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会場の片隅にいたのは一人の少女だった。壁際に身を潜めている姿は、華やかな周囲から明らかに浮いている。
「彼女がエレナさんですね」
「ふむ。……だが、どのように声を聞いたんだ? まさか話しかけたのか?」
私は小さく首を振る。
「いいえ。彼女に気づかれるのは避けたいので」
これは本来ならば私は参加しないイベントなのだ。ここにいることがエレナにバレると十中八九、面倒なことになるだろう。その可能性を極力減らすためには彼女には一切近寄れない。
ではどうやって見つけ出したのかを説明しようとした時、背後から遠慮がちな少年の声がした。
「……姉上」
振り返ると、黒の礼装に身を包んだ少年が、音もなく、周囲に溶け込むように歩み寄ってくる。
「ノア」
ちょうど良いところに来てくれた。認識阻害の魔術は対処法がある――そう。たとえば、彼である。
ノアは私たちに控えめに会釈をする。目を丸くして固まっているアルバートはとりあえず置いておこう。
「……ここまで問題はないかしら」
「はい……言われた通りに」
静かに頷くノアは特に違和感もなくこの場に自然に馴染んでいる。簡単に情報を交換すると、彼はそのまま一礼して静かに立ち去っていった。
「……どういうことだ? まさか認識阻害が効いていないのか?」
「どうやら会場に入った時に魔術で相殺したようで」
「……」
黙り込んでしまった。どうやらアルバートの理解の範疇を超えたらしい。
「魔力で感知してもらおうと思って連れてきたんですよ……まさか無効化までできるとは」
ゲームでのノアには、魔力で人物を判別できる設定がある。それを期待していたのだが、想像以上の結果だった。さすが私の推し、天才。
「お陰ですぐにエレナさんを見つけられました」
「……末恐ろしいな」
ノアは本来このイベントには登場しないキャラだが、参加者の従者同伴が許可されているため、『私の従者』ということにして来てもらった。
……まあ、そもそも認識阻害が効いてる時点で、部外者が勝手に入り込んでもバレないのは秘密。
「セキュリティーに問題があり過ぎる」
「それは今更では」
誘拐事件が控えていることを思えば、部外者の侵入程度は突っ込むのも無粋というか。
もちろん、ノアにも念のためエレナには近づかないように指示してあるし、声を聞かれないようにも注意を払わせている。
そして申し訳程度の身バレ対策になんとなく燕尾服を着せてみたが、意外と似合っていた。さすがは攻略対象である。
さて、気を取り直して。
改めてエレナに目を向けると、彼女はいつの間に現れた一人の男性に熱心に話しかけられていた。
「あの男は誰だ? まさか黒幕では――」
「大丈夫ですよ。あの方はロベルトです」
ロベルトはアルバートの従者の『ウォルターじゃない方』である。借りていたのは彼だ。
「ロベルトか。そういえばルージュに貸していたが……」
「彼には別ルートで入場してもらって、エレナさんの相手をしてもらってます」
「しかし何故?」
「ちょっとした護衛ですよ」
首を傾げる彼に護衛の意図を説明する。
「誰かと話してる間は黒幕と遭遇しない仕様でして」
イベントの進行には条件があり、襲撃されるのは黒幕と会話した直後。もしくは移動中、一人になった時にランダムで発生する。
つまり彼は、一時的な進行阻止のための足止めだ。そしてこの役に彼を選んだのには、もちろん理由がある。
「彼、実はモブキャラなんです」
「……モブキャラ?」
怪訝な顔をされたが無理はない。ロベルトは乳母兄弟として幼い頃から彼を支えてきた従者で、それなりに重要な立場だ。けれど、ゲームでは立ち絵もボイスもない――プレイヤーの記憶に残らないキャラクター。
「そういう人にこそ、こういう場面ではお願いしやすいんですよ」
声でバレたくないなら、声のないキャラを使えばいい。事前に確認しなければ私でも判別できないくらいなので、正体がエレナにバレることはまずないだろう。そして、攻略対象ではない故に好感度のことも気にしなくていい。
もちろん私と接点があると気取られないよう、彼には分かりやすい場所に待機してもらい、エレナの位置はノア経由で伝達した。念には念を、である。
「良い案でしょう?」
「用意周到過ぎて、もはや恐ろしいのだが。しかし、あいつモブだったのか……」
「モブと言えど、ただ立ち絵と声がないだけですよ」
眉をひそめたアルバートに少し真面目な口調で補足する。ロベルトの見た目はメインキャラたちと比較するとTHE普通といった感じだが、アルバートの優秀な従者の一人だ。
「たとえモブでも、この世界の住人です。私はちゃんと覚えてます」
そう言ってそっと二人に目を向けると、ロベルトはエレナに適度な距離を保ちつつ、にこやかに言葉を交わしていた。まるで偶然会った旧知のように、自然に。
単純な総合スペックでは同じ従者であるウォルターには及ばないが、今回は違う。
「ほら、適任でしょう?」
「……ああ、そうだな」
そう言ってアルバートは苦笑した。
ともかく、それよりエレナである。
「最近の彼女の様子はどうでしたか?」
「随分と参加に消極的だったぞ。『本当に行くんですか?』と何回も聞いてきた」
そりゃそうだ。このイベントで自分が連れ去られる可能性があると知っていれば、さもありなん。
「むしろよく来ましたね」
逃げ出す可能性も考えていたが、結局は手紙の魔術に打ち勝てなかったのだろうか。だとしたら彼女のレベル的には十分にあり得る話だ。
「……して、ルージュよ。黒幕の目星はついているのか?」
「もちろん、ある程度は」
私は声を少し抑えて続ける。
「ランダム配置とはいえ、優先順位が高い参加者は主人公の周囲でエンカウント率が上がります。つまり彼女の周囲には……」
「黒幕が潜んでいる可能性が高い、か」
「正解です」
エレナがこの場にいるということは、黒幕はここから遠くない場所にいるということ。誰かがまさに今、彼女に近づこうとしているかもしれない。
それを理解したのか、アルバートはすぐに視線を周囲へと向け、いつでも動けるよう身構えた。
私はそれを横目に見ながら、そっと一歩、彼から離れる。
「……ルージュ?」
不思議そうに名を呼ぶ彼に、私は小さく微笑んでみせた。
……そろそろ良い頃合いだろう。ここは彼に任せて、私はすべきことをしなければ。
「……今のうちに少し、見ておきたいものがあって。エレナさんの方は、お願いできますか?」
「ああ、分かった」
彼は頷き、再び視線をエレナに向けた。
よし、アルバートならばきっとやり遂げてくれるだろう。
その間に――私は『仕様の穴』を突く。
アルバートに背を向けて私は歩き出した。意識を次に仕掛けるべき一手に向けつつ、わざと人の流れを横切るように進む。
そして踊る男女の間を抜け、流れていた曲が終わり、音楽が途切れたときだった。
「……ようやく、見つけたよ」
背後から、妙に耳に残る声がした。
男とも女ともつかない中性的で、会場のざわめきの中でもなぜか不自然によく通る声。
……ああ、知ってる、この声。画面越しで何度も聞いた声。
意識して優雅な表情を張り付け、ゆっくりと振り向くと、そこにいたのは一人の人物。
その姿を見た瞬間、ただの参加者ではないと直感的に理解できた。
身なりは整っている。一見すれば、礼儀正しい貴族そのもの。だけど空気が明らかに異質だった。一言で言うなら、異物だ。
「こんばんは。一曲、踊っていただけますか?」
その手の差し出し方も滑らかで、洗練されている。けれど、それがこの参加者がほとんど学生である空間ではむしろ不自然。
そして、その人物の目は、まっすぐに私を見ていた。それはまるで、獲物に狙いを定めたように――
――かかったな。
そう、お察しの通り、この人が黒幕です。
内心、口角が上がる。まさか本当に出てくるとは。
……実はこの黒幕は『精霊の姫君』が誰だかまだ分かっていない。ではどうやって見つけるか? 答えは簡単。
『大精霊の加護を持つ女性』を探しているのだ。
――ならば『大精霊の加護を持っている』私でも問題ないのでしょう?
と言うわけで、ダメ元で仕掛けたが、まさかこんなにあっさり釣れるとは思わなかった。
口元が緩みそうになるのを抑え、一歩踏み出す。
「――ええ、喜んで」
そして、私は丁寧な作り笑いを浮かべて、その手を取った。
では、先手を打たせてもらいましょうか。




