17
「……姉上、お身体は大丈夫ですか」
「え、ええ。大丈夫よノア」
掛けられていた魔術が解かれ、自由になった手足の感覚を確認する。よかった、動かせる。ちゃんと生きている。
ノアは相変わらずハイライトのない目で私の惨状を見つめ、困ったように切り出した。
「……もう素直に伝えた方がいいと、僕は思います」
「そうね……わたくしも、そう思いましたわ」
私はその言葉に全面的に同意するしかない。色々な場所にぶつけた肘や膝が痛いし、あまりの恐怖にぎゃあぎゃあ悲鳴を上げて騒いでしまったのが恥ずかしい。それにしても、ここまで下手くそだなんて思いもしなかった。まさか私が、
「こんなにも踊れないなんて……」
──ということがありまして、
「私、ダンスを踊れないみたいです」
「そういうことかあああ!」
アルバートが急に大きな声を上げて頭を抱えた。えっなに、いきなりどうした。
「す、すまない、こちらの話だ」
いや、どういうこと?
放課後になった途端、なんだかそわそわとした様子の彼にいつもの部屋に呼び出された。しかし何事かと聞いてもなかなか話し始めないので、先にこちらから近況を報告したらこれである。本当に何があったよ。
「それで、話ってなんですか?」
「……もう大丈夫だ。解決した」
「え?」
アルバートはスッキリした顔をしている。今の話のどこにそんな要素があったのかはよくわからないが、解決したのならなによりである。
「しかし、ルージュがダンスを踊れないというのは……?」
「そのまま、文字通りです」
あのサブクエストから時が経ち、春が迫っていた。私たちはあと少しで所謂二年生になる。
なぜ私が今この秘密を彼に打ち明けることにしたかといえば、近々重要な夜会があるからである。つい最近まであること自体を忘れていたのだが、準備は急げばどうにかなるので問題はない。
そう、『全く踊れない』ダンスを除いて。
「まさか怪我をしたわけではないのだろう?」
「はい。怪我ではなくて──ただ下手くそなだけです……」
「ええ……」
アルバートは「嘘だろ?」という顔をしている。まぁ、そうなるよね。
私は侯爵令嬢、社交界では誰もが踊れるべき夜会の主役を務める立場にいる。そんな私が『下手くそで踊れない』とは、誰も思わない。
さて、なんでこんなことになったのか説明しよう。
このゲームは何回かダンスの描写があり、シナリオ上では攻略対象と二人きりで踊るシーンとルージュ断罪後の夜会のシーンの二回、主人公は踊ることになる。どちらも攻略対象と密着するドキドキ満載のイベントである。
断罪後はスチルが見れるだけなのだが、問題はこの攻略対象と踊るシーン。これが、なんとミニゲームなのである。内容は音楽に合わせてボタンを押す──簡単に言えば音楽ゲーム。
スコアが好感度に影響し、高スコアを出すと専用のセリフを聞ける仕様である。それはいい。いいのだが、
実は私、音楽ゲームがド下手くそなのだ。そもそものリズム感が壊滅しているせいである。
「待て、それならゲームではどうしていたんだ」
「最終的に、得意な友人にやってもらって、あとは全部オートプレイにしていました」
「なんと」
一度クリアすれば以降は許される仕様で助かった。自分でもやり込むうちに根性でどうにかなったことはあるにはあるが、苦手なことに変わりはないし、これだけはもうやりたくない。
「まさかルージュにそのような弱点があったとは」
「得意不得意ってあるじゃないですか」
「それはゲームの知識ではどうにかできないのか?」
「できないです。アルバートの描く絵と一緒です」
「……」
全てを理解したのかアルバートが手で顔を覆った。
こちとらお前がとんでもない画伯なことを知ってるんだからな、妙な真似をしたら画集にして発行してやるぞ。
「それは絶対にやめてくれ。……ん?」
アルバートは何かに気が付いたかのように首を傾げた。
「俺の記憶では、前のルージュは昔、問題なく踊れていたはずだが」
「あ、それはですね、」
そもそも元のルージュもダンスが苦手だった。しかし彼女の立場と性格上、弱音を吐けなかったようで、とにかく練習して根性で誤魔化し続けていたらしい。これは転生してから彼女の記憶を見て知った。
「なるほど……それで踊っている時は無口だったのか。ずっと機嫌が悪いのかと」
「やっぱりそう思いますよね〜」
実際はダンスが下手くそなことをアルバートにバレたくなくてステップに一生懸命集中していたために会話できなかっただけである。彼女は見た目がキツめであることも相まって誤解されやすい。
それに加えて、踊る相手の足を意図せず何度も踏んだり蹴ったり(物理)していたせいで、気に入らない貴族令息に嫌がらせをしているだなんて言われていた。まさに踏んだり蹴ったり。
そうしているうちに踊ることを避けるようになり、そのせいでさらに踊れなくなるという悪循環。彼女はプライドが高かったこともあり、なおさらそんな姿を人に見せられなくなっていったのである。
実際、ゲームの中でルージュが踊ることは一度もなかった。主人公と楽しく踊るアルバートを見て彼女が何を思っていたのか、想像に容易いだろう。
そんなダンスが苦手なルージュとリズム感が終わっている私。この二人が悪魔合体した結果、
私はびっくりするくらい踊れなくなっていた。
「びっくりするくらい」
「はい。なんとかしようと思って、家でレッスンを受けていたんですけど……その、教師の方も匙を投げました」
「そんなにか」
リズムに乗れない私を見た教師は、最初こそ励ましてくれたものの、やがて「これ以上は無理だ」と言って辞めてしまった。普通に落ち込んだ。中身が私になったことによるデバフがすごい。転生ってこんなこともあるのか。
「それで、いっそのこと夜会そのものをサボれないかと考えたんですけど、」
今回の夜会は『先輩の卒業式の後夜祭』であり特別なものだ。実はゲーム的にも重要なイベントであり、シナリオでは過去に参加しなかったルージュが悪く噂される回想シーンがある。
夜会にも出ない女が王妃に相応しいとは思えないだの、侯爵家の令嬢の役割を放棄しただの、なんだの言われるのだ。今後の円滑な人間関係のためにもできる限り悪評は流されたくない。
「参加自体はして踊らないというのは?」
「実はそれは難しくて……」
この夜会、最初の数曲だけは全員参加が暗黙の了解なのだ。他の夜会では踊らない人も沢山いたので助かっていたが、この夜会はそうではない。踊らないと非常に悪目立ちする。
踊らず悪評を撒かれるか、踊って無様を晒すかの二択である。嫌すぎる。
「無様とは……どれほど踊れないんだ? ここで試しに俺と踊ってみるか?」
「間違って蹴っても許してくれるのなら、」
「やめておこう」
即答だった。まだ言い終わってすらないんですけど?
でもレベリングした今の私の蹴りはそこそこの威力があると思うので無理はない。だから余計にダンスが不安なのだ、相手の足をへし折りそうで。
「弟と練習したと言っていたが、その時は蹴らなかったのか?」
「ノアに練習に付き合ってもらった時はですね──」
さすがにこのままではマズイと思った私は、ノアにダメ元で練習相手をしてくれと頼んだ。するとなんと、終始無表情ではあったものの、付き合ってくれたのである。推しが超優しくてお姉ちゃん嬉しい。
可愛い義弟、兼推しであるノアのことは意地でも蹴れない──そう思った私はバランスを崩して彼の足を蹴りそうになるたびに、何度も自ら転んで回避していた。
しかしあまりにも転ぶ私を見かねたのか、最終的にノアが魔術で私の手足を操り動かし始めてしまったのだ。この時はめちゃくちゃビビった。天才の力って、すごい。
結果、彼の魔術のおかげで私の動き自体は完璧だったかもしれないが、それはもう贔屓目に見ても踊っているとはいえない。どう考えても操り人形でしかないのである。
「操り人形」
「これ、ゲームでも似たようなことがあったんですけどね」
ノアの攻略シナリオでは強力な魔物に怯えて動けなくなった主人公の足を咄嗟に操り、迫り来る危機から救うというちょっとハラハラドキドキなシーンがあった。
彼の機転で命を救われた主人公はいたく感動していたが、実際には自分で自分を全く操作できない状況はホラーである。生きた心地がしなかった。
ちなみにノアからのルージュ様呼びはさすがにどうかと思っていたので少し前にやめてもらった。ゲームやってる時から思ってたんだけど、弟から様付けで呼ばれるのって逆に恥ずかしくない? どうなの元のルージュさん。
練習相手ならウォルターでもいいかと思ったが、表向きは父の補佐でしかない彼には立場上、頼む訳にもいかなかった。そのため、ノアとの練習以降は何もできていない。
「つまり、ヤバいです」
「な、なるほど。ヤバいのか」
アルバートが神妙な表情で頷く。
異変のゴタゴタで中止になるため、来年は卒業式後の夜会がない。なので今年さえ乗り切れば二年後まではダンスから解放されるのだが、その今回が問題なのだ。
「私、もうどうしたらいいのかわからないです……!」
「ルージュ……」
何も思いつかずテーブルに突っ伏す私に、アルバートが心配そうに声を掛ける。
「……わかった、今回は俺がどうにか……どうにかしようではないか!」
「ほ、ほんとに……!?」
その言葉に顔を上げると、アルバートは自信満々に頷きながら言った。
「ああ、一つ策がある。俺を信じてくれ」
「アルバート……!」
「つまり踊らなければいいのだろう?」
「…………えっ」
不穏なセリフが聞こえた気がしたけど、これはどうにかなるのか?




