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「え、え、え……え?」
私はただ、呆然とその姿を見つめていた。
まるで水面から現れた幻のように、青白い光をまとって、彼女はそこにいた。さっきまでの神秘的で近寄りがたい雰囲気とは打って変わり、今は柔らかく微笑んでいる。
その変化に、私の脳は現実を受け止めきれなかった。
『あれ? ぼーっとしてるけど、どうかした?』
「あっ、い、いえ、先ほどとはご様子が違うようでしたので、少し驚いてしまって……」
思わず漏れた本音に、大精霊は一瞬目を丸くしたかと思うと、次の瞬間――
『あっはっは! あれね、私って『大精霊』じゃない? 正式に呼ばれた時くらいは威厳を出さなきゃマズいでしょ?』
「確かに……?」
『うん。でもああいうのは表の顔ってやつ。普段は自由でいたいの。固いのは性に合わないんだよね〜』
そう気さくに続ける彼女に張り詰めていた気が抜けた。彼女は私に向き直り、続ける。
『改めて――私は『青の大精霊』。ここまでよく来たね』
「……!」
とん、と肩を叩かれたような感覚に、思わず背筋が跳ねる。だが実際に触れられたわけではなかった。大精霊は、まだ数メートル先に浮かんでいる。
彼女の存在が、圧倒的すぎて錯覚してしまったのだ。
『君がここに足を踏み入れたその瞬間からずっと見てたよ。さっきは大変だったね』
「! ……もしかして、わたくしが皆に見つからなかったのは」
そう問いかけると、彼女は小さく頷いた。
『君が困ってたから、ちょっと手を貸しただけ。最後は切れちゃったけど、君の認識阻害はよくできてたよ?』
『でも私は大精霊だから、そんなの効くわけないけどね〜』
と明るく言いながら、ふわりと宙を舞うように回転する。流石は大精霊、人間の魔術程度で隠し通せるはずもなかったようだ。
「助けてくださって、ありがとうございます。……ですが、わたくしに何か……?」
姿勢を正して礼を言う。でも、なぜ彼女がわざわざ話しかけてきたのか、それがわからない。そんな私の言葉に大精霊は楽しげに唇を綻ばせた。
『ふふふ、それはね――単刀直入に聞くけど、さっき私を目覚めさせたのって君でしょ?』
「……!?」
『やっぱり図星。魔力でわかるから。……でも他の子に気づかれないように魔力を流し込むなんて、ずいぶん器用だねえ』
「も、申し訳ございません。『姫君』でもない部外者が勝手に手を出してしまい……!」
反射的に頭を下げる。だが、彼女は責めるでもなく、むしろ嬉しそうに笑った。
『あはは。勝手に、だなんて思ってないよ。むしろ助かった』
彼女はさらりとそう言って微笑んだ。
『ちゃんと起こしてくれてありがとう。他の子たちは、全〜然わかってなかったみたいだし』
そう言って肩をすくめるしぐさも、妙に人間らしい。けれどその存在感は異質で、紛れもなくこの世界の根幹に関わる、大精霊のひとりだ。
なのにこんなに気さくに話しかけてくるとは、想定外にも程がある。ゲームでの『青の大精霊』はもっと無機質だったのに。
……正直、動揺はしている。だけど、それ以上に、今この瞬間がたまらなくワクワクする。ゲームにない展開、設定集にもない情報。新要素の開示。プレイヤーとして、これほどの興奮はない。
『なんかすごく楽しそうだね。……ああ、そういえば』
そう言って、彼女はにっこりと笑みを深めながら近づいてくる。
「な、なんですの?」
『せっかく目覚めさせてくれたんだし――君にも、加護をあげるよ』
「……へっ?」
思わず、聞き間違いかと耳を疑う。
『だって、君がいなかったら多分目覚めなかったしね。これは、感謝の気持ち。うん、ついでだけど、特別ってやつ』
「ま、ままま、待ってくださいませ!」
『? なんで?』
焦って止める私を、大精霊はきょとんとした顔で見下ろしている。
「お気持ちはとてもありがたいのですが、わたくしは……その……」
正直に伝えるわけにもいかず言い淀む。ゲームにそんなイベントなかったし、私は『精霊の姫君』でもなんでもない。むしろ本来は悪役だ。とても加護をもらえるようなような立場じゃない。
けれど、その心を見透かしたかのように、彼女は静かに口を開いた。
『資格がないって? そういうのじゃない。これは私の『気持ち』なんだから、選ぶのは私。君の『役』なんて、関係ないよ』
「……関係、ない」
『うん。関係ない。君が誰で、どんな立場でも、私は自分の目で見て、心で決めたの』
その言葉には、一片の迷いもなかった。
『それに、君の魔力はすごく綺麗で……静かだけど強くて、気持ちよかった。……君みたいな人に、私の力が届くのなら悪くない。どう?』
「わたくしは――」
……こんな展開はバグだ。エレナのためのこの物語で、こんなことが起こるはずがない。
けれど、それでもいいと、そう言ってくれる誰かがいるのなら。
それなら、私は。
「――」
唇をきつく結ぶ。胸の奥で閉ざしていた何かが音もなく崩れていく。
そして、小さく息を吸って、私は静かに頷いた。
『よし、じゃあ――我が加護を授けん』
「……!」
彼女がそう唱えた瞬間、青の光が足元から広がり、静かに私を包み込んだ。
それはまるで、水に沈んでいくような感覚で――けれど、怖くなかった。むしろ、優しく癒やしてくれるような、そんな魔力の感触。
そして光が引いていくと、身体の奥深くに、何かが宿ったのをはっきりと感じた。
――これが、大精霊の加護。
「……ありがとう、ございます」
深く頭を下げると、彼女は満足そうに微笑んだ。
『いいってこと。あ、そうだ。君にはオマケも付けといたよ』
「オマケ?」
『うん。結構レアなんじゃない?』
「えっ!? レア……!? あっ!」
くすくすと笑う声にハッとする。ゲーマーとして聞き捨てられない単語が聞こえて思いっきり顔に出してしまったらしい。恥ずかしい。
「……こほん。ですが、オマケなんてそんな……」
『おっと、遠慮はなし。それに、これからもっと大変になるだろうからね――君が思ってるよりも』
「それはどういう……?」
『でも好きにやっていいと思うよ。じゃ、また会おうね。バイバイ』
「え、ちょっと待っ――!?」
言いたいことをすべて言い切ったかのように、彼女は青の光に包まれ、霧のように消えていった。
「……」
……これって言い逃げじゃない? もっと大変って何ですか。あと、オマケって結局何!?
他にもツッコミたいことは山ほどあるけど、とりあえず一言。
「自由すぎない……?」
ゲームでは、青の大精霊はもっと冷静で、厳格だったはずだ。それが実際はあんなにお喋りで、自由奔放だなんて。
……もしかして、他の大精霊もあんな感じだったりするのだろうか。
それにしても、
「……『役なんて関係ない』――か」
ふと、彼女の言葉が蘇る。それは、確かに私を見てくれた言葉だった。ゲームの悪役で、転生したただのプレイヤー。それでも存在を認められた気がして。それが嬉しかった。
「……よし、頑張りますか」
そう呟いて背筋を伸ばすと、洞窟には静寂が戻っている。
私は小さく笑い、出口へと歩き出した。
翌日。
まだ昨日の余韻が残る中、私はアルバートの呼び出しを受けていた。クエストの報告ということで、いつもの部屋に集まり、早速話を聞く。
「――というわけで、まずはひとつ目の『青の大精霊』の加護を貰ったぞ」
「無事で良かったです。エレナさんたちの様子はどうですか?」
彼曰く、エレナは加護を得たことを素直に喜んでいたという。セシルとダリウスは、実感が湧かずにそわそわしていたそうだ。よし、ゲーム通りである。
「とにかく、今はこれで一安心ですね」
私は、ふっと胸を撫で下ろす。問題は山積みだが、メインクエストは確実に前進している。
そして、クエストの感想や今後の流れなど、ひとしきり会話を交わし、「では、そろそろ」と腰を浮かせたその時だった。
「……ルージュよ、少し聞きたいことがあるのだが」
「? なんですか?」
アルバートが声を少し低めにしながら私を呼び止めた。座り直して目を合わせると、彼はにっこりと、完璧な笑顔を浮かべていた。
……うわ、めちゃくちゃ嫌な予感がする。
「………………聞かないでもいいですか?」
「ダメだぞ」
即答だった。ですよね。
すべてを察した私は無言で背筋を正す。その様子を見ていた彼は、それはそれはいい笑顔で言った。
「本当は付いて来ていたのだろう?」




