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「本来の展開では、ここで事件が起こります。そこで――」
そこまで言いかけて私は言葉を飲み込んだ。詳しく話す前に、ひとつ確認しておきたいことがある。
「……アルバートは、誰が何のためにこの舞踏会を仕組んだと思いますか?」
「ふむ……」
私の問いに、彼は腕を組んでしばし黙り込んだ。そして、テーブルに置かれた手紙に目を向けて、はっとしたように口を開いた。
「まさか、この紋章は――ということは、エレナが目的か」
表情が一瞬で引き締まる。考えが一気に繋がったのだろう。やはり、この人は勘がいい。
「気がつきましたか」
「ああ。……続けてくれ」
詳細を促された私は軽く息を吐き、核心へと話を進める。
「お分かりの通り、この舞踏会はただの社交イベントではありません」
会場に足を踏み入れた瞬間、全員の認識がぼやける。顔も声も、誰のものか分からなくなり、知っているはずの相手さえ見失う。そんな不確かな空間に、全員が閉じ込められる。
「主催者の目的は『精霊の姫君』――エレナさんの誘拐です」
誘拐という単語に彼の表情がさらに険しくなる。
「ひとまず、事件が起きるまでの流れをお伝えしますね」
この怪しい招待状を受け取ったエレナたちは舞踏会に興味を惹かれつつ、その目的を探るために会場に入り、行動を開始する。
基本的に舞踏会前半は誰だか分からなくなったキャラクターたちとのやり取りをしつつ、会場内を自由に探索するのがメイン。
だが舞踏会も後半に差し掛かった頃、会場の照明が突如消えるのだ。そして、急に音も光も断たれた生徒たちは、暗闇の中でパニックになってしまう。
「その混乱の中で、主人公は何者かに襲撃されます」
闇に包まれた人々がどうにか脱出しようと手探りで足を踏み出す。靴音とざわめきだけが響く中、ひとつの影が、気配を殺してエレナに近づいていく――
「……以上が、舞踏会の本当の目的と、その中で起こることです」
話し終えた途端、室内に一瞬静寂が降りる。アルバートはじっと黙り込んだ後、呟いた。
「……卑劣な真似をするものだ」
彼は眉をわずかに寄せ、視線を窓の外に向けた。
主催者の目的はエレナを誘い出し、彼女の力を手に入れること。
つまりこの仮面舞踏会の正体は、『姫君』を奪い取るために仕組まれた罠だ。参加者には誰が誰だか分からないこの空間は、主催者側にとって非常に都合がいいのである。
「ですので、本当ならば彼女が参加するのは避けるべきですが――」
「それはできない。そうなのだろう?」
私は深く頷く。
「このイベントを無視すれば、別の手段で彼女が狙われるでしょう。……それも、より予測不能な形で」
「つまり、これが一番『制御できる』罠ということだな」
その通り。下手にあれこれ手を回して回避するより、ゲームに準じた方が対策を取りやすいのだ。
「ですが、もちろんリスクはあります」
今回はエレナの行動に掛かっている部分が大きい。彼女の動き次第では、一瞬で取り返しのつかない事態になる可能性がある。
彼女はあんな感じ(失礼)でもこの世界で重要な『精霊の姫君』だ。奪い取られるわけにはいかない。対策は十分にしておかねば。
「というわけで、アルバートには全パターン、先に話しておきますね」
「……全パターン?」
「このイベント、途中でシナリオが複数に分岐するんです」
目を丸くするアルバートに対し、私は静かにシナリオの続きを語り始める。
襲撃の時、『姫君』の力を利用しようと暗闇の中で何者かが彼女に接近する。
「その直後、強制イベントが発生します」
その何者かに連れ去られそうになった時、違う誰かが彼女の手を引くのだ。それに従い彼女はそのまま逃げることになる。
「当然、それは俺たちの中の誰かだろう?」
「そうです。攻略対象のカッコいい一面が楽しめるハラハラドキドキなシーンなんです! ただ……ひとつ問題がありまして」
「問題?」
「……実は、この場面で誰と行動を共にするかはランダムなんです」
そして照明が再度灯った時のスタート位置も複数パターンあり、こちらもやっぱりランダムだ。
「以前言っていた乱数とやらではないのか?」
「そうらしいんですが、他にも色々な要素が絡むようで、事実上は運でしたね」
そして運ゲーなのに好感度に大きな影響を与えるという厄介な仕様だ。
「その相手の好感度に影響する選択肢が頻繁に出てくるんです」
うまく選択肢を選んで調整すれば問題はないが、失敗すると最悪の場合は狙っていた相手のルートに入れないことすらある。
だからこそ、運任せでこの先が左右されるこのイベントはプレイヤーにとっても鬼門だったのだ。
「つまり、好感度はともかく、その運試しのせいで彼女の行動の予測が難しいと」
「その通りです。イベントの内容は結構好きだったんですけどね」
顔も名前もわからない相手と踊る。運命の誰かかもしれないし、もしかしたら因縁の相手かもしれない。こういうスリルのある仕様はまさにゲームのイベントだ。
誰もが、目の前の相手が誰なのか分からない。だからこそ、普段なら聞けない本音がこぼれることもある。
そんなまたとないチャンスではあるのだが、主人公たちにとってもプレイヤーにとっても、そして今の私たちにとっても、とんでもない罠でもあるのだ。
「なるほどな」
「そんな仕様なので、ゲームだと会場に入る直前に警告メッセージが表示されるんです」
《この先のイベントは好感度とルート分岐に影響します。セーブしますか?》
「――っていう」
「怖いな……」
アルバートが真顔で呟く。わかる。私も初見プレイのとき、この警告にビビり散らしたものだ。
まあ、大体の人はここでセーブして目当てのキャラのシナリオを引くまでリセマラするのだが……現実にはそんな便利機能はない。今回ばかりはあってほしかった。いや本当に。
「状況は把握したが……今回は、どう動く気なんだ?」
「打つ手は一つ。先手を取ることです」
私は鞄の中から大きな紙を取り出し、テーブルに広げる。
「誰が相手でも話の本筋自体はほぼ変わりません」
エレナが狙われ、誰か一人の攻略対象と力を合わせ黒幕に立ち向かう――これはどのパターンでも同じ。
なので私たちがすべきことは、エレナが誰のどのパターンを引いたかを可能な限り早く判断し、的確に対処することだ。
事前に用意していたこの紙には舞踏会会場のマップ、避難経路、時間ごとの人の流れ――さらに、逃走ルートのパターンもすべて記してある。
「……相変わらず、すごいな」
アルバートは目を細めて、通路の一本一本に視線を滑らせた。
「しかし、こんな細かいところまで覚えているとは」
「何度もやり直してたので……」
悲しいかな、見たいシナリオがなかなか出なくて頻繁にリセマラしていた結果である。
「では、これを元に作戦を話し合いましょう!」
「――以上で、説明はすべてです」
各攻略対象のシナリオ分岐について細かく伝えていたらいつのまにか日が暮れていたようで、外は暗くなっていた。
アルバートはしばらくテーブルを見つめた後、疲れ切ったようにゆっくりと顔を上げる。
「……お前の頭の中を覗いた気分だ」
それはどういう意味だろうか。
「もう遅いですし、そろそろ帰りましょうか」
「そうだな」
「ところで……最後にふたつほどお願いがあるんですが」
「なんだ?」
「舞踏会の日に――を、お借りできませんか?」
私の言葉に彼はわずかに眉を動かしてから、こちらをじっと見つめる。だが、やがて小さく息を吐き、口を開いた。
「わかった。お前のことだ、何か意図があるのだろう?」
「もちろんです」
「それで、もうひとつはなんだ?」
私は彼に向き直り、真剣な声で静かに言う。
「……何が起きても、私を信じて冷静に対応していただけますか?」
彼は一瞬、少し驚いたように目を開いたが、
「当たり前だ。任せておけ」
こちらを真っ直ぐに見る彼の頼もしい言葉に私はホッとする。
「ありがとうございます」
よし、これでアルバート側の準備は整った。
正直、ランダム要素の多さに気が重かったが、こうして一つ一つ確認していくうちに、ようやく迎え撃つ覚悟が固まってきた。
あとは当日までに残りの準備を整えなければ……と思ったその時、アルバートがふと口を開いた。
「それにしても認識阻害の魔術か。ルージュですら相手が誰か分からなくなるのだろう?」
「そうですね――と言いたいところですが、」
私は小さく笑って、彼の目を見つめた。
「実は見破る方法があるんです」
少なくとも、私には。




