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「射的か、いいだろう」
そこにあったのは射的の屋台だった。木製の銃を使って的を狙い、倒れた的に応じて景品がもらえるというものだ。アルバートは興味深げに銃を見る。
「ルールは簡単です。私が先にやってみますね」
私はそう言って銃を構え、狙いを定めて引き金を引いたが、
「あ、あれ……?」
的にかすりもしない。何度か試すが結果は散々だった。まさかこんなに難しいとは。
「では俺がやってみるか」
アルバートも試しに銃を手に取るが、狙いが定まらずなかなか当たらない。的を外すたびに少し眉をひそめる。
「……これ、難しくないか?」
そして何度か挑戦するうちに彼は少し拗ねたような表情になる。
「あはは、思ってたより難しいですね。ゲームではダリウスが結構上手いんですよ。主人公が上手く取れない場面で後ろから手を添えて──」
──ダリウスが銃を構えると、驚くほど正確な狙いで次々と的を倒していく。
そして、あっという間に全ての的を倒し、店主が驚きながら景品を差し出した。エレナが感嘆の声を上げると、ダリウスは小さなぬいぐるみを彼女に渡す。
エレナも挑戦してみるが、なかなか的に当てることができない。苦戦する彼女を見て、ダリウスがそっと背後から手を添えた。
『少し腕を固定して……こんな感じだ』
耳元で囁かれるダリウスの声に、エレナの心臓が高鳴る。少し緊張しながらもその通りに腕を固定すると、最後の一発で無事に的を倒すことができたのだった──
「という感じです」
「へぇ……?」
おっと、顔が怖い。
どうやらアルバートはダリウスの上手さに対抗心を燃やしたらしい。意外と負けず嫌いである。
何度も挑戦を繰り返していくうちに次第にコツを掴んだのか、徐々に上手くなっていく。
そして──
「倒したぞ!」
的に命中させ満面の笑みを浮かべるアルバートを見て、私は思わず吹き出した。
「ふふっ、でもアルバート、そんなにムキになって……!」
「なっ……! 別にいいだろう?」
そう言い返してくる彼の顔もどこか楽しそうで、ついお互いに笑い合ってしまう。久しぶりに子供のように無邪気にはしゃぐ時間は、心から楽しいと思えた。
ふと空を見上げると既に陽が傾き始めている。賑やかな祭りはまだまだ続いているが、そろそろ帰る時間が近づいていた。
夜に向けて盛り上がってきている祭りを横目に歩く。
祭りに参加している人たちの声は相変わらず賑やかだ。屋台の明かりが並ぶ中、アルバートも楽しそうな様子を見せていた。
そんな中、私はアルバートとのことについて考えていた。
彼の気持ちを聞いてからそれなりに時間が経った。だけど、私はまだ彼に対する自分の感情を掴みきれずにいた。彼に良くしてもらっているのに、自分の気持ちが曖昧なままでいることに、少し申し訳なさを感じる。
もちろん、ちゃんと彼のことは好ましく思ってはいる。
……けれどそれが恋心だと言い切れるのかどうかがわからない。でもこうして隣にいると妙に落ち着くのも事実。
「……難しいなぁ」
小さく呟いた言葉は、誰にも届かないほどかすかなものだった。
私がこんなに迷っているのは、きっと私が『転生者』だからだ。前世でゲームとして触れていたアルバートのイメージがどうしても頭をよぎる。
私はゲームと同じように、彼をただのキャラクターとして見てしまっていないか。
目の前の彼は単なるデータではなく、今ここに生きている人間だ。私はちゃんと『彼』を見ているのだろうか。
「ルージュ、疲れたか?」
私が静かで気になったのか、ふと彼が振り返り、静かに尋ねた。
「いえ、大丈夫です」
そう答えながら、彼の表情を盗み見る。私の言葉を疑う素振りも見せないその信頼感が心地よくもあり、少しだけ胸が痛む。
私、アルバートの気持ちを弄んでる酷いやつなのかもしれない。もしこの所業を悪だというのなら悪女と言われても文句は言えないかも。
「──ああ、そうだ」
徐々に夕焼けが深まり、街の広場にある時計台の鐘の音が響く中、アルバートがふと立ち止まった。その仕草に気づき、私も自然と足を止める。
「ルージュ」
「なんですか?」
彼の穏やかな声が私の名前を呼ぶ。
「これを受け取ってくれ」
そう言いながら、彼が差し出したのは小さな紙袋だった。思わず彼の顔を見つめる。
「……これは?」
紙袋を受け取り袋の中をそっと覗き込むと、先ほど屋台で見た、あの猫の形をしたガラス細工が目に飛び込んできた。夕陽の光を受けて輝くその中央には小さな赤い宝石が埋め込まれている。
「これ、さっきの──」
袋の中身から目を離し顔を上げた私に、アルバートが少し照れたような表情を見せる。
「なんで……? いつの間に……?」
「休憩中、少し離れただろう? その時に屋台に戻って買ったんだ。なんだか欲しそうにしていたと思ってな。……受け取ってくれるか?」
私をそこまで見ていたのか。そして、あの短い間にこれを、私のために──
「あ、ありがとう……ございます」
鼓動が早まる中、やっとのことでそれだけを口にすると、アルバートは満足そうに頷いた。夕焼けに染まる彼の顔は、いつもよりも柔らかく見えた。
「アルバート、私……」
「なんだ?」
「……いえ、なんでもない、です」
何かを言おうとしたが、結局その言葉は口には出せなかった。
……彼の気持ちを拒む理由はない。それでも、簡単に『はい』と応えることもできない。そんな自分がなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
──だから、時間がほしい。そう思った。彼を困らせるのではなく、彼に向き合うための時間を。
彼はきっと待ってくれるだろう。そう確信できるだけの時間を彼と過ごしてきた。今はこうして並んで歩く心地よさに甘えているし、許されるなら、もう少しだけこの時間を続けたい。だが、それを当然と思ってはいけない。
まだ時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと向き合うから。
気分を変えようと空を見上げると、空いっぱいに夕焼けが広がっていた。それと共に街並みは金色に染まり始めている。
「すごい……」
その美しさに思わず見入ってしまう。温かい風が頬を撫で、街の喧騒も遠く感じられる。
「どうした?」
アルバートが心配気に尋ねるその声に、私はふと我に返った。
「あ、いえ……ただ、この景色がきれいだなって思って」
そう答えながら、もう一度夕焼けに目を向ける。空は今、最も美しい瞬間を迎えようとしていた。黄金色の光が、まるでこの街すべてを包み込むように広がっている。
「そうだな」
彼もその景色に目を奪われているようで、少しの間、黙って空を見上げていた。
「……不思議ですね」
私がそう呟くと、彼は軽く眉を上げてこちらを見た。
「何がだ?」
「こうしていると日常のことがすごく遠く感じるんです。クエストとか、断罪とか、全部忘れちゃいそうで」
「そうだな。だが、それもたまには悪くない」
そう言って微笑む彼の姿は穏やかで、思わず見惚れてしまう。……だけど、今はまだ、このままでいさせてもらおう。
「また、いつか来ましょうね」
「ああ」
空がさらに深い色を帯びていく中、私たちは隣に並ぶように歩き出した。




