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灼熱の炎が眼前に迫り来る。
「──!」
最悪の想像が脳裏に浮かぶ。本来これは主人公とお助けキャラの協力によって成り立つイベントだ。私とダリウスではイレギュラーに過ぎない。
ゲームではピンチになってもお助けキャラのおかげで助かるが、今は──
「……っ危ねぇ!」
ダリウスの声が響いた瞬間、私の目の前に彼が飛び出し、剣を振り上げて炎を受け止めていた。彼の剣が激しく震え、その先からは焼け焦げた煙が立ち上る。
「はあああああっ!」
剣が押し返されるたびに、足元の地面が抉れ、彼の体はわずかに後退していく。それでも熱風に耐えながら、彼は歯を食いしばり剣を握り続けていた。
「おらあぁっ! ──くっ!」
そして力任せに振り払うものの、ダリウスが苦痛に顔を歪ませた。
「ダリウス様!?」
「うるせぇ! てめぇが何とかしろって言ったんだろ!」
彼の怒声が耳に響く。だが息を呑む間もなく、次の瞬間、暴走した魔力の渦がその形を変えていく。そしてそれは、巨大な魔物の姿を作り出した。
『オォ──オオォオオオ!』
そして、その目が私たちを見下ろし、咆哮をあげる。
「はぁ!? なんだよ、これ……!」
「し、知りませんわ!」
こんなのは私も聞いていない。これほどまでに暴走が激しいなんて、もうゲームの展開とは違う。
燃え上がる炎の魔物、その姿はどこか人間のようだったが、まるで捻じ曲げられた彫刻のように不気味な異形だった。その巨大な腕がゆっくりと上がり、私たちを狙う影が地面に伸びていく。
そして、炎の腕が私たちに向かって勢いよく振り下ろされる。凄まじい速さだったが、ダリウスは間一髪で剣をかざし、それを受け止めた。
すごい、さすがダリウス。ステータスが防御力特化だけあってめちゃくちゃ硬い。彼の馬鹿みたいな耐久力がこんなところで役に立つとは。
でも、それもギリギリだ、長くは持たないだろう。……早くしないと。私は無意識に歯を食いしばった。冷や汗が額を伝っていく。
「まだか!?」
ダリウスは荒い息を吐きながら剣を構え直し、私を急かす。
「もう少しですわ!」
私は声を張り上げながらも必死に手を動かす。あと少し、あと少し、あと少しで、
──できた!
「……描き終わりました!」
「よしきた!」
ダリウスが炎を押し返す絶妙なタイミングを見計らい、私は描き終えた魔法陣に魔力を込めた。魔法陣が青白い光を放ち始め、魔力が周囲の空気を震わせる。
『オオォ──ッ!』
再度、魔物の腕が再び振り下ろされたが、ダリウスが剣を振りかざして防ぎ止める。炎が周囲を焼く凄まじい音が響く中、私は必死に呪文を唱え始めた。
「──、────、──!」
『オオォアアアアァ──!』
魔法陣から放たれた魔術が魔物に絡み付いた。そして、動きを封じられた魔物は苦しみながら魔法陣に吸い寄せられていく。……よし、いい調子だ。このまま終わってくれ。
だが、あと少しで呪文の詠唱が終わる。その瞬間、
──何かに強く押し戻されるように魔術が途切れた。
「……え?」
何が起きた……?
想定外の出来事に思わず立ち尽くす。急に魔術から手応えがなくなった。嘘……失敗した?
魔術から解放された魔物は再び私たちを見据える。
──考えろ。魔法陣を、呪文を間違えた? ──違う、完璧だったはず。では、まさか妨害を受けたのか? だとしたら一体誰が──
「おい! てめぇ、次はどうすんだよ!」
「……っ!」
ダリウスの声にはっとする。彼の顔は汗と煤で汚れているものの、まだ戦う意志を失っていない。
そうだ、今は考え込んでいる場合じゃない。とにかくもう一度魔法陣を起動させないと──
『オオォ!?』
「えっ、な、なに……!?」
すぐさま呪文を唱えようとしたその時、魔物の体が突然痙攣を始めた。その異様な動きに、私もダリウスも一瞬動きを止める。
さっきから一体何が起きているのだろう。
動揺しつつ、ふと足元を見ると、魔法陣が私の意思に関係なく、勝手に起動し始めていた。
「なんで──」
そして、私の目の前で、みるみるうちに魔物が、暴走した魔術が魔法陣の中に封じ込められていく。魔物の形が崩れ、炎は歪みながら次第に縮小していく。
そして完全に消え去る直前、
「ダリウス様っ!」
「! エレナ!?」
呆然としている私を横目に、ダリウスが驚きの声を上げるよりも早く、エレナが勢いよく駆け寄ってきた。
「ダリウス様、大丈夫でしたか!? お怪我は?」
「別にこれくらい平気だ」
息を切らしながら彼に駆け寄るその姿は、あたかも全力で状況を救いに来た英雄のように見える。
エレナに視線を向けると、彼女がこちらを見ているのに気づいた。そして、
私だけに分かるように、挑発的な笑みを浮かべていた。
「! ……エレナ様」
まさか──私の描いた魔法陣を横取りした?
嘘みたいな恐ろしい考えが脳裏に浮かんだその時、騒ぎを聞きつけた教師や生徒たちが次々と集まってきた。そして、自然と周囲の視線がエレナに集中する。
教師たちは「見事だ!」「魔術暴走を止めたんだって?」と口々にエレナを称賛し、その名前を繰り返す。生徒たちもそれに続いて拍手を送り、場の空気は一気に彼女を祝福するものへと変わっていく。
そんな目の前で繰り広げられるその光景に、私は言葉を失うしかなかった。
現実逃避をするようにゲームのシーンを思い出す。魔術暴走を解決したエレナたちは、今のように周囲から称賛されていたのだ。……これが主人公補正なのだろうか。
再び彼女を見る。どこか勝ち誇ったようなその目は、すべてが計算通りだと物語っているようだった。そして彼女は皆に聞こえるように、とんでもない言葉を放つ。
「いえ、そんな。私はただ、ルージュ様が魔術暴走をしたみたいでしたので──」
……はい!?
そのまま彼女は私を魔術暴走の犯人に仕立て上げ、まるで自分がそれを見事に解決したかのように振る舞う。そして、周囲の目が一斉に私を向いた。冷たい視線が突き刺さる。
ああ、これは──またしても、私は悪役にされるのだ。
きっと私が何を言っても聞き入れてもらえない。そう思って全て諦めようとしたその時、
「……おい、ちげぇぞ」
ダリウスの言葉が静かに響いた。
「……え?」
「だからちげぇって言ってんだよ」
その言葉は、場の空気を切り裂いた。歓声は瞬時に消え去り、全員の視線がダリウスに集中する。
「こいつが魔術暴走したわけじゃねぇ。やったやつはどっかに行った。それに、エレナが起動したその魔法陣も、さっきこいつが描いたやつだぞ」
「ダリウス様……」
彼が私を指し示した瞬間、教師たちの顔に緊張が走る。一方で、エレナは「なんで……」と小さく呟き、信じられないといった表情でダリウスを見つめていた。
「おい、そうだろ?」
「は、はい。そうですわ」
彼の問いかけに、私はぎこちなく頷くしかなかった。
その後、明らかに動揺したエレナはあれこれ言い訳を並べ立て、最終的には「勘違いしちゃった」と、軽く笑って場を取り繕った。その振る舞いは明らかに不自然だったが、誰もそれを追及しようとしなかった。
その場は教師たちの判断で検証のためしばらく立ち入り禁止になり、そして私たち生徒も一旦試験から解放され、皆はすぐに散り散りになっていく。
……もしかして助かった?
ほっと胸を撫で下ろしエレナを見やると、彼女は鋭い視線をこちらに向けていた。
「おい、大丈夫か?」
試験は一旦中断となったので、会場から少し離れた木陰で休息を取っていると、ダリウスが静かに歩み寄ってきた。
「ええ……なんとか」
いつもよりも柔らかな声で彼が話しかけてきたことに戸惑いつつも、差し出された手をそっと取り立ち上がる。
「あの、ダリウス様、」
「なんだよ」
私は静かに彼に問いかけた。あの場を離れてから、ずっと頭を離れない疑問があった。
「……なぜわたくしを庇ったんですの?」
「庇った?」
エレナの件についてだ。先ほどからずっと考えていたのだが、ダリウスは彼女の味方ではないのだろうか?
「別に、庇ったとかねぇよ。俺はただ正直に起こったことを言っただけだろ」
「あ……確かにそうですわね」
だとしてもちょっと馬鹿正直すぎるだろう。そのあまりにも率直な物言いに、思わず笑いがこみ上げそうになった。でも、本当にこの人はそういう人間なのだ。一貫している。
ゲームの中で描かれていた通りの性格だと感心していると、彼がふと考え込む様子を見せた。
「どうかなさいました?」
「いや……つーか、その……一つ確認してぇんだけど」
「なんですの?」
そして、眉間に皺を寄せ、真剣な口調で尋ねてくる。
「てめぇ、本当にエレナを突き飛ばしてねぇんか?」
なるほど。エレナの行動を見て疑念を抱いたのだろう。先ほど嘘をついただろう彼女が、あの時、本当のことを言っていたのかどうか。
「ええ。わたくしは初めからずっと、そう言っていますわ」
「……」
私の言葉を聞いた彼は沈黙し、どこか複雑な表情を浮かべていた。信じたいのに迷いがあるような、そんな顔だ。
「……わかんねぇ」
彼はしばらく考え込んだ後、小さな声でぽつりと答えを口にした。彼はあの時、エレナが倒れる瞬間を見ていない。彼の中にあるのは倒れている彼女の姿と証言だけだ。
きっとそれだけではどちらを信じることもできない。
「……今は、その目で見たものだけを信じていただければ、それだけで十分ですわ」
「……」
「私からも、もう一つ聞きたいことがありましてよ」
そもそもなぜダリウスは私に手を貸してくれたのだろうか。ずっと私を疎ましく思っていると思っていたのに、あの場で逃げることなく私を守り抜いてくれた。その疑問を問いかけると、彼はゆっくりと口を開いた。
「俺は騎士になるから、」
彼は『騎士』と口にした時、わずかに苦しげな表情をしたが、言葉を続ける。
「……仮に嫌いだからって助けねぇとか、そんなの騎士じゃねぇ。それに、目の前で戦っている人間を蔑ろにはできねぇだろ」
その言葉には、言い訳ではない、彼自身の強い信念が込められているように思えた。
「それに、殿下が……」
「? アルバート様がどうなさいましたの?」
徐々に小さくなる声に疑問に思い問いかけると、アルバートの名前に彼は露骨に顔をしかめたが、大きなため息をついて渋々話し始める。
詳細を聞くと彼はアルバートに強い言葉で発破を掛けられたことを明かした。どうやら先日のメインクエストの件で彼に散々煽られたらしい。何してんだアルバート。後で問い詰めてやる。
「でも結局、今日だってそうだ。あいつの言うように……俺は守ることしかできねぇ」
「あら、そうですの?」
彼がぽつりと溢したその呟きに、私は少し驚きつつも、気づけば自然に言葉を返していた。
「いいですか? あなたが守ってくれたからこそ、わたくしは最後まで魔法陣を描けたのですわ」
まだ足りない部分もたくさんあるのだろう。だけど、今の力で出来ることを最大限やり遂げたのだから、今はそれを誇ればいい。
「ですので、ありがとうございます、ダリウス様。あなたのおかげですわ」
その言葉は私の正直な気持ちだった。彼がいなければどうなっていたことか。
「は? ……てめぇが必死でやってたからだろ」
「っ……ふふ」
「な、なんだよ」
少し顔を赤らめてそっぽを向く彼の姿を見て、私は思わず吹き出しそうになった。
エレナがこれからどんな手を打ってくるのかわからない。でも、今回のトラブルはこれでおしまいだ。教師からも試験続行の案内が出されたし、あとは残りの試験を受けるだけである。
「行きましょう、ダリウス様」
私は振り返り、前を向いた。