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週明けの放課後、いつもの部屋に私たちは集合した。理由はもちろんメインクエストの進捗を確認するためだ。
「クエストはどうでしたか?」
「ああ、いや……」
早速アルバートから感想を聞こうとした私は、どこか歯切れの悪い彼の返事に思わず眉をひそめる。えっ、まさか失敗した?
「いや、そうではないのだが……俺一人でほとんど全部やる羽目になってしまってな」
「え……どういうことですか?」
今回のメインクエストは、森に現れた弱った精霊たちを探し出し、『精霊の姫君』であるエレナの力で回復させるというもの。主人公が『姫君』として活躍する最初の機会だ。学園近くの森を舞台に、仲間たちと協力して進めるクエストのはずだったが──アルバートは渋い顔で続ける。
「彼女が森に怯えてしまってな。ダリウスと、あともう一人の攻略対象の……やたら名前の長いやつだ。その二人が『彼女を守る』などと抜かして、全然動かなかった」
例の音楽家志望の攻略対象については追々説明するとして、やっぱりエレナは順当に攻略対象を集めて連れて行ったようだ。それはいいのだが、
「……つまり、彼女はほとんど何もしなかったと」
「ああ。精霊は俺一人で全部見つけ出した」
私は唖然として言葉を失った。彼はこのままではいつまで経っても終わらないと思い、一人でやってしまったという。
本来ならば精霊の半分はエレナが見つけ、残りを仲間が分担して見つけるはずだった。だが今回はアルバートが全て探し出し集めた後、エレナは最後に出てきて精霊たちを回復させただけだったらしい。
「うわぁ……」
まるで本物のお姫様みたいだった、という彼の皮肉交じりの説明に、私はなんとも言えない気持ちになる。
「しかも何故か二人とも彼女のことを褒めていたな。だから俺も仕方なく褒めたのだが……」
アルバートは一度目を閉じ、重い息を吐いた。
「何もかも腑に落ちない」
「なんというか……お疲れ様です」
いいように働かされた挙句、美味しいところだけ持っていかれた彼の気持ちには同情を禁じ得ない。
そして主人公はともかく、残りの二人はなんなのか。エレナを危険だからと待たせるのは理解できるが、一国の王太子に全て押し付けるのはすごい神経だ。
「アルバートに押し付けることに関しては私も人のことは言えないかもしれませんが……」
「ははは、気にするな」
私の言葉にアルバートは苦笑した。
そんなことよりエレナの件である。
「まさか主人公にも関わらずクエストに参加しないとはな」
「……これ、割とメジャーな攻略方法なんです」
「なんと」
「彼女、レベルが低いとあんまり役に立たないんですよ」
高レベルにならないとステータスが伸びにくい上に有用なスキルをなかなか覚えない。なので大体のプレイヤーは彼女をお荷物として放置し、他のキャラを強化してクリアする。
「ですので『精霊の姫君』にしかできないことだけやってもらえれば一応大丈夫なんです」
主人公の力が必要な場面は実質イベントみたいなものでレベルは関係ない。ただ彼女がその場にいればいいのだ。……これを現実でやるのはちょっとどうかと思うが。
「それで問題なくクリアできるのなら、俺は構わないのだが……」
「すっきりしませんよね〜」
アルバートは深く頷く。加えて、もし彼女が今回の様に全部のクエストを人にやらせる気なのだとしたら、他に戦力のいない今の状態だと彼の負担が大きくなるだろう。過労で倒れたら困る。
「つまり信頼できる戦力が必要になるのか」
「ですね。とはいえ今回だけかもしれませんし、もう少し様子を見ましょうか」
「そうだな」
次のクエストで彼女がどう動くか注意深く観察しようということで、今回は解散になった。
「……あら」
これからどうするか、良い案がないかと思案しながら夕方の学園を歩いていると、茜色の空の下でエレナとダリウスにばったり出くわした。タイミングが良いのか悪いのか。
「ごきげんよう」
「ル、ルージュ様……!」
「てめぇ、また出やがったな」
エレナの声は震えているが、間違いなく演技だ。わざとらしい仕草で怯えるように少し後ずさりし、俯きがちにダリウスの袖を握る。
この状況、彼女が私を罠に嵌めるため何か仕掛けてくる可能性があるだろう。だけど前回みたいにはさせない。私はあくまで冷静に、品位を保つ侯爵令嬢として振る舞おう。
「あら、どうなさいましたの?」
「しらばっくれんな。エレナがこんなに怯えてんのは、てめぇが原因だろうが」
ダリウスが彼女を庇うように一歩前に出る。荒々しい口調と鋭い視線が強く私を射抜いた。
「それはまた心外ですわね。以前からわたくしは何もしていませんのに」
「嘘をつくな!」
強いていえば廊下で軽くぶつかったくらいなのだが、そう言ったところで彼は信じないだろう。
私は余裕のある微笑みを保ちながら、少し距離を空けるように意識してゆっくりと二人に歩み寄る。
「エレナ様、どうかお教えくださいませ。わたくしの何があなたをそんなに怖がらせているのかしら?」
そして優しく問いかけると、エレナは目に涙を浮かべながら首を振った。
「わ、私は……ただ、あなたがいらっしゃるだけで、怖くて……!」
「………………」
あんまりなセリフに思わず真顔になってしまった。確かに外見が悪役っぽい自覚はあるが、そこまで言われる筋合いはない。
ダリウスは苦々しげにこちらを睨んでいる。おそらく彼女は彼が抱く私への印象をさらに悪くするために私を怒らせたいのだろう。
だが、そうはさせない。彼女がどんなに私を悪役に仕立て上げようとしても、今回は付け入る隙を見せるつもりはない。正々堂々と立ち向かってみせよう。
「……なるほど、わたくしが存在するだけでエレナ様を怖がらせてしまうとは」
私はほんの少し目を伏せ、困ったように微笑んだ。
「それは、もしかしたら何かの誤解があるのではないかしら」
「誤解だと……?」
「ええ。わたくし、立場や見た目で勘違いされやすいのです」
眉をひそめるダリウスをよそに、私は震える彼女に優しく目を向ける。
「エレナ様」
「……っ!」
「もし何かお困りのことがあれば、どうぞ遠慮なくおっしゃってくださいませ。わたくし、全力でお力になりますわ」
「えっ……」
その言葉にエレナの瞳が揺れた。これは彼女の作り上げた『被害者の姿』を崩しかねないような提案だったのだろう。ほんの一瞬だけ私を睨んだ彼女は、すぐに首を横に振った。
「──いえ……そんな……で、でも……私」
「エレナ、無理すんなって!」
彼女は涙を溢しながら震える手でダリウスの服を握りしめた。その様子に彼はさらに敵意を露わにする。
「……てめぇがどんなに取り繕おうが、エレナが怖がってる事実は変わらねぇ。これ以上近づくな」
「それがエレナ様のご希望でしたら、もちろんそのようにいたしますわ」
正直、今は相手にするのがめんどくさいのでそちらから距離を取ってくれた方がこちらとしてもありがたいのだが、それは口に出さない。
「ただ、誤解が解ける日が来ればいいのですが」
「チッ」
ダリウスは私の言葉が気に入らなかったのか舌打ちをした。
「……」
彼はエレナの言葉を信じているのだから、私のことを悪役と思っても仕方ないのかもしれない。だが、この態度の悪さは勘違い以前の問題だ。さすがに侯爵令嬢として見逃せない。
私は困ったように笑みを浮かべながら、視線を彼に向ける。
「……ダリウス様、あなたに少しお話ししたいことがございます」
「なんだよ」
「その乱暴なお言葉遣いと態度ですが、貴族社会におけるあなたの評判を下げることになりませんこと?」
「……は?」
私は毅然とした声で告げる。学園内では身分に関わらず平等であると定められているとはいえ、この態度は貴族としては明らかによろしく無いだろう。今後に響きかねない。
「あなたがどんなにわたくしに怒りを向けても構いませんわ。ですが、それを目撃した周囲の方々はどう思うでしょう。『誇り高き騎士団長のご子息』でありながら、まるで粗暴なならず者のようだと……そんな噂が立つかもしれませんわね」
「……っ!」
言葉を失った彼を一瞥し、私は続けた。
「エレナ様を守るおつもりなら、その言動で彼女を傷つける結果にならないよう、ぜひご自身を律してくださいませ」
彼は眉間に深い皺を寄せ、拳を握りしめる。
「そんなこと……エレナを突き飛ばしたてめぇに言われる筋合いはねぇよ!」
ええい、しつこい! だから私は何もしてないって何度も言ってるのに! このわからずや!
……思わず内心で荒ぶってしまったが、私は表情は崩さない。これ以上は無駄な口論になるからやめよう。あくまで良心的で品位を保つ侯爵令嬢としての立場を守ることが今は最優先だ。
「……わたくしの言葉を受け入れるかどうかは、あなた次第ですわ」
そう言って、私は二人に軽く一礼をしてその場を後にした。背中に刺さるダリウスの視線を感じながら、内心で苦い笑みを浮かべる。
彼が悪い人間じゃないのはよく知っているが、今は私を完全に悪だと思い込んでいるのであまりにも厄介だ。真っ直ぐで正義感あるのはいいが、現状では、ただただ盲目的になっているだけである。
「……作戦、変更しましょうか」
こうなったら、エレナは後回しだ。まずはダリウスをなんとかしよう。




