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【アルバート視点】
暗闇の中で腕を組み、ため息をひとつこぼした。
「……してやられたな」
黒幕にではなく、ルージュに、だ。
彼女はおそらく単独で黒幕に向かっていったのだろう。
彼女がそう動く可能性は予測していた。ただ、本当にそれを実行するとは正直思っていなかった――つまり油断していたのだ。
あのルージュのことだ、初めからこの展開を織り込み済みだったとしても不思議ではないというのに。
すぐ隣で誰かが小さく悲鳴を上げた。背後では椅子が倒れる音。別の方向ではぶつかったと喚く声が上がる。
闇に包まれたこの空間は、もはやただの舞踏会ではなくなっていた。そして集団の不安は、あっという間にパニックに変わっていく。状況を理解できずに取り乱すのも無理はない。
そんな中、俺はただ一歩引いて、冷静にその光景を眺めていた。
混乱に飲まれている彼らの姿が見える。視界は悪いが、灯りを完全に失ったわけではない。僅かに月光が差し込んでおり、壁の装飾や人影の輪郭が、かろうじて識別できる程度だ。
「……ふむ」
彼女の言葉を思い出しながら、額に手を当てて再度ため息をついた。
『……何が起きても、私を信じて冷静に対応していただけますか?』
そう、たしかにそう言っていた。それがこのことだったかと、その言葉の重みをようやく今、実感している気がする。
しかし、あのとき言葉の意味を理解し切らないまま彼女の言葉に俺は確かに頷いた。だからこれに関しては仕方がない。この点では俺が悪かった。
ならば、出し抜かれたことは後で問いただすとして――約束通り、ルージュを信じて冷静に対応してみせようではないか。
「――アルバート様、ご無事ですか」
俺が意気込む中、足音もなく近づいてきたらしい。誰だか分かりきっている声の主に顔を向ける。
「ウォルターか。俺は無事だが、そちらも問題はないか」
「はい。少し視界が悪いですが……アルバート様がここにいらして助かりました」
一緒に来たからお互いの姿と声は認識できているが、よくこの騒がしさと視界の悪さで俺と見分けたものだ。王家の影とは伊達ではない。ウォルターにはこの後のことをいくつか任せるとしよう。
今後のシナリオの流れはルージュから聞いている。選ばれなかった人間が『外野』として果たすべき役割も。
と、その前にやることがある。
「まずは皆を落ち着かせなければならないな」
「ですが、どのようにでしょうか」
ウォルターの疑問はもっともだ。普段ならば王太子である俺が声をかけて指示を出せば簡単に通るだろう。しかしそれは認識阻害により不可能。この状況で迂闊に動けば逆に皆の不安を増すだけだ。
――ならこういうのはどうだろうか。
「……ウォルターよ」
「なんでしょう」
「今からちょっと変なことをするが、気にしないでくれ」
「……はい?」
困惑の声が返ってきたが、説明は省略し、俺は静かに手を掲げた。そして魔力を集中すると空気が震え、わずかに青白い粒子が手のひらに集まる。
その光をいくつも生み出し、ひとつに束ね、上へと放つ。閃光は弧を描いて天井へ届き、大きなシャンデリアを中心にして光がまばゆく広がった。
「うわっ!?」
「明かりが……戻った!?」
いきなり照らされた空間に、生徒たちの視線が一斉に天井を仰ぐ。驚きと安堵とが入り混じった声が飛び交うが、徐々に緊張が緩んでいくのが分かった。
……これで問題ないだろう。消えたなら、もう一度灯せばいい話。
照明魔術なんて仕組みは単純なもの。多少の出力がいるが……今の俺にとっては造作もない。
あとはこのまま場を落ち着かせるだけだが――これからすることは少し気が引けるが、仕方ないか。
俺は一度深く息を吸い、できる限り大きな声で言った。
「……なーんだ! 照明の魔術が切れていただけだったのか!」
下手くそ……いや、棒読みも甚だしいが、今の彼らにはそれで十分。肝心なのは言葉の中身だ。
「これ、魔術で付けられるみたいだ。皆も近くの照明を付けてくれないか?」
少し大きめに声を張る。すると次々と、各々の手から魔術が放たれ、光が増えていった。
よし、これで明かりは戻った。
「……っ、ふ、ふふ……!」
「ウォルター」
押し殺すような声が耳に入り、横を見るとウォルターが口元を抑えて肩を震わせていた。おい。
「……い、いえ。なんでもございません」
「笑うなとは言わない」
いっそのこと素直に笑ってくれ。気を遣われる方がなんだか心に来る。
まあいい。俺の心は少しダメージを受けたが、これで場は落ち着いた。次の段階に移ろう。
「ウォルター。お前は案内が来るまで待てと、皆に伝えてくれ」
「承知しました」
軽く一礼したウォルターは静かに場を巡り始めた。それを見届けた俺は一人、会場を見渡す。だが、視界に映るのは、まだ少し困惑したままの生徒たちの姿だけ。
……ルージュの姿は、やはりないか。
おそらく、彼女はもうこの場にはいない。あの光の消失と同時に、先に進んだのだろう。
仕方ない。まずはルージュから教わった通りに進めよう。
分かりやすく目に入ったダリウスらしき長身の人物に近づいて声をかける。
「ダリウス、行くぞ」
「……誰だ?」
「俺だ」
「はぁ? だから誰だてめ……って、まさか殿下か……?」
俺が頷くとダリウスは信じられないという表情をした。名前を出さないと本当にわからないようだ。確かにこれはややこしいイベントだな。
ダリウスは訳がわからないと言いたげに詰め寄ってきた。
「さっきから何が起きてんだよ。つーか、殿下は何がどうなって俺だってわかったんだ?」
「勘だ」
「いや、勘て……」
呆れたような彼を尻目に、俺は再び視線を巡らせる。当然のごとくルージュは見当たらないが、それはひとまず置いておくとして。
――エレナたちも見つからないとは何事だ?
そしてさらに思考する。もしルージュがエレナの代わりにシナリオを進めていると仮定すると、エレナがいないのはおかしい。
しかし彼女の近くにはロベルトがいたはずだ。おそらく今も一緒にいるだろう。そもそも黒幕の意識はルージュに向いているとしたら、エレナは無事である可能性は高い。
ならば俺たちはルージュに協力することを優先すべきか。しかし行き先がランダムだとすると彼女を探し出すのも困難。
彼女が引いたルートさえ分かれば、ある程度は予測が立つはずだが――
「……殿下、あれはなんだ?」
「ん?」
ダリウスが指さした先に目を向けると、会場の隅の柱の影に小さな何かが落ちていた。
小走りで近づくと、それは照明を反射してきらりと微かに光った。よく見ると、そこにあったのは今日のルージュが使っていた髪飾り。
そして――その先には、闇に続く一本の通路が誘うように口を開けている。
「……なるほど、そう来たか」
髪飾りを拾い上げ、そっと掌で転がした。
これは選んだルートを俺に知らせるためのメッセージというわけか。まったく……本当に、ルージュらしい。
これほどまでにお膳立てしてもらったからには、こちらも全力で応えねばなるまい。俺は髪飾りを懐にしまい、顔を上げる。
「さて、ダリウスよ。俺たちは先回りするぞ」
「おう! ……って、何を先回り?」
「まあ、見ておけ。行くぞ」
「どこにだ?」
説明は後だと伝え、俺は舞台に背を向けて歩き出す。向かう先はルージュが示したシナリオだ。




