66
【アルバート視点】
放課後。学園のいつもの部屋で、俺はルージュと向かい合っていた。
「それで、どうでしたか?」
昨夜の王城潜入から一夜明けたばかりの俺に、彼女はいつも通りの口調で問いかける。
「無事になんとかなったぞ。お陰様でな」
俺は苦笑しつつ言葉を続ける。
「しかし、もう二度とやりたくない類のクエストだったな。心臓に悪すぎる」
俺はそう言いながら昨夜の記憶を思い返す。薄暗い王城の中、何度も物陰に隠れて息を止め、衛兵の目をかいくぐった緊張感は凄まじかった。
簡潔に説明すると、教師から得た情報を元に王城へ向かったのは俺、エレナ、セシルの三人。一応ダリウスも誘ったが、向いてないと辞退された。
俺たちは裏口から城に入り込み、ルージュが準備してくれた地図を頼りに巡回の衛兵をやり過ごしつつ移動。そして鍵を入手し、書庫の禁書エリア最奥に保管されていた一冊を見つけ出した。
そしてその禁書をエレナが手に取った瞬間、彼女の瞳に淡い光が宿る。
どうやらその時、本に潜んでいた精霊の気配に共鳴した彼女は『大精霊』の幻視を見ていたらしい。そして導かれるように本を読み、記載内容から正確な場所を特定。『青の大精霊』の居場所は北方の霧に包まれた湖の浮島にあると確信するに至った。
――というわけだ。
「まとめると、ルージュの言った通りの内容だったな」
「上手く行ったみたいでよかったです」
これで大精霊の出現フラグが立ったはずだと彼女は続ける。
「……ああ。そうだな」
このイベントは起こさないと必要なフラグが立たない。つまりシナリオを進めるためには主人公であるエレナの存在は必須なのだと、今回、改めて認識した。
まさに『異変』に対抗するための鍵だ。彼女についての問題は山積みだが、上手く扱わねばならない。
「……ところでなんですけど」
「なんだ?」
「もしかして結構苦戦しました?」
「!?」
図星を突かれて驚いた。ルージュは今回、一切参加していなかったはずだが、まさか、
「見ていたのか?」
「いいえ、なんとなくです」
彼女はさらりと答える。
「アルバートがいつもより疲れてそうに見えたので」
その優しげな声音に彼女が本気でこちらを心配しているのがわかった。
「……そうだな。多少は苦戦したな」
俺は観念して素直にそう返す。確かに、バレかけた場面が一度や二度じゃなかったし、物陰から出るタイミングを逃して長時間一ヶ所にとどまり様子見をしていたこともあった。正直、かなり疲れていたのだ。
しかし、任務の報告だけではなく、俺自身の状態も見ていたとは。そんな彼女の何気ない気遣いに触れて不意に胸の奥がふっと温かくなった。自分は一人ではないのだと、そんな当たり前のことを思い出させてくれる。
「……ところで、これはゲームだとどれくらい掛かるものだったんだ?」
照れ隠しに気になっていたことを何気なく尋ねたら恐ろしい回答が返ってくる。
「人によりますが、RTAガチ勢ならば最速五分で禁書まで辿り着きますよ」
「ごっ……五分!?」
俺たちはそこまで行くのに一時間近く掛かったのだが、五分とは。どんな動きをしたらそうなるんだ? それ、ほぼ全力疾走じゃないのか? だとしたらもう化け物の域ではないか?
理解不能過ぎて動揺する俺を見て、ルージュは楽しそうに笑っていた。
「――というわけで、大精霊の元へ向かう。準備は整ったか?」
「おう。いよいよ出発か」
「緊張するね」
出発当日。皆の様子を確認するが、特に異変はない。
空を見上げると雲ひとつない晴天が広がっている。だが、これから向かうのは霧の湖だ。皆で馬車に乗り込み、出発する。……今回はワープは使えないので目的地付近までは半日ほど馬車で揺られる必要がある。面倒だが仕方ない。
王都から離れ、舗装されていない山道を進む。馬車は時折大きく揺れ、そのたびに積まれた荷物が音を立てた。
「そういえば。みなさんは何か準備してきましたか?」
外を見ていたエレナが振り返りながら俺たちに声をかける。
「俺は……必要なものを、いくつかだな」
ルージュに教わったクエストに必要なものを揃えてある。あまり多く持っても邪魔になりかねないので最小限にまとめた。
「僕は念のため、解毒薬を持ってきたよ。確か北の湖には毒のある魔物がいると聞いたし……」
「俺はそういうやつは特に何も。でも途中で腹が減るのはゴメンだから、パンと干し肉だけは大量に持ってきた。腹が減ってたら戦えないしな!」
「ふふ、ダリウス様らしいですね」
「エレナは何を持ってきたんだ?」
ダリウスに聞かれた彼女は少しだけ照れたように言う。
「私は回復薬を。いざという時のお守り、ですね。あとは……みんなの無事を祈る気持ち、です」
そんな彼女の真面目で温かい言葉にはセシルが小さく「らしいね」と微笑んだ。和やかな雰囲気の中、馬車は緩やかに揺れながら北へ向かって進んでいく。
「……」
笑い声が一段落し、少しだけ静寂が戻ったとき、俺はふと王城に侵入した時の出来事を思い出した。窓の外に目を向けながら、意識を過去へと向ける。
迷った末にルージュには伝えなかったが、途中でエレナの様子がおかしかった。
禁書エリアの鍵を探していたとき、埃をかぶった棚を動かした拍子に、エレナが急に咳き込んだ。そして手で口元を覆って、そのまま動きを止めたのだ。
その時の様子がどうにも引っかかっている。
――いや、咳そのものはただの咳だった。俺だって、埃っぽさにはむせたくらいだ。だが、あの時に一瞬だけ浮かんだその表情は、
何かに怯えているように見えた。
すぐにセシルが彼女に声をかけて宥め、落ち着かせたし、その後は何でもないように振る舞っていたが、あれは明らかに妙だった。俺たちの気を引くための演技だったのか? だとしても不自然だ。今までの彼女らしくない。
何かある。直感がそう告げていた。気が付かなかったふりを貫くべきか。それとも、少し揺さぶりをかけて――
「アルバート様?」
そう思案していると、移動中に遠くを見ている俺を不審に思ったのか、エレナが声を掛けてきていた。慌てて手元に視線を落としつつ、俺は答える。
「……なんだ?」
「えっと、なんだかさっきからぼーっとしてるみたいですけど、何かあったのかなって思って」
「ああ……いや、少し考え事を、な」
「考え事、ですか?」
「ああ。例の大精霊について考えていたのだ。それは他の精霊と何が違うのか……そもそも意思の疎通ができるものなのか」
……この一連のやり取り、これはまさしくルージュから聞いていたゲーム内の会話イベントだ。突然の供給に緩みそうになった表情を真剣なものに直しつつ、予習通りの言葉を続けた。
「そして、無事に加護を得られたとして、それで本当に『精霊王』に立ち向かえるのか、と……」
意図して深刻そうな雰囲気を出すように声を落としていくと、彼女はそんな俺を励ますようにそっと俺の手を取った。
「きっと大丈夫です。ちゃんと大精霊様はそこにいて、きっと私たちに力を貸してもらえますよ」
「エレナ……」
「『異変』だって、絶対に解決できますから。私が保証します!」
「! そうか。お前が言うなら、きっとそうなのだろうな」
そう言って手を握り返すと、俺の反応に満足したらしい彼女は嬉しそうに微笑んだ。……ふむ、こんなところだろうか。帰ったらルージュに自慢しよう。
それからも四人で話を続け、そうこうしているうちに半日が過ぎた。
馬車が止まり、御者が「着きました」と静かに告げる。扉を開けて外に出ると、目の前には霧に包まれた湖が広がっていた。
霞む視界の中、水面にはうっすらと浮かぶ木々の影が反射しており、それを隠すように霧が厚く流れる様子は、まるで異界への入り口のようだ。
「あれは……」
湖面の奥に目を向けると、湖の中央付近にうっすらと見えるものがある。
「ここです、見えたのは……行きましょう!」
彼女が力強く声を上げた。つまりあれが例の浮島なのだろう。そして、そこに目的の『青の大精霊』がいる。
導かれるように湖の方へ向かうエレナに続き、俺も一歩足を踏み出した。




