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「うーん……」
翌朝、私は重いまぶたをゆっくりとこじ開け、くたびれたソファから起き上がる。
どうやら調合には時間がかかるようで、完成を待つ間、私たちはそのまま薬師の家に泊まることとなった。
普段ならこんな不慣れな場所では眠れないはずだったが、長旅と魔物との戦いの疲れには勝てなかったようだ。それはアルバートやダリウスも同じだったらしく、二人とも床で熟睡している。
……一国の王太子が床で寝ているとか、よく考えたらすごい絵面だ。従者が見たら卒倒しそう。
「二人とも、起きてください。朝ですわよ」
二人に声をかける。すると、私の声に反応した彼らが起き上がるのとほぼ同時に作業室の扉が軋む音を立てて開いた。
それに続いて薬師が姿を現す。薬は、調合は成功したのだろうか。
私たちが息を呑みつつ薬師を見つめると、薬師は無言で小瓶をいくつも取り出し、テーブルに並べていく。
そして彼はぼそりと呟いた。
「できたぞ」
その言葉と琥珀色に輝く小瓶を見て、私たちは胸を撫で下ろした。目の前に並べられたそれは、ダリウスの家族を救うための希望そのものである。
「十人分と少しはあるだろう。これで間に合うか?」
「ええ、それだけあれば十分ですわ」
「お代は?」
アルバートが当然のように問いかけるが、薬師はぞんざいに手を振った。
「要らん。ワシはやれることをやっただけだ」
「それは申し訳ないのだが……」
まあ、この反応もゲーム通りだ。後でお礼として彼が求める薬の材料を渡すサブクエストが発生することだろう。彼にはその時に対価を渡すことになるのだ。
だから今は素直に礼を述べ、薬を受け取ることにしよう。
「ありがとうございます、薬師様。この恩はいつか必ずお返ししますわ」
薬瓶を大事にしまいながら、私はそう告げた。
次の行動はもう決まっている。早速、ダリウスの家族の元へ向かおう。
「もちろん俺たちもいくぞ」
「ああ……って、ここからどうやって行くんだ?」
「もちろん転移魔術を使いますわ」
このエリアのワープポイントの場所も、頭の中にしっかり記憶している。そこまで移動してワープすればいい。
「俺の家は王都から離れてるけど……その魔術って、行ったことのない場所にも転移できるもんなのか?」
「……」
ダリウスが不審そうに私を見つめる。しまった。実際は行ったことがあるけれどそれを言ったら説明がめんどくさい。
……とりあえず適当に誤魔化しておこう。
「……実は……勘で行けますわ」
「へぇ、そうなんだな」
あ、納得した。自分で言っておいてなんだけど、いいのかそれで。
ダリウスは私の雑な言い訳をそのまま信じたようだが、アルバートは吹き出して小声で囁いてくる。
「……ルージュ、さすがにもう少しそれっぽいことを言った方がいいぞ」
「そうですね。だけどこれで納得するのが彼のいいところなのかもしれないです」
私たちは道を急ぎ、ワープポイントに到着する。周囲を確認し魔術を使うと、数秒後には私たちはダリウスの屋敷の近くに立っていた。
目の前に佇む屋敷には遠目に見ても人影はなく、時折吹き抜ける風が庭の木々を揺らしている。
「ここが俺の家だ。……昔はもっと賑やかだったけどな」
屋敷の扉を開けると、微かに薬の匂いが漂ってきた。ダリウスに案内されるまま中へ入った。そして寝室に足を踏み入れると、衰弱しベッドに横たわるダリウスの家族たちの姿が目に飛び込んでくる。その瞬間、
「……誰だ?」
誰かが声をかけてきたのは、部屋の奥の薄暗がりからだった。
振り向いた先には、疲れた表情ながらもどこか凛とした雰囲気をまとった男性が立っている。その姿を見た瞬間、ダリウスの目が驚きに見開かれた。
「親父……?」
「ダリウスか……ん!?」
ダリウスが絞り出すように声を出すと、男性はこちらに向かってくる。そして私たちを見るや否や困惑したように声を上げた。
「で、殿下!? それにルージュ様まで……何故あなた方がこちらに……?」
ダリウスの父親に連れられ私たちはひとまず談話室へと移動した。そこに腰を落ち着けると、彼はすぐに深々と頭を下げる。
「申し訳ありません、こんな状況でお迎えすることになるとは……」
「お気になさらないでください。まずはご家族のことが最優先ですわ」
私の言葉に再度頭を下げた彼は、ダリウスに向き直る。
「……ダリウス」
「なんだよ」
父親は低い声で、静かに問いかけた。
「なぜ戻ってきた」
ダリウスは父親と向き合い、視線を逸らさずに口を開いた。
「……家族を守りたいから、戻ってきた。俺にはその責任がある」
「責任だと? お前は自分の役割を勘違いしている。お前が今すべきことは学業と鍛錬に励むことだろう」
父親は諭すように続ける。
「家族のことは私が背負う。戻ってくるなと言ったはずだ」
「でも……俺だって守りたいと思うんだ。それで悪いかよ」
「その気持ちは立派だ。しかし、今のお前にそれができる力があるか?」
「……」
小さくため息をつく父親に、ダリウスの拳がわずかに震えた。
「お前の道はもっと広い。お前が中途半端にここに戻ってくることでどれだけ家族の不安を増すか、それを考えたことがあるのか?」
「でも! ……いや、違うな」
父親の言葉に反論しかけたダリウスはぐっと拳を握りしめる。だが次の瞬間、ゆっくりと表情を和らげた。
「……親父は、みんなは俺を信じてくれているんだな。俺がもっと強くなれるって」
彼はずっと引っかかっていたことが腑に落ちたように続ける。
「だから俺には、自分のやるべきことをやれって言ってる。そうなんだろ?」
父親は「気がついたか」と言って静かに笑った。その笑みを受け、ダリウスは一息ついて口を開いた。
「だから、俺、もっと強くなってみせるよ。そして、いつかちゃんと守れるようになるから」
その言葉に父親は一瞬目を見張り、そして小さく頷いた。
「……変わったな」
父親の表情がわずかに緩み、二人の間に和やかな空気が流れる。
……そろそろいいだろうか。
「お話し中に失礼いたします、騎士団長様」
目の前の光景を見守りながら、私は荷物から薬瓶を取り出す。お取り込み中のところ大変申し訳ないが、そろそろ家族の皆さんに薬を飲ませなければ。
「これは病によく効く薬ですわ。ご家族に飲ませてくださいませ。少し時間はかかりますが、必ず回復するはずです」
その後、苦戦しながらも皆で手分けしてなんとか家族たちに薬を飲ませた。これでしばらくすれば病状は回復に向かうだろう。
「アルバート様」
「なんだ?」
「残りの薬はお任せしますわ。これを──」
私は声を潜め彼の耳元で続ける。
「──ああ、任された」
国の機関で解析を依頼する話をすれば、彼は笑顔で頷いた。
後日。放課後、私たちはいつもの部屋に集まっていた。
「ご家族の具合はどうですか?」
「順調に回復してるよ」
その報告を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろした。薬がしっかりと効いているようで一安心だ。
アルバートの手配により、国の機関での薬の解析も始まっている。これでしばらくすれば、他の民も助けられるだろう。
「あの鍛錬はまだ続けているのか?」
アルバートが尋ねると、ダリウスは苦笑いを浮かべながら答える。
「……適度にな」
そのやり取りに私は思わず口元を緩めた。この落ち着いた様子を見ると、もう無茶な鍛錬をすることはないだろう。
……だけど、もうだいぶレベルが上がっているみたいだし、後でもう少し効率がいいレベリング方法を教えてあげようかな。
それにしてもダリウスはレベリングに対するモチベーションが高い。このままいけば最強の壁になれるだろう。でもゴリラと壁だと物理寄りすぎるので、そろそろ特殊要員が欲しいと思う今日この頃である。
そう思っていると、「そういえば」とダリウスが切り出す。
「この前、親父と手合わせしたんだ」
「! どうでした?」
「普通に負けた」
「えっ」
彼は笑いながらあっけらかんとそう言った。結構レベルが高いだろうダリウスに普通に勝つとは、さすが騎士団長だ。
「全然敵わなかったよ。でも『成長したな』って言ってもらえたし……まあ、親父と比べたらまだまだだけどな!」
そう語る彼の表情は明るく、以前よりも自信に満ちている。そんな彼を見て私は改めて思う。彼は本当に変わったのだと。
「二人とも、色々ありがとうな」
そう言って彼は笑った。
ダリウスの攻略ルート──それは、彼自身が何度も葛藤しながら、自分の信じる『本当の正義』を見出すストーリーだ。彼は精神的に成長し自らの過ちを認め、そこから立ち上がる強さを手に入れる。
だからきっと、彼はもう大丈夫だろう。