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【王太子アルバート視点】
月明かりがかろうじて地面を照らす中、俺は静かに一人、剣を握りしめていた。周囲には風が木々を揺らす音だけが響く。
何度もこの時間に一人でレベリングに来ているが、春が近づいているからか、最近では風の冷たさも感じなくなってきた。そして夜の闇が怖くなくなったのは、自分が強くなったという自信が生まれたからだろう。
『強くなった』と言っても…… ふと、あの日のことが頭をよぎる。
ルージュとレベリングを始めてから俺は以前と比べて明らかに強くなった。しかしサブクエストに挑んだあの日、突如現れたドラゴンを相手に手も足も出なかったのだ。ルージュとウォルターがいなければ、命を落としていたかもしれない。
さらにルージュ曰く、ゲームも後半になる頃にはあの程度のドラゴンは雑魚敵でしかないらしい。嘘だろ。
つまり彼女の言葉が正しいのなら、これからあのドラゴンなど比ではない、もっと強い敵と戦うことになる。そしてラスボスの精霊王はその遥か上を行く存在。今の俺では到底かなわない。どれだけレベリングを続けても、まだまだ足りないことを痛感する。
「もっと、もっと強く……」
ドラゴンの攻撃を防ぎ、魔術の一撃で撃退したルージュはどれだけレベリングをしたのだろうか。圧倒的に強かった。俺はもしかしたら足手纏いだったのか。
──悔しい。
俺は強く剣を握りしめ、自分で呼び出した幽霊のような魔物を斬り捨てる。レベルが上がったからか、もう剣を適当に振っているだけで倒せてしまう。歯応えがなくなってきたので、そろそろルージュが以前言っていた次のレベリングスポットについて聞かないといけないだろう。
レベリングといえば、レベルが高ければ崖から落ちても死なないというのは驚きだった。実際、あれほどの高さから落ちたのにも関わらず、二人は至って軽傷で戻ってきた。落下への対処を身につけているだろうウォルターはともかく、ルージュもそうだった。
彼女曰く、こちらの世界の人間は丈夫すぎるようだが、これもゲームあるあるだという。どうやら彼女の前世の世界では人間はもっと脆いものらしい。
ウォルターといえば、あいつが猫をかぶっているのは従者にした当初から知っていた。本性を出すとあんな感じだが、貴族にも平民にも溶け込める故、重宝している。
そんなウォルターと『精霊の姫君』との関係性はどのように進むのか──あの性格とゲームの内容からして色々可能性はあるな。想像が膨らむ。あとで具体的に考えよう。ルージュとのやり取りを見て思ったが、確かになぜ攻略対象ではないのかが気になるところだ。ゲームの開発とやらに何か思うところがあったのだろうか──
「……ははっ!」
自分の思考に思わず笑ってしまった。国の危機が迫っているというのに、結局はこの先のシナリオが楽しみで仕方がないとも思ってしまっている。ルージュが転生してきてからの俺は、やっぱりこうだな。
「『精霊の姫君』か……」
いずれ現れる『姫君』がどのような人間でどういった道を辿るのか、今から楽しみだ。できることなら素晴らしいエンドを見せてくれることを願う。
とはいえやはり全てのイベントを見たい気持ちは消えないが、どうにかできないものか。
……時間はまだある。どう動こうか、考えて作戦を練っておこうではないか。
そんな考え事をしているうちに気がついたら無意識のうちに大量の魔物を斬っていた。やりすぎは良くない、後で酷い筋肉痛になることは身をもって知っている。今日はこの辺にしておいて寮に帰ることにしよう。
明日は学園は休みだ。ルージュは侯爵家に帰るらしい。俺は城に戻り、来る精霊王の異変に向けた国としての対策をしなければ。やるべきことはたくさんある。俺はこの国の王太子なのだから。
翌朝、城の執務室で書類に目を通していると、ノックの音が響いた。どうぞと返事をするとドアが開く。
「失礼いたします、アルバート様」
「ああ、ウォルターか。入れ」
どうやらラリマー侯爵家の監視についての報告のため、城に戻ってきたらしい。しかし、普段より緊張感のある顔をしているように見える。どうしたのだろうか。
「アルバート様。まずはこちらをご覧ください」
その言葉と共に差し出された書類を見ていくと、そのあまりの内容に眉間に力が入ってくる。
「これは……!」
それは想像以上にとんでもない内容だった。侯爵家に不気味な動きがあるようだ。どうやら彼らは大人しくしていると見せかけて、水面下で大規模な計画を進めているらしい。全容はまだつかめないが、放置すればルージュの言っていたようにとんでもないことになりかねない。
しかし、監視されているとわかっていてなお、さらに大きな悪事を働こうというのだから恐れ入る。ゲームの悪役とはこれほどまでにしぶといものなのだろうか。
さてどうしたものか。これはルージュとも相談すべきか? ……ともかく、そろそろ手を打つべき時が近づいて来たのかもしれない。
「良い仕事だウォルター。助かった」
おかげで俺たちも対策を立てやすくなる。情報がなければ何もできないが、今ならばこちらも動き出すことができるだろう。
俺の言葉にウォルターは無言のまま深々と頭を下げた。
「ところでウォルター。ルージュの様子はどうだ?」
妙なことをしていないだろうかと。そう、俺はルージュが無茶をしていないかが心配だった。侯爵家に戻った彼女が俺の目が届かない場所で何かトラブルを起こしていないだろうかと思い、つい聞いてしまった。
「そのことなのですが……」
「なんだ? 何があったんだ?」
珍しくウォルターが言いにくそうにする。それが引っかかった俺は急かすように尋ねた。
「実は……」
語られたその内容に一瞬、頭が真っ白になった。なんとルージュと義弟のノアが二人きりの部屋で何かしていたらしい。それもルージュの悲鳴が聞こえたという。しかしウォルターは部屋に入ることはなく、詳細は確認できなかったと──
は? それはどういうことだ?
ルージュが……ノアと? 何をしていたんだ?
ウォルターがルージュに手出しすることは確実にないと断言できるが、会ったこともないノアは正直わからない。そもそも彼が侯爵家の養子になった理由が──いや、今はそれはいい。
ルージュに限ってそんなことはないはず、
しかしノアが推しだと言ってたな、
だからといって……いやまて悲鳴って言ったか?
ま、まさか本当にそんなことが?
あれこれ考えて頭を抱えていると、頭上からククッと押し殺したような声が聞こえる。何事かと顔を上げると、ウォルターが一瞬だけ笑っているのが見えた。おい。
「……まて、ウォルター。お前楽しんでいるだろう」
「いいえ、私はありのまま起こったことをお伝えしただけでございます」
平然とした口調で流れるようにウォルターは言う。
「……先ほど笑っていなかったか?」
「気のせいでございましょう」
「……」
やはり面白がっていないか? と問えばウォルターは否定する。嘘だ、これは絶対嘘だ。ルージュのことなら俺が動揺することを知っていてワザと意味深に言っているだけだ。一回叱った方がいいだろうか。
こいつは俺の従者の中でも優秀だが、いかんせん性格が悪い。このように時折揶揄ってくることもある。……もしやそのせいで攻略対象になり得ないのか? あり得る説な気がしてきたな。
ゲームでの俺は『腹黒王太子』らしいが、ウォルターの方が腹黒じゃないかと思う今日この頃である。
ともかく、ウォルターが直接動いていないということはそのルージュとノアの件はおそらく大事ではないと察するが……どうなんだ?
ウォルターの顔を見ると、貼り付けたような完璧な表情で微笑んでいる。全く本心が読めない。
くそ、一体何があったんだ。気になるじゃないか!




