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普段のダリウスなら、王太子の指示を無視して魔物に突撃するなんてしないだろう。私との魔術試験の時でさえ、しっかりと意思の疎通を図り冷静に対処していたのだ。
だからこそ、アルバートも様子が心配になったようで、こうして原因を尋ねているのだが──
「……てめぇがあんなこと言うからだろ!」
ダリウスは声を荒げ、険しい顔でアルバートを睨みつけた。一瞬、部屋の空気が張り詰める。
「俺は……あの時、てめぇに言われたことがずっと引っかかって、見返してやろうと……」
ああ、そういえばアルバートがメインクエストで前線に出なかったことを指摘して色々煽っていたっけ。それを伝えられた時はただの言い合いだと思っていたけれど、ダリウスにとっては違ったのかもしれない。
……じゃあ今回ダリウスがおかしかったのは、アルバートのせいでは?
そんな思いがよぎり、私は無言のままアルバートをジト目で見る。彼はすぐに視線を逸らし、居心地の悪そうな様子でほんの少しだけ眉を下げた。
「それは悪かったな……だが、それだけではないように見えたのだが」
「……」
アルバートの問いかけに、ダリウスはしばらく黙り込む。
その沈黙は、やけに長く感じられた。私もアルバートも言葉を飲み込み、ただダリウスが何を語るのかを待つ。
部屋の空気が重く沈む中、彼がようやく口を開いたのは、それから数十秒後だった。
「実は、家族が……病気なんだ」
ぽつりと落とされたその言葉に、私たちは息を詰めた。彼の拳は強く握り締められ、その震える声が語り始める。家族が抱える病、そしてその重さに押し潰されそうな心情を。
「今まではまだ大丈夫だったんだ。だけど、最近、病状が悪化していると連絡が来て……なのに俺は呑気に学園に通って、騎士を目指してるなんて、こんなことしてていいのかと、何度も」
「ダリウス様……」
私がそっと名前を呼ぶと、彼は一瞬だけ目を伏せた。家族のことを不意に思い出してしまい、戦いに集中できなかったと言う彼の声はかすれていた。
「どうしたらいいんだ、俺は……!」
ダリウスの叫びに似た声が部屋に響く。私たちは言葉を失い、ただ彼の姿を見つめていた。
彼は、自分の夢と家族の現実の板挟みになり、焦りに苛まれている。
「何か俺たちにできることは──」
「っ手助けなんていらねぇ! これは俺の問題だ。てめぇらには関係ねぇ話だ!」
沈黙を破るように、アルバートが慎重に口を開いたが、ダリウスは拒絶するように話を遮った。
「──っ、悪い……一人にしてくれ」
そして深々と頭を下げると、私たちを見ようともせず足早に部屋を出て行ってしまった。
「あー……あったなぁ、こんなシーン」
「あったのか!? ……詳しく」
不意に呟いた私に隣のアルバートが勢いよく食いついてきた。えっ、この状況でも気になる感じですか!?
「違うぞ、面白がっているわけではない。何かのヒントが得られないかと」
「……仕方ないですね」
私はそう言いながら、ゲームで描かれたダリウスの姿を思い返す。
ゲームでは、追い詰められたダリウスが先ほどのようにエレナに弱音を吐くが、彼女の手助けを拒絶して、そのまま走り去ってしまうのだ。まさに、今のように。
「それだけ追い詰められているのだな」
「ですね。それに、自分の問題を誰にも触れさせたくないという気持ちが強いんですよ、あの人」
しかし一度は拒絶するものの、その後の展開で彼はエレナと向き合い、助けを受け入れるようになる。彼女の存在が支えになるのだ。
私が言葉を紡ぐたび、彼は真剣な表情で聞き、
「なるほどな」
全て聞き終えると満足げに頷いた。二年前の彼を思い出すその様子に、私は思わず皮肉を口にする。
「こんな状況なのに随分と楽しそうですね」
「何を言う。ゲームでも起こった出来事なら、最終的には乗り越えられる可能性があるということだろう?」
「! 確かに」
そう言われればそうだ。未来に希望があることがわかるだけでも、少し心が軽くなるものだ。アルバートもまた、自分のルートを知って未来を受け入れていたのだから。
……そもそも自分が乙女ゲームの攻略対象だということまで受け入れてるし、なんか楽しんでるし、この人はやっぱり腕力だけでなくメンタルまでゴリラなのか?
そんなことを思いながら、ふとアルバートの顔を見た瞬間、通信機越しに聞いたあの言葉が脳裏をよぎった。
──『愛している』
その声がまるで耳元で囁かれたように鮮明に蘇る。
「……っ!」
瞬間、心臓が大きく跳ね、胸がぎゅっと締め付けられる。彼があんなにも真剣な声で──
「どうしたルージュ。顔が赤いが……」
「い、いえ!」
不意にアルバートの声が現実に引き戻す。心配そうなその表情に気づいた瞬間、私は慌てて視線を逸らした。
「……ちょっと疲れてるんですかね。今日は色々ありましたから」
「? そうだな、今日はよく休んでくれ」
視線の先でアルバートが首を傾げるのが見える。
……落ち着け、そもそもあれはダリウスを納得させるための方便だったのかもしれない。うん、きっとそう! そういうことで!
深呼吸をして気持ちを無理やり落ち着けると、私は話題をダリウスに戻すことにした。
「……とにかく、この感じだともうダリウスルートはないでしょうね」
「ああ。だが、そうなるとあいつはあのままになるのか?」
「それについてはどうにかなります」
ルートに入らなかった攻略対象は別に破滅するわけではない。ダリウスの場合は家族の問題が解決し、騎士を目指し続ける形で物語は終わるのだ。ハッピーエンドではないが、それなりに平和な結末には落ち着く。
「ふむ、しかし……」
「それを知っていてもこのまま放っておくのは忍びない。ですよね?」
私がそう言うと、アルバートは静かに頷いた。彼の表情は真剣そのものだ。
「ゲームではどうしていたんだ?」
「実際のシナリオでは彼の家族の病気を治すため、薬の材料を持ってとある薬師に会いに行きます。ですが……」
実際にゲームで解決するのは攻略シナリオの後半部分だ。時系列では冬。そのため、薬師に会うためには今はまだ解禁されていないエリアに行かなければならない。
「場所は国境の山岳地帯。一帯が危険地域として長年封鎖されています。ストーリー後半でようやく解禁されるんです」
「そんな場所に一体どうやって……」
彼が首を傾げるのを見て、私は少しだけ口元を上げた。
「秘策があります」
部屋を出た私は校舎裏の祠に向かう。
外は既に夕方の色に染まり始めていた。遠くで鳥の羽ばたく音が聞こえ、風が校舎の影を撫でていく。人気のない裏道を歩くたびに、わずかに湿った葉が足元で音を立てる。
到着した祠は以前と様子が変わっていた。鳥居は修復され、祠そのものも綺麗に整えられているし、地面には落ち葉一つ見当たらない。おそらくアルバートが手入れをしているのだろう。
私は祠の前に立ち、私は軽く息を整えた。そして、深々と頭を下げ、目を閉じ手を合わせる。
そして目を開けて顔を上げたその瞬間──目の前に現れたのは、美しい男性だった。
彼の髪は夕日を浴びて輝き、柔らかく揺れる銀糸のようだった。頭からは長い銀色の狼の耳が覗き、まるで風を感じるかのように微かに動いている。
「……!」
視線が交わった瞬間、息が止まる。彼の瞳に捉えられると、心の奥底まで見透かされているような感覚に襲われた。
これが祠の神。その存在感に圧倒されながらも、私はなんとか気を引き締める。
……腹を括れ。これからやることは本来のシナリオから大幅に外れる行動だ。それでも、背に腹はかえられない。
「ごきげんよう」
声を出すまでにほんの少しだけ躊躇した。でも、勇気を振り絞り、口を開く。
「わたくし、ルージュ・ド・ラリマーと申します。アルバート様からあなたのお話を伺いましたの」
その言葉に、彼は驚いたように瞳を細め、わずかに首を傾げた。銀色の尾が軽く揺れる。
「……王の子の知り合いか。我に何か用か?」
その声は低く響いたが、不思議と恐ろしい感じはしない。
アルバートに感謝しよう。彼がこの存在を目覚めさせてくれたおかげで、次の手が打てる。そっと自分の手元に意識をやると、そこには例の指輪がついている。実はこっそり持ち歩いていた。
「ええ、少しあなたとお話をしてみたいと思っておりましたの。お時間ありまして?」
そう言った私は神に微笑みかける。
本来ならばこうして会うことのなかった者同士、有意義なお話をしましょうか。
次回更新は金曜日になります




