫君』を奪おうとするのは政治的な理由ではないと」
「そういうことです」
現在、あの家は隣国で外交の職に就いている。だからアルバートは彼らが『姫君』の力を政争の駒として用いるのだと考えていた。けれど、それは違う。
ただ欲しいのだ。自分たちがかつて求めた力を自在に扱える存在を。
ただ今回、彼らが本来なら奪うべき力を容赦なく葬ろうとしたあたり、目的はもはや力ではなく、復讐そのものに傾いている気がする。
とはいえ、世代を重ねながら復讐の時を待っていた彼らにとって、『精霊の姫君』が現れた今こそが待望の好機だったことに変わりはないのだ。
「しかし、イクリール家は自ら罪を犯したのだろう? それを国への恨みに変えるなど、理不尽が過ぎる」
「いいえ」
「だが、断罪されたのは事実だろう? ならば――」
「ええ。事実です。けれど……」
私は小さく首を横に振った。
「これはただの逆恨みではありません。イクリール家だけが禁術を使用していたわけではないのです」
「……どういうことだ?」
当時を知る者はほとんど残っておらず、秘匿されていたが故に情報は乏しい。けれど、私は知っていた。
「彼らの他にも、禁術に手を染めていた家は、いくつもありました」
そう言ってアルバートを見やると、彼の瞳が大きく見開かれる。
「まさか」
「ええ。王族すら例外ではなかった」
彼の息をのむ音が聞こえる。
「けれど結局、表沙汰になったのは彼らだけでした」
そこで言葉を切ると、アルバートの眉がひそめられる。それがどういう意味か理解したのだろう。
かつてその禁術は、精霊の力を操れるという利便性から、貴族たちの間で密かに重宝されていた。
けれど時が経つにつれ、その多大なる代償が明らかになっていった。そこで当時の王族を含めた貴族たちは、危険な技術を封じるために――最も目につきやすいイクリール家を断罪したのだ。
「つまり、『禁術を使えばこうなる』と知らしめ、以後誰も手を出せないようにしたのです」
「……見せしめということか」
「はい。罪人とされた侯爵夫妻は処刑され、残された一族の者たちは国外追放となりました。財産も爵位も、すべて奪われて」
自分たちも禁術を利用しておきながら、都合が悪くなればイクリール家ひとつに罪を背負わせて切り捨てた。
彼らの恨みは、財産や地位を失った痛みだけではなかった。――存在そのものを否定された一族の怨嗟は、百年を経てもなお消えることはなかったのだ。
「これが彼の復讐の理由です」
ゲームのカロンを思い出す。彼の眼差しに宿っていたのは、底の知れぬ怨念だけではない。そこには、ずっと何かに囚われているような深い哀しみも混じっていた。
追放されても、あの家は禁術の研鑽をやめなかった。百年という長い時を経ても火種は消えず、彼という存在に受け継がれているのだ。
「それが、事実なのか」
アルバートは苦しげにそう呟くと、視線を地面に落としたまま拳を固く握りしめた。
「……俺は、何も知らなかったのだな」
「仕方ありません。百年前のことなんですから」
「だとしても、だ」
そう口にして黙り込んだ横顔を、私はそっと見つめる。
少なくとも今の彼に責任はない。それどころか当事者は数代前の王族の話だから、今の国王すらも知らない事実だ。
それでも知ってしまったからには、王族の一員である以上、考えざるを得ないのだろう。
しばらくの沈黙の後、ふと彼は口を開いた。
「……奴は強かったのだろう?」
「とんでもなく強かったです」
ゲームでもそうだった。後半に再登場する彼は装備もステータスもガッチガチで、一対一では誰も勝てない。
完全にパーティ戦前提の強さに設定されているためだが……そんなゲーム的な事情を抜きにしても桁違いに強い。初見ではあっさり全滅したほどだ。
それを告げると、アルバートは腕を組み、しばし難しい顔をした。
「そこまでか……どうにか戦わずに交渉できれば良いのだが、話を聞く限り難しいのだろうな」
私は頷く。確かに人間のキャラクターなら説得できそうなものだが、彼に関しては敵意が強すぎてほとんど不可能に近い。戦わずに済ませられるものならどれだけ良かったろうか。
「ですが、少なくとも彼と交流はできます」
彼は『あの夜の令嬢』の正体にまだ気づいていない。ゲームでもそうだった。エレナですら、舞踏会後しばらくは正体が割れなかったのだ。
つまり、私一人で向かうのなら、あの店をこれからも利用することができる。もちろん、会話をすることも。
だから、今はまだ、交渉の余地は残されている。
「というわけで、カロンについて話せることは、今はこれくらいです」
「……そうか」
そう呟いた彼はしばらく立ち尽くし、荒れ果てた邸の跡を静かに見つめていた。
「『知りたくなかった』ですか?」
問いかけると、唇を固く結んだまま、彼はゆっくりと私を見る。
「分かっていた……この国も、王族も、長い歴史の中で正しいことのみを行ってきたわけではないと」
そう言いながらも、アルバートの拳は震えていた。受け入れたい理屈と、拒みたい感情がせめぎ合っているのだろう。
「そう、頭では理解していた……つもりだったのだがな」
「……」
「もし俺がその時代に生まれていたなら、同じように切り捨てていたのだろうか」
かすかに震える声。強く結んだ唇の端が、わずかに揺れていた。
王族の血を引く以上、その問いは決して他人事ではない。――これはアルバートにとって、避けては通れない試練のひとつだ。
王太子という立場は、遠い過去の因果すら背負わせる。一国の王になるということは、決してきれいごとだけで済む話ではない。
いつか彼は選ぶことになる。全てを背負う覚悟を決めるか、蓋をして無かったことにするか、あるいは別の選択をするか。
そして、これは私が口を出すべきことではない。
「……考えてばかりでは何も進まんな」
そこまで言って、彼は深く息を吐いた。そして、ゆっくりと顔を上げる。
「すぐに答えは出せない。だが……立ち止まるつもりもない」
強く握りしめていた拳を解く。
「過去がどうであれ、俺は前を向く。そう思わないか?」
その目には少しの迷いが残っていたが、彼は私をまっすぐに見ていた。
「……やっぱり、アルバートらしいですね」
「ああ。だから、今日の話を聞けて良かったと思う。教えてくれて……ありがとう」
そう言って、彼はようやく笑みを浮かべた。
……やがて、あのカロンと再び対峙する時が来る。その時、物語の鍵を握るのはアルバート。
――彼は、どんな答えを出すのだろう。
気づけば西の空は茜から群青へと沈み、瓦礫の影はひときわ長く伸びていた。
「そろそろ戻りましょうか」
「そうだな」
少しだけぎこちない笑みを浮かべつつ、私たちは歩き出す。
「さて、ルージュよ。次はどう動く?」
「そうですね……次のクエストに向けた強化から始めませんか?」
「ふむ。ならば明日にでも例の隠しダンジョンへ――」
「それはもう少し後でお願いしますね」
波乱はあったが、これで序盤のイベントは一区切りだ。
無事に終わった。そのはずなのに、胸の奥に妙な違和感がある。
何か、大事なものを置き去りにしている――そんな気がしてならなかった。




