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数日後、あと数日で六月に入る頃。
「あの──」
「いいから黙って来なさいよ」
あ、はい。すみません。
突然だが、私は今エレナに連れられ、人気のない校舎裏に向かっていた。
なんでこんなことになっているのかというと、放課後、そろそろ帰ろうかと荷物をまとめ始めた時に彼女に呼び止められたのだ。
先ほどのセリフも困っているのが私で、命令しているのが彼女である。これでいいの? なんか逆じゃない?
これも内心では罠かもしれないと警戒していたが、拒否すればそれはそれで面倒なのだ。『話をしたかっただけなのに平民だから信用されていない……』みたいなこと周囲に言われても困るので、彼女の言う通りについてきている。
「この辺でいいわ……あんたね」
校舎裏に着くと、エレナは私を睨みつけ、口火を切った。
「どうしてあたしの邪魔をしないのよ。解釈違いにも程があるんだけど!」
「え?」
いきなりの発言に戸惑ったが、彼女の言葉は続く。怒りに震えるように私を睨みつけ、「おかしい」と吐き捨てるように言った。
「本当におかしい。なんのバグなの? ルージュもノアもなんか変だし。隠しキャラが知らないうちに解禁されてるのは楽でいいんだけど……」
私はその言葉を聞きながら、ただ黙って彼女を見つめていた。
思いっきりゲームの話をしてきたが反応してはいけない。まだ彼女が私を転生者だと知っているわけではないのだ。
だからこそ、私は正体がバレないよう、なにも知らないふりをして慎重に立ち回らなくては。
「……その、バグ? 解釈違い? とは、何のことですの?」
「ああもう、わかってないわね!」
私の疑問にエレナは頭を抱え、苛立ちを隠そうともせず言う。
「例えば、あたしがアルバートに近づいたらなんて言う?」
「? ……婚約者のいる男性に不用意に近づくのは風紀を乱すことに──」
「それよ。そーゆーのが違うのよ」
彼女は私の言葉を遮り、少し姿勢を正すと声色を変えた。
「『薄汚い平民が王太子であるアルバート様に擦り寄るなんて、良いご身分ですわね?』……こうでしょ」
「──!」
……驚いた。一字一句、原作通りのセリフだ。それも完全に演じ切っている。すごい悪役感だ。ガワがエレナだから全っ然威圧感はないけど。
ちょっとテンションが上がりかけるが……でも反応してはいけない。
「……エレナ様。わたくしにはそのようなことを申し上げた覚えはありませんわ。どなたかと勘違いしていらっしゃるのではなくて?」
私は動揺を隠し、表情を変えず冷静に返す。すると彼女は私に向けてさらに鋭い視線を向ける。
「はぁ、わかってないわね……いい? 本当のルージュはあんたみたいなのじゃなくて、もっとプライドが高くて、傲慢で、キツい性格をしてて、」
エレナは指を一本一本折りながら言葉を続ける。
「そのくせ、寂しがり屋で、自分に自信がなくて、他人の目ばっかり気にして、色々不器用で、それで──」
凄い勢いでルージュについて語る彼女の目は、どこか遠くを見るように細められている。まるで、私ではない『ルージュ』を目の前に思い描いているかのように。
「──ってわけ。つまり、あんたはこのゲームの悪役なのよ。だから、もっとわかりやすくあたしに意地悪な態度を取るべきなの。そっちの方が正しいルージュの役目なんだから。わかった?」
エレナはそう言って私を見据える。
「……」
正直、もう少し詳しく聞きたい。なんだか熱量大きめの面白い話が聞けそう……いや、ダメだ。私が転生者かどうか炙り出す罠かもしれないし、迂闊なことをしてバレるわけにはいかない。ここは冷静に振る舞わねば。
私は好奇心をどうにか堪えて、侯爵令嬢として恥ずかしくないように返答する。
「……申し訳ありませんが、わたくしはわたくしですわ。どうぞお好きに解釈してくださって構いませんが、それを押し付けるのはご遠慮くださいませ」
冷静さを装い、下手に刺激しないように慎重に返すと、彼女は大きく息を吐いた。
「はぁ……もういい。バグってるキャラに何を言っても無駄よね」
そして投げやりにそう言った顔は、どこか諦めたような苦笑いに変わっていた。そして、
「……あんたなんてどうせすぐ断罪されるんだから」
そう吐き捨てると、エレナは私に背を向け歩き出した。
彼女の足音が遠ざかる中、私はその場に呆然と立ち尽くしていた。
「ま、まさか原作ルージュ過激派(?)だったとは……」
もしかして彼女にとって私は『キャラがあまりにも解釈違いなのに最後まで読まないといけない二次創作』みたいなものなのか。『誰こいつ、原作どこいった? 作者はエアプか?』みたいなタイプのやつ。
そう考えると、彼女が苛立つ気持ちも少しは理解できる。確かに、原作のルージュはエレナが語ったようなキャラクターだった。
でも、私は思う。その生き方が本当に良かったのだろうかと。
もしそうだとしたら私はただ断罪されるために自分を押し殺して生きるべきなのだろう。でも、それって私がここに転生した意味がないじゃないか。
私だって、断罪されるなんて絶対にごめんだ。それに今更、自分を捨てて原作通りに生きるなんて、そんなつまらない人生は選びたくない。
──なので、ごめんなさいエレナさん! 私は解釈違いのままでいきます!
「でもより一層、前途多難な気がしてきましたね……」
今はまだバグだと思われているようだが、油断したら転生者バレしそうだ。少しでもゲームのことを口走ったらマズい。気を引き締めないと。
そして一つ気づいたが、彼女の言葉から推測するに、彼女はおそらくちゃんとゲームをクリアしている。
だが、全体的に解像度というか内容の把握が極端なあたり、全ルートクリアしてはいるが大体読み流していて、興味があるキャラの登場する部分だけストーリーをちゃんと読んでるタイプだ。そういう楽しみ方もありである。
一瞬、ルージュ推しの知り合いの顔が浮かんだが、おそらく別人だ。あの人は断罪にこだわったりしないはず。
「……それはともかく」
ひとまず彼女の中身については置いておいて、問題は別にある。
彼女の様子からして、アルバートにもダリウスにもあまり興味がないのだろう。
だとしたら一体誰のルートに入るつもりなのか。もしかして、他の攻略対象に推しがいたりするのだろうか。
「あの! すみません、ルージュ様ですよね?」
次の日の昼休み、昨日の出来事を思い返しながら校内を歩いていると、突然背後から声をかけられた。
「ええ。あら、あなたは──」
振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。その顔を見た瞬間、私は彼女のことを思い出した。彼女の名前も立場も、全て知っている。この子は──
「申し訳ありませんでした! 私、あなたに謝りたいことがありまして」
「……えっ?」
思考していると、突然、彼女が深々と頭を下げて謝罪し始めた。その予想外の行動に驚きつつも、私は咄嗟に彼女を制す。
「ちょっと落ち着いてくださいませ。ここでは人目がありますし、話は別の場所で聞きましょう」
彼女を促し手頃な空き教室に移動する。そして教室に入ると、改めて彼女に問いかけた。
「さて。それで、あなたが謝りたいことって何かしら?」
彼女は深呼吸してから、ゆっくりと話し始めた。
「実は、先日、魔術試験の時に……魔術暴走を止めようとしたあなたの魔術を妨害してしまったのは私です。エレナに頼まれて、断れなくて」
その言葉を聞いて、私は心の中で納得した。
やはりエレナには協力者がいたのだ。そして目の前の彼女がその役割を果たしていたとしても、不思議ではなかった。
さて、彼女について少し説明しておこう。この少女は、このゲーム世界における主人公エレナのお助けキャラだ。魔術試験ではエレナとペアを組んでいた。
文武両道の優等生であり、主人公の親友兼相談役という重要なポジションを担っている……とはいえ、今それを深く考える必要はない。
「そうでしたのね。話してくれてありがとうございます。以降、気をつけてくだされば結構ですわ」
「はい、本当に申し訳ありませんでした!」
元気の良い子だ。今更彼女を責めても仕方ないし、とりあえずこれでいいだろう。
彼女がやったことを許し、では戻りましょうと告げて背を向けたその時──
「……あの!」
「どうかなさいました?」
呼び止める声に振り返ると、彼女は躊躇いがちな表情を浮かべていた。
「……ごめんなさい。一つ、黙っていたことがあります」
「黙っていたこと?」
私は眉をひそめる。彼女は真剣な表情で、私をまっすぐ見つめて続けた。
「エレナには言うなと言われていたんですけど……やっぱり私、言います」
その一言で教室の空気が一気に張り詰める。
「実はあの時、妨害に協力したのは私だけではなくて──」
彼女が告げた名前を聞いた瞬間、私は耳を疑った。
「え──」
私を妨害したもう一人の人物。
──それは、音楽家を志すあの攻略対象者だったのだ。
これで二章は終わりです。ここまで読んでくださってありがとうございました! よろしかったらブックマークや評価で応援してくださると嬉しいです。執筆の励みになります!
次回から三章に入ります。準備に少し時間が必要なので、次回更新は二週間後の予定です。




