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エレナが静かに両手を胸元で組み、祈るように目を閉じると、周囲からたくさんの精霊たちが現れる。そして次の瞬間、湖面に白銀の霜がゆっくりと広がり、湖の対岸から浮島へと続く氷の道が形作られた。
「すごい……!」
遠巻きにその光景を目の当たりにしながら、思わず息をのむ。
ちなみに今、私は既にその目的地、浮島の上にいる。……どうしてここにいるのかって? 大精霊のイベントを見たいからに決まってるじゃないですか。王都で待てとか無理無理。見たい欲が勝った。
だから来た。それ以上でもそれ以下でもない。
「まあ、少し心配なのもありますけどね……」
エレナはああいう性格だし、今日のメンバーは過去にみんなでアルバートにクエストを丸投げした前科がある。彼らだけでちゃんと攻略できるのか、見届けておきたかったのだ。
……というわけで、浮島の裏手にあるワープポイントから先回りしたというわけである。
付近の物陰に隠れて様子を窺っていると、やがて、遠くから話し声と足音が聞こえてきた。どうやら氷の道を渡り終え、斜面を登ってくるところらしい。
さて、このクエストについて。
この浮島、実は小さなダンジョンになっており、エレナにとっては初のダンジョン攻略となる。
……といっても内容はほぼチュートリアル。一本道だし、仕掛けも単純だ。正直、先日の王城潜入の方がよほど大変だったろう。魔物も出るには出るが、高レベルのアルバートとダリウスがいる今なら、まず問題ない。
木々の隙間からそっと様子を見る。
島の中心、木々に囲まれた小さな崖。その上に、岩と蔦に覆われた洞窟の入口が見える。四人はその前で足を止め、それぞれ準備を整え始めていた。
「まさか精霊の力で道ができるなんてね……」
「それにしても静かだな。気を引き締めて行くぞ」
「そうですね、気をつけて行きましょう」
アルバートの言葉で四人の様子が少しだけ張り詰めたものに変わる。私はそれを確認しながら、そっと息を吐いた。
さて、私も準備をしよう。立ち上がり、自分自身に魔術をかける。
そして、物陰から姿を現し、恐る恐る彼らの視界に入った――が、全く反応はなかった。
よーし、バレてない。これなら大丈夫そうだ。
これは『認識阻害』の魔術。自分よりレベルの低い相手から視認されなくなる効果があるという、学園の図書館の本で習得できる便利魔術だ。
本来は魔物との無駄なエンカウントを減らすための魔術で、要するにポ◯モンでいうむしよけスプレーである。しかしなぜか人間にも効くので、今回はそれを利用する。
もちろん事前にテスト済み。念のため私自身のレベル上げもしておいた。アルバートにさえ効いていることは確認したので完璧である。
というわけで、これで堂々とついて行ける。見るぞ、大精霊イベント!
……とはいえ、この魔術は魔力をかなり消耗するので長時間は使えないし、近づきすぎると普通に見つかる。
だからこそ、適切な距離を保って観察。イベントを見届けたら即撤退。それが作戦だ。
四人の後を追い足を踏み入れた洞窟内の空気はひんやりとしていて、吐く息がわずかに白く曇る。
「……流石に洞窟の中は視界が悪いな」
ダリウスが呟いた声が洞窟の奥に反響する。
クエストの目的は『大精霊を目覚めさせ、その加護を得ること』。それは島の最奥、聖域と呼ばれる場所に眠っている。
とはいえ、ダンジョンは魔物も少なく、入って一時間弱ほど経ったころ、最深部に到達した。
視界が開けた広い空間。奥には大きな泉があり、その中央に石像が立っていた。
「あの石像……私が見た大精霊様の姿と同じです」
「つまり、あれが大精霊なのか……?」
エレナの言葉に全員が足を止め、石像を見る。
「……それで、どうするんだ?」
「えーと……出てこないですね」
「もしかして眠っているんじゃないか?」
そう、大精霊はまだ目覚めていない。魔力の気配はあるが、霧のように薄く、形を成していなかった。
半ば眠りに落ちたままの大精霊を目覚めさせるためには、正しい順番で祭壇の魔石に魔力を流し込むこと必要があるのだが、
「うーん、えーっと『正シキ順ニ魔石ヘ力ヲ注ゲ』……これ、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だと思うけれど……正しい順番ってなんだろう。ダリウス君はわかるかい?」
「……」
その方法が書いてある石版の前でエレナは首を傾げているし、セシルも眉をひそめている。ダリウスは完全にわからないようで無言で立ち尽くしていた。
正解は、ダンジョンの途中にめちゃくちゃ意味深に並んでいた結晶の色の順番という、ゲームでよくあるパターンなのだが、初見でそれを読み解くのはまあ難しいだろう。……エレナは初見じゃないはずなのだが。
でもアルバートならば、と目を向けると、
「………………」
彼も腕を組んで考え込んでいた。
これはダメなやつですね。
頭を抱える。これ、多分全員が見逃してたやつだ。このままでは誰かが仕組みに気がついて確認に戻るまでいつまで経っても終わらない。
……こうなったら仕方ない、手を貸そう。順番は普通に覚えてるし。
私は遠距離からそっと魔術を放ち、魔石に魔力を注ぐ。ばれないように、静かに。
息を潜め、指先に魔力を集中させる。焦れば、魔力の流れが乱れてしまう。そっと、狙いを定めて魔石へと魔力を送る。一筋の光が、静かに紋様をなぞった。
そして正しい順番で注ぎ終えると、途端にすべての魔石の紋様が淡く輝き、その魔力が一斉に石像に流れ込み始める。
「えっ!?」
「な、なんだ急に魔力が……!」
驚く四人を他所に石像が光を放つ。その柔らかな光が空間を満たした瞬間、部屋の空気がひんやりと澄み渡った。
そして、石像が波紋のように揺らぎ、その輪郭が溶けるように変化して、
湧き上がる光の粒の中から、ひとりの存在が現れた――顔にかかる長いヴェールを纏い、透き通る羽を持った、まるで水そのものから生まれたような美しさの人魚。
人に似て、どこか遠く、根源的な存在が、静かに、だが確かにエレナたちを見つめていた。
『……目覚めの声を、確かに聞いた』
澄んだ深い声が響く。
「……あなたが、『青の大精霊』……?」
エレナの声が震える。
『そうだ。我が名を呼びし者、名を問う』
「私はエレナといいます。あなたの導きに従い、ここに来ました」
彼女がこれまでの経緯、そして『異変』についてを語り終えると、大精霊は静かに頷いた。
『汝の願い、聞き届けよう。我が加護を授けん』
光が四人の全身を包み、深く、静かに染み込んでいく。――それが、大精霊の加護。通常の精霊とは異なり、もっと根源的で別格の存在。彼らの加護こそが、今世界で起こっている『異変』に立ち向かう力。
やがて、加護を与え終えた大精霊は、泉へと溶けるように姿を消した。
……。
すごい……この世界の底知れなさを見た気がする。画面越しじゃ味わえない。空気、音、光――全てが、現実だった。
これだよこれ! やっぱり現場で見ると全然違う……! 転生して良かった!
少しの間その場に佇み、余韻を味わう。けれど、そろそろ引き時だ。目的は達成したし、そろそろ帰らねば……と、踵を返したその瞬間、
ピリッ、と空気が弾けたような音が耳を打った。一瞬で全身の毛が逆立つ。魔力の流れがぷつりと途切れた感覚。
「……っ!? まさか……」
背筋が凍る。認識阻害の魔術が、切れた?
まさか、さっきの魔力の消耗が響いた? いや、よりによってこのタイミングで……!?
頭の中で「まずい」という警告が何度も鳴り響く。再度魔術を掛けようにも魔力の感触が指先から抜けていく……やばい、これは本当に。
ここで見つかったら完全にアウトだ。だけど今から逃げ出すのは間に合わない。でも近くに来たらどう考えてもバレる。
立ち竦んでいるうちに、足音が徐々に近づいてくる。
咄嗟にしゃがみ込んで、目をぎゅっと閉じた。音を殺して、ただ存在を消すように意識を集中する。
「ん? そこに誰かいるのか?」
「……!」
アルバートの声に、肩がぴくりと跳ねた。これは、詰みかもしれない。だが、
「……どうかしたのかい? 僕ら以外には誰もいないと思うけれど」
「魔物も、もういなそうだしな」
「アルバート様もきっと疲れてるんですよ、早く帰って休みましょう」
「……そうだな。気のせいだったようだ」
……そのまま、誰も私に触れず、彼らの足音は通り過ぎていった。そっと目を開けると、背を向けて歩いていく四人の姿が見える。
「あれ……?」
見えてない? え、なに? バグ? それとも仕様? ……まさか、アレでやり過ごせた?
胸を撫で下ろしながら、私はその場にへたり込みそうになるのをこらえる。もう、大丈夫。そう思った瞬間だった。
『あはは。隠れるのは、もういいんじゃない?』
不意に、頭上から軽やかで、どこかからかうような声が降ってきた。
「えっ……?」
咄嗟に顔を上げると、そこにいたのは、ほんの数分前まで石像として眠っていた存在。
空中にふわりと浮かびながら、淡い青の光を纏ったその姿。
――先ほどエレナたちに加護を与えた『青の大精霊』が、まっすぐこちらを見ていた。




