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王城の一室。窓から差し込む光が豪奢な調度品を静かに照らしている。そんな優雅な空間で、私はテーブルを挟んでアルバートと向き合っていた。
「……それで、エレナさんが本に触れた瞬間、本が光り出すのを確認しましたか?」
「したぞ」
よし、予定通り。私は小さく頷き、続ける。
「では、その様子を偶然見て、『もしや、これが『異変』に抗う鍵なのか――?』と、『精霊の姫君』の力に改めて興味を持った、みたいな反応もちゃんと?」
「ああ、バッチリだ。だが、それだけではないぞ?」
そう言うと彼は得意げに胸を張った。
「『確か、この学園には精霊の伝承に詳しい教師がいたはずだ。話を聞いてみるのはどうだ?』と、自然に話を振っておいた」
「すごい……完璧じゃないですか!」
「光栄だな」
思わず拍手したくなるくらいだ。さすがアルバート、演技が上手い。
で、なぜ私たちがこんな演劇の打ち合わせみたいなことを真剣にやっているのかといえば、その理由は単純明快。原作通りにエレナを動かすための準備である。
ざっくりと今のシナリオを説明すると、
エレナは魔術史の授業で課題レポートを出され、学園の図書室で古文書を調べるうちに書庫の奥で埃をかぶった一冊の書物を発見。
何気なく彼女がそれに触れた瞬間、本がまばゆく光り出す。驚きつつもその本を読むと、そこに書かれていたのは『大精霊』の存在だった。
そして、それが『異変』に対抗するために必要である可能性に気づくことで、ストーリーは一気に加速していく――という流れだ。
そう、これはただの演技ではない。アルバートは次のメインクエストを正しく起動させるための『舞台演出』として、その瞬間を再現していたのだ。
一言で言えばフラグ建築である。
ここから先、アルバート主導で進める部分は私が直接関与できない場合もあるだろう。つまり彼がエレナを上手く誘導できるがが今後を左右する。
「エレナといえば、あれからルージュに対する動きがないようだな」
「そうですね」
セシルのバイオリンが行方不明になった事件、あの日から数日が過ぎた。彼女は私を陥れることに失敗したのが堪えたのか、それとも本の件で改めて注目されているからなのか、随分と大人しくなっている。
アルバート経由で聞いたウォルターからの話によると、どうやら彼女は早朝に職員室からバイオリンを持ち出し、中庭のテラスの人目につかない場所に布を被せて隠していたらしい。最初に教室に仕込んだのもおそらく彼女で、セシルの目を盗んで運んだとみられている。
私を犯人に仕立て上げた後に、しばらくしてから『頑張って見つけ出し、取り戻した演技』をしてセシルの好感度を稼ぐ予定だったのだろうか。
……相変わらず手を替え品を替え、私を陥れようとしてくるのは本当に厄介だなとため息をつく。
一方で、セシルはというと……相変わらず授業をサボってふらふらしている姿をよく見かけるが、何を考えているのかは謎のままだ。こうしてみるとダリウスはかなりわかりやすかったなと改めて思う。
「まあ、あの二人のことはさておき、今はメインクエストの方に集中しましょう」
「そうだな」
窓の外、黄昏の色が徐々に深まっていく。話しているうちにいつの間にか日が落ちた王城の空気は、昼間と比べてひんやりしていた。
「……ところでルージュよ。どこへ向かっているんだ?」
「書庫ですね」
しんと静まり返った回廊には、自分たちと、時折衛兵の足音が響く。そんな中、私はアルバートと打ち合わせの休憩がてら王城内の書庫へと足を運んでいた。
その一角、静かな空間に設けられた椅子に、私たちは並んで腰掛ける。
「実は、この書庫に関係するクエストがあるんです」
「さては、厄介なものなのだろう?」
その通りである。やけに察しがいいな。私は頭を抱えている彼に詳しく説明する。
「ですが、これはシナリオに関わる重要なものです」
これからエレナは攻略対象たちの協力のもと、大精霊の一体、『青の大精霊』の居場所を突き止めるために行動する。
アルバートが誘導した『この国の伝承に詳しい教師に話を聞くイベント』。ここでその教師は『精霊の在り処が記された禁書の存在を昔聞いたことがある』と語るのだ。そしてそれが王城の書庫にあるらしいと。
そこから、夜の城に忍び込むスリリングな展開が始まるのだ。
「待て、夜の城に忍び込むだと……? それは大丈夫なのか?」
「もちろん普通に大丈夫ではないです」
「普通に大丈夫ではない」
そりゃそうである。王太子もいるとはいえ、深夜の王城に忍び込むなんて、本来であればあってはならない話だ。
ならこんなことをせずに、私のゲームの知識だけで済ませればいいと思うかもしれない。だが実はこのイベント、発生させないと大精霊が出現しない仕様になっている。つまり、フラグを立てるためには必須だ。
「ゲームでは明かされなかった裏情報が書いてある可能性もありますし……できたら読んでほしいですね」
私はそう言って書庫の奥に目を向ける。そこにある禁書のエリアは厳重に施錠されていた。
クエストは、衛兵に見つからないように移動して途中で鍵を入手。そして禁書に辿り着く流れだ。
ちなみに衛兵に見つかると普通に怒られ追い出される。そして三回失敗すると参加した攻略対象の好感度が下がる。特に何度も怒られてしょんぼりするアルバートの姿は必見――
「嫌だぞ?」
「ですよね」
即答だった。負けイベの後に国王陛下にたんまりと怒られたのが今も効いているのだろう。
かといって責任者に説明して入ればいいかと思えばそうでもなく、禁書を読む許可はそう簡単には出ないらしい。出ても申請して数ヶ月かかることもザラだとか。それを待っている時間はない。
「つまり、行くしかないのか」
「そうですね。怒られたくなければ一度も見つからないようにしてください」
「ふむ。だが、城の衛兵は多いぞ? そのようなことが可能なのか?」
「ふっふっふ……もちろんです!」
珍しく自信なさげなアルバートの表情に思わず口角が上がった。
「そんなこともあろうかと、書庫までのマップと衛兵の動きをまとめてきました!」
「なんと!」
私は自信満々に紙束を取り出し、近くにあったテーブルの上に広げた。手描きの地図には、赤や青で線が引かれ、衛兵の巡回ルートや待機ポイントが詳細に記されている。
「これは……すごいな。ここまでとは」
彼が感嘆の声をあげた。もちろん、全てが同じというわけにはいかないだろうが、これを頭に叩き込んでおけば成功率はぐっと上がるはずだ。
しばらく一緒にマップを見ていると、彼がふと呟いた。
「ところで、ルージュの言っていた『攻略サイト』とやらには、こういうものが載っているのか?」
「確かに言われてみれば、こんな感じですね」
攻略本がまったく役に立たなかったこともあり、最終的に攻略サイトはプレイヤーたちが協力して作った集大成となった。
そのサイトは、当時のプレイヤーたちの熱意の結晶。隠しルート、分岐条件、スチルの回収方法――ありとあらゆる情報が詰まっていた。私も、どれほど助けられたことか。
彼がふと、真剣な顔になる。
「もしや……ルージュには、この城の内部事情まで筒抜けということか?」
さすがにそこまでではない。
長い打ち合わせを終えた後。私は寮の自室へ戻った。
部屋に入るとカーテンを閉め、すぐに机の引き出しからノートを出し広げた。攻略チャートを確認し、進行状況に目を通す。
エレナがちゃんと動けるか若干心配だが、アルバートに攻略情報を渡したことだし、彼が誘導するなら問題なくやり遂げられるだろう。
ここで『青の大精霊』にまつわるさらなる情報が手に入る。そして、その先のメインクエストが動き出すまでには、およそ一週間。
セシルのことは少し気になるが、彼については後のイベントで絡めるつもりだ。それまでは一旦、保留。
……問題は、空いたその一週間で何をするか。と、その前に、
「そろそろアレの練習の成果を見せても、いい頃かもしれませんね」




