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放課後、いつもの部屋へと向かい扉を開けると、すでにアルバートは部屋にいて、机に肘をついて窓の外を眺めていた。
「――ということなんですけど、アルバートはどう思いますか?」
彼は私の声にゆっくりと視線を向けると、軽く眉を上げて口を開いた。
「ふむ……正直言っていいか?」
「どうぞ」
「何もわからん」
「ですよね」
予想通りの返答だった。私は肩をすくめ、机の前の椅子に腰を下ろす。先ほどの出来事について説明したが、やはり彼もあの攻略対象者についてはよくわからないらしい。
「相変わらず関わる機会がほとんどなくてな。あいつがどんな奴なのか把握できていない」
彼は腕を組みながら、思案するように天井を仰ぐ。確かに二人の接点はほぼ皆無だ。
実際、先日妨害の事実が判明した時も、私はすぐにアルバートへ報告していたが、二人はほとんど関わりがなかった。
そもそも、あの攻略対象者は授業をサボりがちだし、普段は人目につかない場所にいることが多い。エレナが呼んだため最初のメインクエストにはいたようだが、それ以外はほとんど接していないという。
……一応、二人は同じクラスなのだが。
「しかし、意外だな。ルージュでもわからないものなのか」
「ゲームでの彼は私を妨害するなんてしなかったので」
「なるほど。ゲームではどうだったんだ?」
「そうですね――」
私は考えながら、言葉を選ぶ。できるだけ簡潔にまとめようと思うが……さて、どこから話すべきか。
彼の名前はセシル・バートル。実はかなり省略してこれであり、実際はめちゃくちゃ長い。寿限無とかピ◯ソよりは短いが。
「それは一体……」
しまった。異世界では通じないネタだった。アルバートが不思議そうにこちらを見ているが、何もなかったことにしよう。
……気を取り直し、改めてゲームのセシルを説明しよう。
彼はやや長いウェーブの掛かった水色の髪の辺境の子爵令息。音楽を好む、穏やかながらも軽い雰囲気の遊び人だ。
「彼のシナリオはこんな感じです」
私は記憶を辿りながら、ゲームのストーリーを思い出す。
将来は音楽家として生きていきたい彼は、安定した職である文官になって無難に生きてほしい両親と酷く対立していた。
だが親の言い分は理解しつつも、それでも音楽家になりたいという夢を叶えるために彼は人知れず努力を重ねていたのだ。
「ですがある日、事件は起こります」
私は少し声のトーンを落とす。
彼は意気揚々と参加したコンクールで酷評され、自信を喪失してしまう。自分の才能の無さを自覚し、所詮凡才でしかなかったという事実に耐え切れなかったのだ。
そして、彼は勉学からも音楽からも逃げ出し、何に対しても手を抜くようになってしまったのだった。
「というわけですが、この人、結構扱いづらいんです」
「というのは?」
「簡単に説明すると、弱みを武器にするタイプで――」
私は少し考えながら言葉を続ける。
彼は失敗したトラウマから本気を出さない、出せなくなってしまった。そして、それを隠そうとするため外面を魅力的に取り繕っているだけの臆病な人間だ。
だから本心は見せず、弱みをチラつかせて同情を誘うことで他人と壁を作り、やり過ごしている。
「なるほど。ということはその遊び人というのも一つの仮面か」
「昔から演じているみたいですが、その通りですね。最初から誰にでも好感度が高そうに見えて、実際は誰も好きじゃない」
私は腕を組みながら、少し目を細める。飄々と全て躱すし、誰にも本気にはならない。女の子に優しいからモテているが、誰か一人を選ぶことはない。
「この誰も好きじゃない遊び人って辺りが『乙女ゲームにたまによくいるキャラ』ですね。テンプレです」
「たまによくいる」
「あと、割と打算で動くところは少しアルバートに近いですね。アルバートの心をへし折って、遊び人にした感じです」
「心折れた遊び人の俺……?」
アルバートは明らかに困惑している。想像すると面白すぎる状況だが、王太子の彼が遊び人になったら、さすがに問題しかない。
まあ、今の彼はメンタルもゴリラと化しているから、そう簡単には折れないだろうけど。
私は軽く息を吐き、話を続けることにした。
そしてセシルは手を抜いたり遊んだりするラインを見極めているらしく、普段はあまり人前に出てこないものの、必要最低限の授業への出席はこなしている。それに加えて、遊び人のくせに婚約者がいる令嬢は絶対に口説かない。
「……それは保身か、それとも覚悟がないのか」
アルバートは核心をついてくる。私は指を軽く組みながら、小さく息を吐いた。
「どちらもですね。そして、それに関係して厄介なところがありまして」
「なんだ?」
「……彼、すごく嘘つきなんです」
彼の表情がわずかに険しくなる。嘘つき、という単語が彼の中で引っかかったのだろう。
腹黒で『本当のことを言わない』アルバートとは対照的に、セシルは臆病で自分を守るために嘘をつく。例えばゲームでは、『音楽家になるのは諦め、文官になるためにちゃんと勉強している』と家族に嘘の現状を伝えていた。
「そんな彼なので、特に好感度が低い時期のセリフは半信半疑で聞かなければならないんですよ。本当になんでもないことまで嘘をつくので、攻略対象の中で最も発言が信用できない」
その点では、セシルとダリウスは正反対だった。ダリウスは単純に言葉足らずで本心が見えにくいタイプだったが、セシルの場合は意図的に誤魔化している。
ゲームではありがたいことに選択肢がわかりやすく、攻略難度は低かったが。
「本来ならこの嘘つきも主人公と出会って改善するんですが……」
「あのエレナにどうにかできるのか?」
「多分無理かと」
アルバートがわずかに目を細める。今までの件を鑑みるに、彼女がどうにかできるとは到底思えない。彼女がセシル推しならばあるいは、と思うが、それに期待するのも危険だった。
「なので、彼もこちらでどうにかする必要があるとは思いますが……」
「今のあいつはおそらくエレナの味方になっている、と」
「はい」
私の言葉に、彼は静かに考え込んだ。
「にわかには信じがたいが、魔術試験でルージュを妨害したということは、そういうことなのだろうな」
彼の言葉に、私は静かに頷く。
あの魔術試験の日、彼はなぜエレナに協力したのか。お助けキャラの彼女に聞いても、その真相は謎のままだった。
でも、一つだけわかったことがある。
「彼になら妨害されて納得なんですよ」
「……どういうことだ?」
詳しい説明は省略するが、彼は魔術が得意でステータスもそちらに特化している。レベル差があっても、何も対策をしていなければ呪文を妨害されても不思議ではない。
「となると、やはり何の目的があってエレナに協力したのかが鍵か」
彼の言葉に私は再び頷く。妨害の謎は解けたが、新たな謎が生まれたわけだ。彼は敵なのか、味方なのか。全く判断がつかない。
味方だとしたらエレナとともに私を妨害した理由がわからないし、敵だとしたら転びかけた私を支えてくれた理由がわからない。
でも、なんの理由もなしに行動するタイプではないと知っている。
「考えれば考えるほどドツボにハマっていくような気がします」
「……ルージュ、一つ気になることがあるのだが」
アルバートが不思議そうに問いかけてくる。目を合わせると純粋な疑問と一緒にわずかに探るような意図が見えた。
「な、なんですか?」
「いやな。ダリウスの時と比べて随分と警戒しているようだが、どうしたんだ?」
ああ、そのことか。確かに私は前回と態度が違うだろう。だけどそれには一応、訳がある。
「ダリウスの時はエレナさんの味方をされて大変でしたからね。今回はもっと気をつけないと、と思いまして」
そしてもう一つ、私個人の問題があった。
「これは関係あるかわからないんですけど……」
「なんだ?」
「彼の中の人、『裏切るキャラクターの役』に定評があるんですよね」
アルバートが小さく瞬きをする。
酷い言いようだが、『声が疑わしい』のだ。ゲームの発売前にセシルの中の人が判明した瞬間から、『裏切りそう』『声が悪役令息っぽい』と散々言われていた彼である。
そして本人が嘘つきで本心が読みにくいのも相まって、余計に警戒心が増しているわけだ。
「中の人とは違うとはわかってるんですけど、その……彼が喋るだけでどうしても少し胡散臭くて」
「……難儀なものだな」
彼は呆れたように息を吐くと、ふと「ところで」と言葉を継いだ。
「俺の中の人とやらはどうなんだ?」
興味津々な様子でわずかに前のめりになりながら、期待するような目を向けてきた。そんな気はしていたけど、やっぱり気になりますか。
確かに私は彼の中の人もよく知っている。……でもこれ、言っていいのかな? まあいいか、言っちゃおう。
「アルバートの中の人はですね――うるさいです」
「う、うるさい?」
「うるさいです。声も顔も……なんかもう全部が」
「全部が!?」
彼は目が点になっていた。
その後も話し合いは続いたものの、セシルについてはまだ結論を出せないということで、今日は解散となった。私は軽く息を吐き、席を立つ。
すぐに寮へ戻ろうとしたが、ふと教室に置き忘れたものがあったことを思い出した。もう時間も遅いが、一応、今のうちに取っておいたほうがいいだろう。
足を踏み入れた放課後の教室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。窓の外はすでに薄暗く、橙色の夕焼けが細長い影を作り出している。
誰もいない空間に、自分の足音だけが響くのが妙に気になった。
「あれ?」
机の上にあった忘れ物を手に取ったとき、ふと窓際の床にぽつんと置かれた箱が目に入った。
なんだろう、と近寄り手を伸ばす。
「これは……楽器?」
念のため、そっと箱を開けると、中には美しく磨かれたバイオリンが収められていた。艶やかな木目が光を反射し、繊細な細工が施された弓が丁寧に添えられている。
その質感はどこか見覚えがあるような気がしたが、思い出せない。
「このクラスに楽器を持っている人なんていたっけ……?」
クラスメイトの顔を思い浮かべるが、音楽を嗜んでいるという話は聞いたことがない。ということは、別のクラスの誰かの忘れ物だろうか。それにしても、こんな貴重そうな楽器を放置するなんてありえるのか?
なんとなく落ち着かない気分のまま、箱の蓋をそっと閉じる。もう全員帰ったし、このまま置いておいて誰かにいたずらされるのもよくない。教師に届けるべきだろう。
そう思いながら再度箱に手を触れたその瞬間――
背後に気配を感じた。
「……!」
すぐに振り返るが、そこには誰もいない。ただ、窓の向こうで木々の影が揺れているだけだった。
「……だ、誰かそちらにいらっしゃるんですの?」
声に出してみるが、何の反応もない。そっと廊下を覗くが、やはり誰の姿もなかった。
だけど何かが引っかかる。この教室には最初から私しかいなかったはず。なのに誰かの視線を感じた気がした。
「……気のせいですかね」
妙な胸騒ぎを振り払うように息を吐き、バイオリンの箱をしっかりと抱える。
とりあえず職員室に届けてから帰ろう。




