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「これは……何事だ?」
「エレナ? セシルも、なんでこのクラスに?」
「アルバート様! ダリウス様!」
突然の王太子の登場に教室内のざわめきが一瞬で静まる中、エレナの顔にぱっと安堵の色が広がった。彼女にとって、二人は頼るべき正義の味方なのだろう。
ちらりとアルバートの表情を窺うと、ちょっと笑いを堪えているように見える。……さてはこの状況、面白がっているな?
若干呆れつつも様子を見ていると、セシルとエレナが、経緯を説明し始める。
「――ということがあって」
「そうか、ちょうどいいところにいたな。ダリウス」
「おう」
アルバートに促されたダリウスは一歩前へ出ると、するりと何かを差し出した。
「探してるのは、これだろ?」
「……!」
差し出されたそれに全員の視線が集まる。
彼が持っていたもの――それはセシルのバイオリンだった。
さて、何が起きたのか。私は昨日の出来事を回想する。
昨夜、私は学園の校舎にこっそり忍び込んでいた。月明かりだけが差し込む、時の止まったような静けさの中、靴音が吸い込まれていく。
「……さて」
そんな中、私は足を止めて背後に向かって声を投げかけた。
「――出て来てくださる? そちらにいらっしゃるのはわかっていますわ」
「へぇ?」
「……っ!?」
耳元に落ちた声に肩が跳ねた。こいつ、また背後から……! 油断した。心臓に悪いったらない。
「あ、あなたがこちらにいらっしゃるような……そんな気がしましたのよ、ウォルター様」
「……随分と勘が鋭くなったな」
ふふ、と誤魔化すように笑う。……嘘です、半分ハッタリです。ゲームでたまに監視役として現れるのは知ってたけど、本当にいるとは。この人、いつ寝てるんだろうか。
いや、今は監視の確認は本題ではない。私が彼を探した理由は一つ。
「時にウォルター様。わたくし、実はあなたにいくつか頼み事がありましたのよ」
「ふうん?」
念には念を、しっかりと手を打っておく。
「――聞いてくださる?」
話を聞き終えたウォルターは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
――職員室へ向かう途中で気がついたのだ。セシルといえばバイオリン。そして彼と私にとって『この事件』はその後の関係を大きく変える重大なイベント。
私は予想していた。エレナが、この事件を利用して私を陥れる可能性を。
だから私はウォルターに仕組んでもらった。バイオリンに王家の影の追跡魔術を施し、もし動きがあれば、アルバートに即時伝達されるように。実は原作ではルージュが仕掛けられる側だった罠だが、今回はそれを逆手に取った。
その結果、予想通り彼女が引っ掛かったのである。エレナさん、この私にゲームの知識で勝てると思わないことですよ。
……それにしても、昨日すぐにウォルターに頼んでおいて本当に助かった。背中に少しだけ変な汗をかきつつ、気を取り直して前に目を向ける。
「ありがとう。でも、どこにあったんだい?」
バイオリンを受け取りつつ疑問を口にするセシルに、ダリウスは答える。
「職員室の近くの棚の上に普通に置いてあったぞ。ケースに見覚えがあったし、セシルのだと思ったから、持って来た」
「棚の上、か……見てなかったな」
よし、職員室近くなら中庭に持っていった疑いは消える。アルバートがうまく誘導してくれたようだ。
「ルージュ様は職員室に置いたんだろ? つーことは、誰かが掃除で動かしたんじゃねぇかな」
「――そんなわけ……」
エレナの声がかすれる。
「どうした? ああ、でもなんでこの教室にあったんだろうな? ……まあいいか、なんだかよくわかんねぇけど解決して良かったな!」
「は、はい、そうですね! 見つかって良かったです!」
さすがに彼女も善意100%で正直なダリウスには反論できなかったようで、無理に笑って応じた。
そんな一件落着という雰囲気の中、誰かがぼそりと声に出す。
「じゃあさ……ルージュ様がバイオリンを盗んだのは勘違いだったってこと?」
そう。そもそもバイオリンは無事で職員室の近くにあった。その事実があればエレナが私に被せようとした罪はほとんど無になる。
周囲の生徒たちは状況を理解し始めたようで、嘘の証言をした令嬢は、皆の視線を受けてうつむいていた。
周囲の空気が一気に張り詰める中――私は彼女に向かって静かに微笑んだ。
「いえ、きっとあなたは、わたくしと誰かを見間違えただけですわよね? 勇気を持って証言なさったこと、素晴らしいと思いますわ」
私がフォローすると、証言した令嬢は泣きそうに顔を歪ませながら深く頭を下げた。
そして、ここからが本番。次に皆の視線はエレナに向かう。さて、彼女はどうでるか。
「あ……ご、ごめんなさい! わ、私はただ……セシル様のバイオリンが心配で……!」
言葉を紡ぎながら、彼女は視線を伏せる。その顔はどこか寂しげで、悲しそうに見えた。やっぱり、善意の勘違いを装って逃げる気だ。ゲームの私なら激昂したことだろう。
……けれど、ここで怒っては思う壺。私はあえて、ゆっくりと微笑んでから言葉を紡ぐ。
「いえ、エレナ様も心配のあまり、早とちりなさっただけですものね。お気持ちは、理解しておりますわ」
「……っ!?」
優しく語りかけるように声を掛けると、まるで裏切られたかのようにエレナの目が見開かれた。だって、彼女にとっての私は、『悪役』だ。
だから――私はその期待には応えない。
「ただ、次からはもう少し、冷静に考えてから行動することをお勧めいたしますわ」
「っ!」
あくまで諭すように穏やかに伝えると彼女の頬がみるみる赤く染まっていく。原作ではあり得ないセリフだし、相当解釈違いなのではないだろうか。
だけど、ここで『精霊の姫君』である彼女に必要以上に機嫌を損ねられてもこちらが困るわけで。
アルバートにほんのわずか、目で合図を送る。気づかれぬように、まるで何もなかったかのように。すると彼はすぐに動き、エレナの前に一歩踏み出した。
「……しかし、面倒な騒ぎになったな。お前も、もう少し紛らわしい真似は控えろ」
彼は冷ややかな声で私を咎める。もちろんこれはエレナに向けた不仲の演技。だが、それだけではない。
「あら、アルバート様。わたくしは当然のことをしたまでですわ。誰かの大切な楽器を放置など、できませんもの。そうですわよね?」
言葉を強めて反発する演技をする。そう、彼は私の正当性を主張するタイミングを作ってくれた。このまま流れを作ろう。
「ですが、わたくしの方こそ、説明不足でご心配をおかけしましたわ」
柔らかな笑みを浮かべながら、私は一歩前へ出る。
「誤解を受けたのは残念でしたが……でも、皆さまのご協力のおかげで真実が明らかになりましたこと、感謝しております」
視線を周囲に向け、軽く会釈すると、生徒たちは一瞬戸惑いながらも静かに頷く。これできっと印象は回復したはず。
横目でアルバートを確認すると、わずかに口元を緩めていた。よし、このくらいでいいだろう。
「……で、でも、」
案の定エレナはどうにか反論をしてこようとするが、一気に私に有利になったこの空気では難しいと悟ったのか、小さく肩を落とす。
「私、また勘違いしちゃいました……あ、もうこんな時間、授業が始まっちゃいますね! 失礼します!」
そして彼女は顔を伏せ、口を引き結びながら踵を返し、教室から出ていった。
「……僕の不注意で大事にしちゃってごめんね?」
「構いません。楽器、無事に戻って何よりですわ」
少し困ったように笑うセシルにそう返しながら、彼の瞳をじっと見つめる。
最初からずっと気になっていたのだが、なぜこの人はこんなに落ち着いているのだろうか。大切な楽器を害されたかもしれなかったのだから、もっと取り乱してもおかしくないはずなのに。
もしかして……何か知っている、とか?
「じゃあね、みんな。殿下とダリウス君も。バイオリンを届けてくれてありがとう」
「ああ、もう失くすなよ」
そんな私の内心を知ってか知らずか、セシルは微笑みながらヒラヒラと手を振って、彼女を追うように後に続く。
その背中を見ながら小さく息を吐いた。謎は残っているが、とにかく助かった。ちょうど良いタイミングで来てくれたアルバートには感謝しないと。
そう思って視線を向けると、彼は去り際に目を輝かせてこちらを見た。
……これ絶対、「あとで詳しく」って言ってるやつだ。
その視線に気づかないふりをしながら、私は小さく笑って、肩の力を抜いた。




