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『──、────?』
「む……まだいるな」
私たちは息を潜め、岩陰に隠れて身を隠していた。寒さと緊張で体がこわばるが、今は追手から逃れることが最優先だ。
「ルージュ、腕は大丈夫か?」
「はい、少しかすっただけでしたので」
アルバートが心配気に私の腕を見やる。傷自体は軽かったので、もう血は止まっていた。少しだけ痛みが残っているが問題なく動かせるため、後で回復薬を塗れば十分だろう。
それにしても、さすが負けイベント。私たちは少し甘く見ていたのかもしれない。
──時は少し前に遡る。
精霊王の繭のすぐ近くまで来た私たちはその圧倒的な大きさを見上げていた。木々を押しのけるようにそびえ立つ巨大な繭は、果てしなく空まで続いているかのように見える。
「まるで壁だな」
アルバートが手を伸ばし、繭の表面を軽く拳で叩きながら呟いた。コンコンと固く乾いた音が響く。
「実際、壁といえば壁なんですよね、これ」
「というのは?」
私は少し身を寄せ、簡単に説明を続けた。この繭の内部は、精霊王の一部であると同時に一つのダンジョンでもある。内部の中心に本体が眠っているのだが、そこに辿り着くまで迷路状になった繭の中を進む仕組みなのだ。
「そうなのか」
「実は結構簡単に中に入れるんですよ。例えばこんな感じに切ってみると──」
私は剣を鞘から引き抜くと、繭に向かって突き立てた。すると繭の表面は驚くほど簡単にサクッと切れて、内部に通じる暗い空間がぽっかりと開いた。バグにしか見えない光景だが、これはバグではなく仕様である。
「おお!」
アルバートが驚きの声を上げる。開いた穴の奥からはうっすらと薄暗い通路が覗いていた。
「……一つ確認したいのだが、負けイベとやらはそこまで進むのか?」
「はい。この中まで入ります」
負けイベでは、繭を斬りつけたアルバートは中に入れることに気がつき入ってしまうのである。
「そうか。てっきりこの繭自体と戦うのかと思っていた」
「今は違いますけど、最終的にはそれもあります」
「あるのか……」
そう答えると、アルバートはためらうことなく繭の中に足を踏み入れた。その後ろを私も追いかける。
「これはなんとも不気味な」
中の通路を慎重に進んでいくと、不気味な沈黙が辺りを包む中、奥に進むにつれて視界が少しずつ暗くなっていく。私たちの足音以外は何の音もなく、冷たい空気が肌にしみる。壁を見ると不規則な模様がぼんやりと明るく浮かび上がっていて、手で触ると少しひんやりしていた。
「他にもっと不気味なダンジョンもあるんですけどね」
「なんと」
「でもそれはいいとして……多分、そろそろ来ますよ」
「来るとは?」
進んでいくと通路から少しだけ開けた場所に出る。実はここが負けイベの場所だ。そして、
「ここに一歩踏み入れると──あそこから出るんです」
「!」
私が一点を指差すと、突然、その空間の奥の壁から滑り出るように奇妙な生き物がぬるりと姿を現した。そして、それは明確に私たちの方に向かってくる。
うわ、本当に出た。しかもイベントムービーで見たのと同じように出てきた、なんかちょっと感動。って、それはともかく。
「それで、あれが今回の……負けイベの相手です」
「あれが……?」
『──、! 、?』
奇妙な声を放つそれは、なにかの地上絵のような少し歪な鳥のような姿をしたもので、半透明な翼を動かしゆらゆらと不気味に揺れながらこちらに近づいてくる。
「……しかし、これが精霊王なのか?」
「一応そうですけど、これはほんの一部分ですね」
正確にいえばこれは精霊王の力の一欠片。劣化コピーのようなものであり、侵入者を察知した精霊王が生み出した『偵察機』だ。本体はダンジョンの奥で寝ているので今は出てこない。
この偵察機は侵入した私たちの魔力を吸って生み出されたもので、もし倒したとしてもすぐにまた出現する。無限湧きだ。
そして、これと戦うのが今回の負けイベ。ちなみにサイズは人間とさほど変わらないが、所謂ラスダンのモンスターだけあってこの前のドラゴンより普通に強い。
「ドラゴンより強い」
「加えてそこそこ厄介なことがありまして……」
このダンジョン、シナリオをある程度進めるとまた来ることができるようになるのだが、各地の大精霊からの加護が足りない場合、かなり厳しい戦いを強いられる。
なんとダンジョン内で魔術を使おうとすると一瞬で魔力を吸われてしまい全て不発になるという設定があるのだ。
これは十分に加護を集めることによって防げるが、中途半端なまま来てしまうと特に魔術メインのノアは完全に置物と化す。普段は圧倒的な強さで敵を消し炭にする彼が何もできないポンコツお荷物になる姿はどことなく哀愁漂う。
つまり現時点で魔術は全く使えない。もし戦うのならば物理オンリーだ。
「それは確かに厄介だな」
「なので極力戦わずに済ませたいです」
偵察機を見ると、まだこちらを窺うのみで動きを見せていない。この様子ならしばらく様子を見てから退却すれば大丈夫そうだ。
「しばらくすると攻撃してくるので、少し様子を見たら動き出す前に帰りましょうか」
「そうだな。ゲームでの俺は具体的にどうしていたんだ?」
「えーっとですね……」
ゲームでのこの戦闘はチュートリアルなので指示通りに操作して移動や攻撃をするだけである。
「なるほどな。では、」
それを伝えると彼は剣を抜き、偵察機に近づくと鋭く横に一閃を放った。うん。確かにこれでゲーム通り──
『!!、! ──!?』
「こんな感じか?」
──じゃないな。いや、アルバートが思いっきり切ったからか一撃で結構ダメージ入れちゃってない?
「いやちょっとやり過ぎじゃ……」
「そうか?」
『──!、!』
偵察機は傷を負い一瞬よろめくものの、すぐに傷が回復して体勢を立て直す。やはりゲームのように、今の段階では根本的には攻撃が通らない設定のようだ。
ていうかアルバート、武器が強いとはいえこれ一応シナリオのラスダンの敵だよ? あれからどれだけレベリングしたんだこの人は。
『!!、! ──!!!』
「これは……よろしくなさそうですね」
「ああ」
もう悠長にしてはいられない。ダメージを受けた偵察機が明らかに警戒と敵意を強めているのがわかる。どうやら様子見はやめたようだ。
偵察機は魔力を一カ所に溜め、こちらに目を向ける。
「来ますよ!」
「くっ……!」
そして私たちに向けてビームを放つ。ものすごく速い。ギリギリで回避するが、当たった場所──足元の地面を見ると大きく抉れている。ひええ、威力ヤバい!
「ルージュ! 後ろだ!」
「──えっ?」
彼の声に振り返ると足元に気を取られていた私に向かって、それが勢いよく突進して来ていた。
「!? いたっ……!」
咄嗟に身体を翻して回避したが、腕に鋭い痛みが走り、思わずその場に固まった。見ると、翼がかすめたのか衣服が切れて少し血が滲んでいる。
「ルージュ、大丈夫か!?」
「っ大丈夫です! でも、」
なんて攻撃力だ。今はまだまともに戦えるような相手じゃない。
それを悟った私たちはすぐに出口へ急ぎ、繭の外へと逃げ出した。そしてひとまず近くの岩陰に身を潜めたのだ。
──そして今に至る。
『──?』
先ほどの偵察機は繭の周囲をうろついている。
ダンジョンの外まで追ってくるとは思わなかったが、そういえばゲームでも繭の外に出てくるやつがいたことを思い出す。ゲーム中盤以降、繭の近くに来ると低確率で出現するのだ。そしてレベルが足りないプレイヤーは襲撃されて大変なことになる。扱い的にはドラゴンと一緒だ。みんなのトラウマその2である。
しかしこれは放っておけば時間経過で消えるはずなのだが。
「しかし、しつこいな。まだ戻らないのか?」
「おかしいですね。そんなはずは……」
時間が経っても偵察機は中に戻る気配がない。ゲームでは見失うと2、3分程度ですぐに消えていたはずなのに。
どうしたんだろうと疑問に思っていると、不意に叫び声が聞こえてきた。
「な、なんだぁこのバケモンは!」
私たちは岩陰から顔を出し、声の方向に目を向けた。するとそこには、一人の人影があった。
「なっ……」
声の主は一人の青年のようだ。その姿は冒険者のようにも見えるが、もしかするとただの村人かもしれない。そういえばマップ上の少し離れた場所に村があったことを思い出す。突如現れた巨大な繭──この『異変』の様子を見に来たのだろうか。その顔には恐怖が浮かび、目が大きく見開かれていた。
『! ──? ──!!」
そしてどうやら、偵察機はその村人の気配に反応してしまっていたらしい。道理で繭の中に戻らないわけである。そして、それはゆらゆらと揺れながら村人に迫っていく。
「ひぃっ、こ、この! どっか行きやがれ!」
青い顔をした村人が必死に石を投げつけるが、そんなものが効くはずもなく、害されたと判断した偵察機はゆっくりと攻撃態勢になる。
「いけない……!」
「っ……あのままでは」
村人が襲われてしまう。鍛えてもいない一般人があの攻撃をくらったらひとたまりもないだろう。
「ひぃいいぃ!」
村人の悲鳴が聞こえる。偵察機が魔力を溜めて、ビームが放たれる──その時、
「くっ……!」
「アルバート!?」
アルバートが岩陰から飛び出し、偵察機に向かって一直線に走り出した。