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「……ノア・ド・ラリマーと申します」
「ああ、ルージュから話は聞いている」
アルバートが静かに頷く。彼の目線はノアに向けられ、じっと観察しているようだった。
なぜ二人がこうして会っているのかといえば、私が抱いた違和感を確認するため、試しにアルバートにノアを見せてみようと思ったのだ。そして探してみればちょうど教室に残っていた彼をこの場に連れてきた。
実は二人が直接会うのはこれが初めて。手紙でのやり取りはあったが、実際に対面する機会はなかった。
「……失礼いたします」
しばらく二人は話をして、やがてノアは静かに一礼し、退室していった。彼が去った後の静かな空間で私は口を開く。
「……どうでした?」
「話に聞いていたゲームの人物像とは少し印象が違ったな。妙な存在感はあったが、逃げ出すほどではないだろう」
「ですよね」
アルバートの答えに私は納得したように頷く。そう、それが普通の感想だ。
つまりエレナがノアを避けた理由は、彼本人に問題があったわけではない。そもそもゲームの中での彼女はむしろ彼と普通に接しようとしていた。どうにかして仲良くなろうとさえしていたのだから。
理由があるとすれば、それはゲームの内容、そしてノアルートを知っている人物だけだ。彼の性格と力の強大さを知っているからこそ、万が一にでも敵に回すことを恐れている。
「彼、おそらく今の私たちより強いですからね」
「えっ」
アルバートが驚いた声を上げるが、今はそこを追及している場合ではないので流すことにする。
そう、何も知らないのならノアはパッと見ではただの『儚げで大人しそうな年下の美少年』でしかない。その印象は少なくとも表面上は間違いではないし、実際、私の方が威圧感のある見た目をしているくらいだ。
そしてゲームでの私たち姉弟は不仲だったが、それを知らないはずのエレナが私たちが普通に話しているだけで驚いていたのもおかしい。
「明らかにゲームの時とは様子が違いますから、知っているなら驚くのも無理はないです」
「なるほど」
アルバートは納得したように頷いた。彼自身は外面はゲーム通りの振る舞いをしているし、私もキャラ作りを意識している。しかし、ノアは違う。 ゲーム内の彼は陰鬱で攻撃的な性格だったが、今の彼はそんなことはない。目にハイライトは入っておらず喋り方も棒読みではあるが、普通に話せば意思疎通はできる。
つまり今のノアに対してあんな態度を取る理由があるとすれば、それはゲームの彼を知っているからだという結論に達する。
となると答えは一つである。
「やはり、ルージュと同じく転生者かもしれないということか」
アルバートの言葉に小さく頷く。私の考えも同じだった。
「十分可能性はあります。でも……本当にそうだったら厄介なことになるかもしれないですね」
「と言うと?」
もしエレナが転生者であるならば、彼女はルージュが悪役だと知っていることになり、そして原作通りに断罪を目指す可能性がある。今日の態度を見る限り、それも十分に考えられるだろう。
「そんなことがあるのか」
「割と……?」
創作界隈ではテンプレな展開だと言いたかったが、それ以上は言わないでおいた。
仮に敵に回った場合、厄介極まりない。私や侯爵家の過去やこれからのやらかしを把握している彼女なら、断罪の材料には事欠かない。
今から仲良くなろうにも、今日の彼女の態度からして厳しいだろう。私は何もしていないにも関わらず、既に完全に敵視されているのだから。
それだけではなくシナリオにも影響がある可能性はある。そもそもこのゲームの主人公はやることが多くて大変なのだ。それを知っていて、その役目にちゃんと向き合えるのか。
「それはまた……」
「とはいえ、全部杞憂かもしれないのですので」
少し様子を見てもいいだろう。情報が少なすぎる現状では、判断を急ぐべきではない。
「ふむ。ならば俺に一つ案があるのだが」
「なんですか?」
「それはな──」
アルバートの提案に、私は思わず目を見開いた。
翌日、エレナは何か用があったらしくアルバートと共に私のいる教室にやってきた。その姿を見た瞬間、二人の距離感の近さに思わず眉をひそめる。
「あら、ごきげんよう。……ご存知でないかもしれませんが、婚約者のいる男性にそのように近づき過ぎるのはよろしくありませんわ」
「な……私はそんなつもりじゃ……! なのにそんなこと言うなんて、酷いですっ!」
彼女は憤然とした表情でアルバートを振り返る。そして助けを求めるように視線を送ると、彼は険しい表情で私を制するように言った。
「ルージュ…………その辺にしておけ」
「っ……仕方ありませんね」
「アルバート様っ!」
……まあ、及第点の対応だろうか。謎の逡巡に吹き出しそうになったが、何とか堪える。こんなセリフでもエレナは彼に庇われたことで満足そうだ。これで彼女が機嫌を損ねないのなら問題ない。
ちなみに100点満点の解答は『……この程度のことで嫉妬するとは、お前は随分と見苦しい女だな』である。
「……それを言えると思うか?」
「ゲームでは普通に言ってましたよ」
「そうか……」
その日の放課後、私たちはいつもの部屋にて『アルバートの案』について具体的に話し始めた。
──『ゲームの演技をしてみないか?』
アルバートの提案とは、私が転生者であることを隠すため、ゲームに寄せた演技をすることだった。そして主人公も極力ゲーム通りの動きになるように誘導する。表向きはキャラを装い、イベントも極力、原作に忠実に進めるというものだ。 ……これ、アルバートが原作通りのシナリオを見たいだけじゃないよね?
まあそれはともかく、エレナにはゲームから外れた予想外の動きをされるよりも、ゲーム通りでいてくれた方が対策がしやすいのでその方がいい。もちろん、その中で私の断罪に繋がる要素だけは排除する必要があるが。
さっきのエレナに対する私のセリフだって、原作準拠なら彼女への暴言も含まれていたのだ。それを排除したらただの正論になったわけだ。
加えてアルバートとは私と不仲であるようにエレナに見せるので、会うのは基本的にこの部屋のみになる。彼はちょっと嫌そうだったが仕方がない。
「アルバートはこれから大丈夫ですか? あの嘘みたいな嘘の口説き文句を彼女に言うことになりますけど。しかも嘘だって多分バレてるのに」
「それは……心を無にすることにする」
彼はどこか遠くを見ていた。その心中を察すると同情したくもなるが、自分で蒔いた種だ。頑張ってもらうしかない。
「多分、ニュアンスが大体合っていれば変えてもバレないですよ」
私のように一言一句覚えているような人間はそうそういないだろう。現にさっきのエレナもあのなんとも言えない彼のセリフで普通に喜んでそうだったし。
「そうだな。ルージュを貶すのは極力避けたいものだ」
どうやらアルバート、思ってもいない口説き文句はスラスラ言えるくせに、思ってもいない貶し文句は中々出てこないらしい。今日の場合、私がド正論を言ったことも相まって反論の言葉が一つも出てこなかったとか。頑張れ。
というわけで、彼にはゲームのセリフを一通り伝授する必要があるのだが、いかんせん量が多い。出てくる順番に少しずつ教えていかなければ。
……なんだか前途多難な気がしてきた。この戦略がうまくいくかは分からないが、でも今はやるしかない。
ちなみにノアと祠の神はゲームと違う状況だが、これはもう『バグ』ということにしておこう。むしろ主人公にとってはこちらの方がやりやすいのではないだろうか。ノアはヤバくないし、お詣りマラソンもしなくて済むし。
「じゃあ明日からの具体的な作戦でも考えますか」
「ああ。しかしその前に、まずはあの騎士団長の息子について詳しく教えてくれないか?」
「そうですね」
確かに、既に主人公の味方になっている彼についても対処が必要だろう。
いつも読んでいただきありがとうございます
執筆に集中したいのでしばらく感想を閉じます




