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私は物陰に身を隠したまま、こっそりと様子を伺うことにする。
「お怪我はありませんか?」
エレナは二人に歩み寄り、その疲れ切った姿に一瞬だけ眉を寄せた。
「この程度なら問題ない、少し疲れただけだ。……それより、なぜここに? 避難はしなかったのか?」
「ごめんなさい、二人が戦っていると思ったらいてもたってもいられなくて、来ちゃいました」
「エレナ……」
「もっと早く駆けつけられたら……すぐに治します」
そう言うと彼女は胸の前で手を組み、静かに呪文を唱え始める。魔力の光が彼女の手から広がり二人の体を包むと、かすり傷がみるみるうちに癒えていく。
「ここも片付けますね」
彼女は目を閉じ何かを呟くと、周囲の空気が震えるほどの魔力を解放した。彼女の力に呼応してたくさんの精霊が集まってくる。
「……すげぇ」
「ほう……」
ダリウスが目を見張り、アルバートは感嘆の言葉を漏らした。私もその光景を見て、すごいと自然に思った。
空中に漂う魔力の粒がきらめき、精霊たちとともに風に乗って広がっていく。彼女の足元に広がる光は瓦礫を飲み込み、魔物の亡骸さえもその光の中で跡形もなく消え去っていく。
「──これでよし!」
彼女がそう言った時には、屋上は何事もなかったかのように元の姿に戻っていた。
これが『精霊の姫君』の力。このゲームの主人公の力である。レベリングとか関係なしにこれとか、そりゃ国から大事にされるよね。戦闘ではあんまりだけど。
感心しているとエレナは神妙な表情で二人に話しかける。
「あの、アルバート様、ダリウス様」
「なんだ?」
「どこかでルージュ様を見ませんでしたか?」
また私かい! 今度は何を企んでいるんだ。
私はツッコミを入れたい心を抑えつつ、物陰に身を隠したまま、彼女がどう出てくるのか静観する。
「……どうかしたのか?」
「私、避難する途中で、ルージュ様が逆方向に向かっていくのを見かけたんです」
「……!」
まさか見られていた!? そのセリフに思わず背中に冷や汗が流れる。魔物を先回りしていた私の姿をよりによって彼女に見られていたとしたらまずい。
「なんで避難しないんだろうって不思議に思っていたんですけど……ここに来る途中、これが落ちていて……」
エレナは言葉を続けながら、ポケットから一枚のハンカチを取り出し、アルバートに差し出す。物陰から目を凝らして見てみると、どうやら豪華な紋章が刺繍されたハンカチのようだが。
「これはまさか……どこにあったんだ?」
「えっと、第二講堂の前の廊下です。ルージュ様を見たのもその辺で……」
つまり、それを私が落としたとでも言いたいのだろう。私は頭の中でそのルートを確認する。うん。そこ、さっきアルバートとダリウスが通ったルートだ。私は別ルートからここに来ている。よかった、実際には見られてはいないようだ。嘘をつかれているのはよくないが。
「私が見かけた時、ルージュ様は何か気にしてる様子で、ずっと辺りを見回していて……」
そう続けたエレナは一歩前に出て、悲し気な表情で二人に主張する。
「もしかしたらルージュ様があの魔物を利用して何かしていたんじゃ……!」
「! おい──」
何か言いかけたダリウスをアルバートは手で制し、険しい表情で続けた。
「……なるほど、ではこの騒動はあの女が仕込んだ可能性がある、と」
「はい。でも、ルージュ様がまさか、そんなことをするなんて……信じられなくて……!」
「ふむ、それは信じられないな……この後の対処は俺がしておこう。これも証拠として預かっておく。お前は戻って『魔物は討伐された』と皆に伝えてほしいのだが、頼まれてくれるか?」
その言葉には含みがあったが、どうやら彼女は気が付いていないようで笑顔で彼を見上げる。
「! わかりました」
「助かる」
そして彼女は満足げに頷き、小走りで屋上を後にした。
ぱたぱたと遠ざかる足音が消え、少し経った後。アルバートはハンカチをじっと見つめながらため息をつき、口を開いた。
「──ルージュ、そこにいるんだろう?」
「ひぇ!?」
突然名前を呼ばれて変な声が出てしまった。しかし呼ばれてしまっては仕方ない。私は身を潜めていた物陰から出て二人に軽く会釈する。
「……ごきげんよう。アルバート様、ダリウス様」
「はぁ!? てめぇ、いつからそこに」
私の姿を見て驚きの声を上げたダリウスに、アルバートが穏やかな声で言う。
「ルージュには迂回して俺たちを援護してもらっていたんだ。だろう?」
「ええ、そうですわ。ですので──」
私は息を整え、冷静に言葉を続けた。
「先ほどエレナ様が言っていた第二講堂の前ですが、わたくし、通っていませんの」
「な……!」
私がそう言うと、ダリウスは黙り込む。そして徐々に表情が険しいものへと変わっていった。自分の記憶とエレナの言葉を照らし合わせ、矛盾に気づいたのだろう。
「そしてこちらですが、」
私は間を置かずに、彼女が提示した偽の証拠についても説明を加えることにする。アルバートから、先ほどのハンカチを受け取る。そこに刺繍された紋章は見覚えのあるものだが、
「これは侯爵家の家紋ですわね。でも」
「ラリマー侯爵家はハンカチに家紋を入れていない──だろう?」
「ええ」
アルバートが静かに補足する。
「少なくとも俺は見たことがない。まあ、そういうことだな」
私はポケットから自分のハンカチを取り出し、ダリウスに広げて見せる。もちろん、そこには何の刺繍もない。これでも疑うならノアにハンカチを見せてもらえばすぐにわかるだろう。推しとお揃いのハンカチですよ。
つまり、エレナが提示した証拠は意図的に仕組まれたものであることは明白だ。おそらく彼女は私が魔物に関与したという疑惑を二人に与えたかったのだろう。
「というわけですわ」
私が結論を述べ二人を見つめると、ダリウスがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「……俺が全部間違ってたんだな」
そして彼はそう言って小さく頷き、私に向かって深く頭を下げた。
「悪かったな、ずっと疑ってて」
その謝罪に、私は小さく微笑んで答えた。
後日、学園では魔物の出現が『精霊王の異変』の影響で起きたこと。そして、エレナがその『異変』に対抗できる唯一の存在、『精霊の姫君』であることが正式に公表された。その知らせは瞬く間に広がり、生徒たちの間では彼女を称える声が飛び交っていた。
これから彼女はゲームと同様に、平民でもあり、この世界を救う救世主でもある存在として周囲から扱われるようになっていくわけだが……
「救世主……かぁ」
彼女、あんな感じだけどそんな扱いをして大丈夫だろうか。もう既になんかやらかしそうな想像しかできない。
そんな感じで今後を考えてため息をつきつつ、いつもの部屋に向かうと、そこにはすでにアルバートと、今日はダリウスも一緒に待っていた。
「既に話は聞いていると思うが、先ほどの公表の通り、エレナは『精霊の姫君』だ」
私がソファに座ると、アルバートが冷静な声で話し始める。
「その力を存分に使ってもらうため、彼女のことは丁重に扱う必要があり、力を使うためのサポートもしなければならない。……これは国としての決定事項だが、ダリウス、お前も協力してくれるか?」
「……仕方ねぇ。国のためだからな」
国からの頼み、そしてエレナの性根と『姫君』の力を目の当たりにしたからか、ダリウスが渋々ながらも頷いた。
「ではそれに関しては今度改めて話をしよう。……そういえば」
彼はふっと微笑むと、ダリウスに向かって言った。
「今日は随分と動いていたな。やればできるじゃないか」
「……別に普通だろ」
「そうか? 見直したぞ、少し」
「少しかよ」
突然褒められ、ダリウスは少し照れくさそうに視線をそらした。だが、
「しかし、な」
不意にアルバートが声を低くし、真剣な目で見据える。
「学園内は平等とはいえ、さすがに態度が悪すぎる。以前ルージュに注意されたが聞き入れなかったらしいな。騎士志望として、その姿勢はどうなんだ?」
「う……」
言葉に詰まるダリウスにアルバートが追い打ちをかける。
「一応言っておくが、騎士になった場合、お前が最終的に仕えるのはおそらく俺だぞ。にも関わらずその態度とは、他のものが見てどう思うか」
「す、すみませんでした……」
話を聞くと、どうやらダリウスは言い合っていた時にアルバートの胸ぐらを掴んだらしい。口調くらいなら許してくれそうな彼でもアウト判定だったようだ。
まあ、こんなことで騎士になれなくなったら笑えないし、今のうちに釘を刺しておくのが賢明なのだろう。
「アルバート様、その辺に……」
「まて、最後に一つ」
とはいえ彼も反省しただろうし、そろそろ止めようかと身を乗り出そうとすると、アルバートは私を制し、そして真剣な顔で問いかけた。
「……なぜ俺の指示を無視したんだ?」




