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エレナとダリウスの様子を見た私たちは、いつもの部屋で緊急会議を始めた。
アルバートは椅子に深く腰を下ろし、腕を組んでこちらを見据えている。何か考えるところがあるのだろう。
私は小さく息を整え、話を切り出した。
「彼女は、もしかしたらダリウスルートに入る気なのかもしれないですね」
「あれでか?」
彼は眉をひそめながら確認してくる。確かになんだかギクシャクしていたので疑うのも無理はないが、
「確証はないんですけど、可能性はあります」
先ほどの様子を見た感じでは、彼女がダリウスを攻略しようとしているのかまではわからない。だが彼のルートのセリフを言っていたあたり、少なくとも好感度を上げる意思はありそうだった。
「なるほどな」
「まあ、色々心配ですけどね」
そう言いながら、私はテーブルに置かれたカップを手に取った。 紅茶に視線を落としつつも、頭の中では彼らの動向を整理していく。ゲーム内での選択肢を思い出して、どれが最適かを考え直す。リスクを最小限に抑えないと。
もしエレナがダリウスルートに入るならば、さっきの二人のやり取りからして不安しかないのである。
「だが、どうする? 攻略の阻止でもするのか?」
「そこまではしないです。ただ、少し対策を考えました」
「ほう」
私は手元の紙に案を書き出し、彼に見せる。
まず一つ目。これはちょっとした妨害だ。彼女が攻略対象やメインクエストに夢中になっている間に手を回す。
「先回りして厄介なアイテムをいくつか回収します。というわけで早速サブクエに──」
「行くんだな?」
「行ってきました」
「過去形」
実は昨日の放課後、寮に帰る前に一つサブクエをこなしてきた。私の言葉にアルバートの眉がわずかに跳ね上がる。彼は椅子に座り直し、やや不満げな表情を浮かべた。
「どうして俺を誘わなかった?」
「短時間で済む内容でしたし、わざわざ連れ出すのもどうかなと」
「どのくらい短時間なんだ?」
「十五分です」
「十五分」
昨日やったのは、学園内で広まる噂を調査する『学園のウワサ』というサブクエストの一つ目で、内容も単純だった。
本来ならば学園内の様々な人から噂を聞き取り、その情報を組み合わせて謎を解いていくのだが、
「一つ目は答えを知ってるなら一瞬なんです」
「なるほど」
夕暮れの学園、誰も訪れない古びた塔へ向かった時のことを思い返しながら話す。 やることは簡単だ。塔の一室にある扉にかけられた封印の魔法陣の周囲を指定された順番に触っていくだけ。つまり事前に解除方法を知っていればすぐに解ける。
そのあとは室内のアイテム回収だけだし、実際、現場まで向かう時間の方が長かったくらいなのだ。忙しいアルバートをわざわざ連れて行く必要はなかった。
彼は若干腑に落ちない様子だったが、「まあいい」と一言だけ言い、腕を組み直した。
「して、そのアイテムとやらは」
「これです」
私は制服のポケットから布に包んだものを取り出し、そっとテーブルの上に置いた。それを広げると、中から一つの銀色の指輪が現れる。室内の明かりに反射して鈍く光るそれを、アルバートはしげしげと見つめた。
「これは……指輪か?」
「そうです。そして……これは装備することによって好感度の変動を大きくするアイテムなんです」
「なんと」
彼は興味深そうに目を見開く。
「つまり攻略が容易になるというわけか」
「そうです。ただその反面、危険でもあるんです」
普通に使う分には好感度を稼ぎやすくなるという便利なアイテムだ。しかし、選択肢を間違えた場合、一瞬で好感度が急激に落ちる。そして場合によってはそのせいでグッドエンドに辿り着けなくなることすらある。そんな罠のようなアイテムである。
操作ミスで選択肢を間違えた時の『終わった……』感よ。私はその絶望的な光景を思い出しながら、ため息をついた。今思い出しても胃が痛い。
「それは恐ろしいな」
「それに彼女には、このアイテムを扱えるほどの記憶力も経験もないでしょうから」
ここ数日の様子からして彼女は十中八九転生者だが、私のように選択肢やキャラクターの行動などを細かいところまで覚えてはいない。この世界に攻略サイトがあるわけでもないし、急に攻略対象の好感度を上げるのはまだしも、何かの拍子に消し飛ばされたら困る。
もちろん、攻略対象以外にもその効果は発揮されるだろう。好感度が急に上下することで、周囲の人間関係を崩す危険性もある。だから彼女が持つべきではないと判断した。
アルバートはしばし黙考した後、静かに同意を示した。
「確かにそれが賢明だな。ただでさえ彼女は平民ということで目立っている。些細な行動でいたずらに敵を増やしかねないだろう」
「ご理解いただけて何よりです」
このゲームでは好感度上げのために早いうちにこのアイテムを取りに行くのが定石。ゲームを知っている転生者ならばすぐに取りに行く可能性が高い。だから念のため先回りしておいたのだ。もし本当に必要ならばアルバート経由で渡せばいい。
しかしあの感じでは、このアイテムのマイナス面をどうにかできるほどの実力は彼女に期待できない。事故防止のため、このままこちらで保管しておこう。
「うまく使えればいいんですけどね〜」
きちんと使えば対象と打ち解けたり仲良くなったりするスピードをかなり速めることができる。本来のゲームの主人公の彼女ならば、皆に好かれる人間性だから役に立ったことだろう。
「ではルージュがつけるのはどうだ?」
「ちょっと無理です」
今の私はどうかというと、正直、つける勇気はない。 ただでさえ私は見た目や立場から誤解されやすいので、リスクが大きすぎる。
そんな話をしている最中、アルバートがふと指輪を見つめながら言った。
「試しに少しだけ俺がつけてみていいか?」
「? どうぞ」
私は軽く答えたが、それが失敗だったと気づくまでそう時間はかからなかった。
アルバートが指輪をはめた瞬間、空気が一変した。彼がこちらに向けた微笑みが、どこかいつも以上に魅力的に感じられる。そして──
「──」
彼は私に近づき、そっと耳元で囁いた。
「ばっ!?」
あまりの破壊力に、私は思わず椅子から跳ねるように立ち上がる。脳がキャパオーバーしたのか、何を言われたのか認識しきれなかった。いや、多分なんかの口説き文句だった気がするが、一度それを認識した後に衝撃で全部飛んだ。これ、こんなに効果あるの!?
「ほう、これは……」
私の混乱した様子を見た彼は面白いおもちゃを見つけたように楽しそうにしている。
「あ、遊ばないでください……!」
「遊んでいるわけではないぞ?」
本当に心臓に悪い。顔が熱くなる。アルバートがいつもより五割り増しくらいに眩しく見える。
「五割り増しか……悪くないな」
「ダメです。しまっておきましょう」
「なぜだ」
彼は不服そうだが、こちらの心臓がもたない。それに──
「……これが一番よく使われる用途ってなんだと思います?」
「攻略対象の好感度上げではないのか?」
「いいえ」
そんないいものではない。
「アルバートの二つ目のバッドエンドを見るための好感度下げです」
「……」
アルバートは指輪を無言で外した。
「じゃあ、しまっておきますね」
私は彼から指輪を受け取り、布に包み直して厳重にしまい込んだ。なぜこれが封印されていたのか、それがよくわかった気がする。
余談だが、後日、いくら探しても指輪を見つけられなかったエレナは「なんで! なんでないの!?」とイラついたり、どこにあるのかそれとなく周囲に聞き込みをしていたりしたらしい。アルバートも心当たりがあるか聞かれたが、笑顔で何も知らないふりをしたそうな。悪いやつめ。
「……というわけで、このサブクエは終わりです」
「ああ。次はどうするんだ?」
彼は期待するような目で私を見ている。 大丈夫、次はご期待に応えて歯応えのあるクエストだ。
「アルバートには是非、二つ目のクエストをやってもらいたいと思いまして」
「ほう……!」
クエストに行けるということで、目を輝かせるアルバート。彼の声がどこか弾んでいるのを聞き、私は微笑を浮かべた。
「早速、今夜行きましょう!」
プレイヤーたちを大いに悩ませた、ある意味苦行ともいわれるクエストに。