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たまには少し真面目な話を。
時は過ぎて月末。今、私は侯爵家の屋敷に帰ってきている。
「ルージュ。お前は殿下とうまくやっているのだろうな?」
「はい。問題ありませんわ」
「ならいい。くれぐれも侯爵家の評価を下げるでないぞ」
あー、はいはいわかりましたー。
家に入るや否や現れた父からのいつもの念押しには適当に返事をしておく。王家との繋がりを確固たるものにしたいだけで、どうせルージュ自体に興味なんてない。気にしたって無駄無駄。今回はこの人に会いに来た訳じゃないし。
ではなぜ帰省したかといえば、目的は一つ。ノアとの和解だ。
ゲームのシナリオが動き始めるまで後二年弱。この短期間でまだ学園にいないためほとんど会えない彼と関係を良くするためにはのんびりとしている暇はない。バッドエンドにビビっている場合じゃないのだ。
女は度胸。ルージュ、腹を括ります。今日こそは絶対に話しかけてみせる。
どこにいるのだろうと夕食前に屋敷を歩き回っていると、廊下を一人歩くノアを見つけた。曲がり角にさっと身を隠して遠目に観察する。
私の二つ下である彼は今はだいたい十三歳。そのためゲームで主人公が出会う姿よりもずっと幼く、まだあどけなさが残っている。あとやっぱり目にハイライトがない。
だがそんなことよりその服装に私は目を奪われた。
公式の幼少期の設定画でしか見たことないお金持ちのお坊ちゃんが着てるタイプの服。それを着ているのだ。えっ、なんかちょっとお耽美じゃない? これって私のような者が見てもいいやつですか!? ……ダメだ今は荒ぶるな落ち着こう。
一度深呼吸して……よし、覚悟は決まった。早速近づいて話しかけることにする。
「ノア。ちょっといいかしら」
「……なんでしょうかルージュ様」
わぁ、超棒読み。ゲームと一緒だ。
ゲームでの彼は好感度が低い場合にセリフが全て棒読みになるという謎仕様がある。それに加えて中の人がこの作品唯一の新人だったこともあり、実装初期にこの棒読みを聞いたプレイヤーから『この新人声優、演技下手くそ。棒読み過ぎ』という声が上がりプチ炎上したこともあった。
まあ、好感度が上がれば普通に話すし演技も上手かったため、下手くそは間違いだったと事態はすぐに鎮火したのだが。中の人は上手過ぎたのだ。リアルな棒読みが。
……少々話が逸れたが本題に入ろう。
違和感のないように『元のルージュ』を意識して少々高飛車な態度でノアと対峙する。
「少しばかりあなたに用がありますの。今夜わたくしの部屋に来てくれるかしら?」
「……っ!」
私の言葉にノアは目を見開いて絶句する。あれ、なんか変なこと言った?
……。
……いやまさかちょっと待ってそういうこと!?
「ち、ちちちちち違っ! あ、その、あなたにお見せしたいものがわたくしの部屋にありましてよ! だから本当に少しでいいので来てほしいだけですわ」
そう弁明すればノアの肩から少し力が抜けた。
うわあっぶな! こんなとんでもない誤解で好感度を下げたくない。めちゃくちゃ焦ってしまった。
このゲームそういうやつじゃないから勘弁して。
「……はい。わかりました」
そしてノアは返事をしてくれたけどやっぱり無表情で何を考えているのか全く読めない。これ、来てくれるってことでいいんだよね……?
もう少し表情豊かならわかりやすいけど、それはもはやノアではない。アイデンティティーは大事。
夕食後に自室に戻ってノアが来るのを待つ。その間に少しルージュの記憶を辿ってみよう。果たして彼女は彼に何をしたのか。
数ヶ月前に養子としてこの屋敷にやってきたノア。彼はその日からルージュの攻撃を受けていたようだ。
その攻撃は酷いもので、存在を否定するような暴言を吐いたり、頭から水を掛けたり、服に泥を撒いたり……等々。
彼女はこんなことを続けていたのだ。そりゃ恨まれて断罪される。
ゲームではこの後の二年間にもっと酷いことをしていたようだが、もちろん今の私はそんなことをするつもりはない。だけどこの時点で既に嫌われているのは明らかであり当たり前である。
さて、そろそろ来る頃だろうか。今夜のために準備した秘密兵器もいい感じだ。机の上を確認していると控えめなノックが聞こえる。お、グッドタイミング。
「ルージュ様、失礼いたします」
「丁度いいわ。早くこちらに来て」
「? はい……あ」
わけがわかっていないノアを机の前に案内すると、机上のものを見て彼は目を見開いた。やっぱりこれが何だか知っているようだ。さすが天才、博識でもある。
そこにあるのは抱えるほどの大きさの一つの植木鉢。その中には石から生えた透明な植物があり、大きく膨らんだ蕾がキラキラと光りながら静かにその時を待っている。
「なんで……これ……」
「あ、そろそろ開きますわよ」
「!」
光を放ちながら蕾が少し開いていく。その瞬間をノアは興味津々でじっと見つめていた。その表情は無表情のままだが、瞳の奥に少しの驚きと興味が見える。
──よし、掴みはバッチリ。
この物体の名前はツイタチ草。その名の通り月末の夜から一日の朝にかけて咲く。
正確には植物ではなく鉱物の一種であり、本体は根元の石である。この世界の大きなエネルギー周期と連動して30日間で成長し咲いては元の石に戻る性質があり、これを元に暦が作られたため、この世界での一年は30×12で360日なのだ。これは公式設定集に書いてあった。
ゲームでは主人公の部屋に置くことができる景観用のアイテム。いつも気がついたら咲いているので咲く瞬間を見るのは実は初めてだったり。
「ふふ、せっかく咲きそうだったんですもの。あなたにもお見せしたかったの」
「でも、これ、どうやって……」
「その辺で拾いましたわ」
「は……え!?」
あ、すごい。無表情棒読みのまま驚いている。
しかし彼が驚くのも無理はない。通常このツイタチ草は年に数個しか発見されないほどの超希少品とされている。しかもその珍しさから王族に献上されたり、他国との交流の場で贈られたりするため、流通に乗ることもほとんどない。侯爵家の権力を持ってしても入手できる可能性が低い珠玉のレアアイテムだ。
そんなものでも私なら簡単に手に入れられる。だって例の乱数テーブルで配置が決まっているのだから。
しかもなんとそこが家から徒歩圏内である。これがレアアイテムに恵まれた白テーブルの恩恵。散歩感覚で取りに行けるなら行くよね。
それはさておき、私は彼に言わねばならないことがある。
「ノア」
「……はい」
「今までごめんなさい」
そう言って深く頭を下げるとノアは驚いたように固まった。
まさか私が謝るとは思っていなかったのだろう。元のルージュならこんなことは絶対にしないから。
彼女はノアを毛嫌いしていた。自分が侯爵家の駒でしかないと知っていても両親からの関心を得たかった彼女にとって、『後継ぎとして養子になった伯爵家出身の天才』の存在は我慢ならないものだったから。
両親の関心は全て優秀なノアに向き、せめてもの自分の役目である政略結婚、その相手であるアルバートとの関係もうまくいかない。
そうしているうちに抑圧された感情は憎悪として義弟であるノア、そして後には『平民なのに王族に重宝されている』主人公に向けられることになったのだ。
認められたかった、愛されたかった、何かを持っている人が羨ましかった。初めはそれだけだったらしい。これがノアルートでの断罪シーンで明かされる彼女の本音だ。
彼女は辛かったのだろう。それでも、だからといって幼い子供のような横暴がまかり通るわけじゃない。彼女がしたことは結局のところ悪でしかなく、それによってノアは深く傷ついた。
「許してもらおうなんて都合の良いことは思っていませんわ。わたくしがしたことは消えませんもの。だけど、しなければよかったと、後悔しているの」
「……」
「……これはあなたに差し上げるわ。お詫びになるかはわからないけれど、受け取って頂戴。要らなかったら売り払ってもらっても結構よ」
ああ、緊張で胃が痛い。今の転生者である私がやったことではないけれど、どうしても謝罪をしたかった。しなきゃいけないと思った。
私が差し出した植木鉢をノアはじっと見つめている。彼が今何を考えているのかはわからないが、これを気に入ってくれるという確信はあるのだ。
このゲームをやり尽くしたノア推しである私は彼の好き嫌いを完全に把握している。ゲーム内で見ることができるプロフィールに書いてあった内容は──
好きなもの:動かないもの
嫌いなもの:動くもの
──なんだこれ。こんな人間いるのか?
というそんな冗談みたいなフレーバーテキストは置いておいて。具体的に言えば、人間を含む動物全般が苦手で、植物や鉱物などの『意思のないもの』が好きということらしい。これは有志の作った攻略wikiの情報だ。いつも助かってます。
まとめると、このツイタチ草は動かないのでノアにとって好みのものであると判断。お詫びの品として用意させていただいた。
……あれ、本当に好みだった? ずっと固まっているけれど無表情過ぎて何もわからん。もしかして嫌だったりする?
「……ごめんなさい。迷惑でしたわね」
「そ、そんなことは。でも、こんな貴重なものをいただくのは……」
恐る恐る問えば、激レアアイテムを目の前にしてただ遠慮しているだけだったようだ。よかった。いやかわいいなおい。
「大丈夫よ。またきっと見つかりますもの。だから気にしないで」
頑張れば合計で三個は手に入るから。
彼の華奢な胸に鉢ごと押し付けると、少し戸惑いながらもしっかりと受け止めてくれた。
「……」
そして彼はしばらくじっと腕の中の鉢を見ていたが、何か考えるように私に目を向けた後、小さく会釈して静かに部屋を出ていった。
私一人になった部屋に静寂が落ちる。
……。
よかったあああああ! 受け取ってもらえたあああああ!
ベッドに勢いよく転がって枕に顔を埋めて奇声を上げながらその辺をバンバン叩く。侯爵令嬢にあるまじき醜態だけど今は許してほしい。
今日は緊張でずっと心臓がバクバクしていたのだ。というか今もしている。多分寿命が五年くらい縮んだ。これを繰り返していたらもしかして断罪前に死ぬのでは?
ゲームだと好感度が低すぎる場合、何を渡そうが贈り物自体を拒否されるのだ。結構悲しい。それ故に今日のこれも拒絶されたらどうしようかと思っていたが、杞憂だったようだ。
もちろん加害者側が和解を強要するなんてことはいただけない。彼がそうしたいと思えないのならずっと恨まれていても仕方のないことをルージュはしたと思っている。
私ができるのはただ誠意を持って彼と接することだけ。そして受け入れるかどうか決めるのはノアだけだ。
……だけどこれを期にちょっっっとだけでも仲良くなれたらいいな。と思う分には許されるだろう。
まだ時間は少し早いが疲れたので今日はもう寝るとしよう。明日からもやることはたくさんある。
そして翌朝。ノアに声を掛けたら挨拶を返してくれたのでちょっと泣きそうになったのは内緒だ。