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「……怪我なんてしてねえ」
「嘘ですわね」
歩き方が変なのは背負われているときにわかっていたし、少し歩く様子を見て怪我をしていると確信した。それでもウォルターは頑なに否定するので、力ずくで裾を捲り上げ足を確認する。
「うわ……」
血は止まっているようだが思ったよりザックリいってる。結構深手だ。めちゃくちゃ痛そう。
「どうなさったんですのこれは」
「噛まれたんだよ。さっきの群れのやつに」
ウォルターは顔をしかめつつも、そっけない返事をする。
ひええ、ハチトカゲに噛まれたら現実だとこうなるのか。いつの間に噛まれてたんだろう。そもそも怪我したまま戦ってたのかこの人。全くそうは見えなかったけど。
「ったく、大袈裟な。こんなものほっとけば治る」
「駄目ですわ。手当てくらいはいたしましょう」
こんなこともあろうかと、その辺の薬草を調合した回復薬を持ってきている。ゲームでも回復アイテムはそれで調達できたから試しに作っておいたのだ。備えあれば憂いなし。
ということでこれを使おう。後で傷が原因でなんかあったら嫌だし。
「えい」
「いってぇ!? おいふざけんな!」
勢いよく塗ったら相当痛かったようでウォルターがキレる。でも塗ったそばから傷が引いていく。良薬、傷に痛し?
「あんたいつか覚えてろよ」
「でも傷は治りましたわ、ほら」
「……」
まだ跡は残っているが傷は塞がっている。信じられないものを見る目でウォルターが私を見てきたが、スルーしよう。
さて、気を取り直して進もう。ここは通称『迷路マップ』である。
道が複雑に入り組んでいて、何度も似たような景色が続く。つまり実際に迷路なわけではなく、ただ迷いやすいだけだ。そして本来は中盤に来る場所なので出てくる魔物が少し強い。
冬なのに葉が落ちないのか木々が重なり日光がほとんど差し込まない暗い森の中、ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。かすかになにかの鳴き声が聞こえるし、かなり不気味だ。早く戻りたい。
「わたくしが案内しますわ」
「なんで道を知ってるんだ」
「……最近ここを散歩したことがあるのですわ」
「こんなところで散歩するやつがあるか」
それはそう。こんな鬱蒼とした森、散歩したくない。
地形の配置を見て現在地を確かめる。マップは全部暗記してるしとっとと抜けよう。思い出せ、確かここから抜け出すには──
「右左直進右直進左」
「なんかの呪文か?」
あながち間違いでもない気もする。
「えーと、ここは右ですわ」
「なんでわかんだよ」
やめてやめて追及しないで。理由が思いつかないから。もう全部天啓ってことにしちゃダメ?
「しっかしあんた、そんな細腕でよくやるよ。ドラゴンの攻撃を防ぐなんてな」
「鍛えていますので」
「鍛えたくらいでそうなるか?」
実はゲームでのルージュのジョブは魔剣士。こんな細腕でも剣士なのである。なぜか鍛えても太くはならないけどある意味ありがたい。レベリングのたびにムキムキになったら……終盤面白い絵面になっちゃうし。
ウォルターもレベリングに興味があるのかと思ったが、何かを察したらしく曖昧に逃げられてしまった。やたら勘がいいな。
でも、レベリングできたら色々と助かりそうなんだよな〜。
そう思いながら笑みを浮かべて見つめると露骨に嫌そうな顔をされた。ちぇっ、残念。アルバートみたいには優しくないか。
でもなんだろう。いつもは周囲に貴族しかいないからか、平民と話すのは少し気楽というか、ちょっと前世を思い出すなぁ、なんて思ったり。
迷路を抜け、ここを越えれば後は坂を登るだけというところまで来た時、私はふと足を止めた。
──あれ?
そういえば、ゲームではこのマップの要所要所に少し手強い魔物の巣があるのだが、崖上に向かうにはその巣を一つは通り抜けるはずなのだ。
でも今のところなにもいないのは変だ。これランダム出現だったっけ?
「……魔物ならさっきから後ろにいる」
「え?」
不思議に思っているとウォルターの爆弾発言ともに背後から魔物の唸り声が響いた。すぐに振り返りそちらに目を向けると、大きな肉食獣のような魔物が少し離れたところからこちらを見ている。しかも声に呼応したのか奥からさらに数体の魔物が出てきて、
──目があった。ジリジリと近づいてくる。
「ダメそうですわね」
「ダメだな」
「逃げますわよ」
「そうだな」
走れえええ!
私たちは魔物に背を向けて走り出した。
崖上に向かう坂を駆け上る。この魔物は素早さがそんなに高くないから走れば多分大丈夫だけど、大丈夫だけど!
魔物がいるとかそういうことは早く教えてくれ!
「ウォルター、様の、馬鹿っ!」
「刺激、しなければ、襲ってこない、と思った、んだよ! あと、馬鹿って、言った方、が馬鹿だっ、て言うだろ!」
「だとしても、伝えます、わよ、普通! それに、先に馬鹿と、言ったの、はあなた、の方ですわ!」
「言って、ねぇよ!」
「言って、ました、わ!」
絶対に言ってた崖から落ちて目覚めた直後に!
足音と息遣いが森の静寂を切り裂き、魔物たちの唸り声と足音が背後から聞こえる。今はただひたすら前に進むしかない。
走りながら文句を言い合い続けて上に辿り着くころには二人揃ってへろへろに疲れ果てていた。息を切らせながら振り返ると、背後の魔物たちはすでに姿を消していた。
よかった、ウォルターの怪我を治しておいて。あれじゃさすがに走れないだろうし。
「! 二人とも無事──……どうしてそんなに息があがっているんだ?」
「「なんでもありません」」
「そうか?」
こちらに気がついたアルバートがすぐに駆け寄ってきたが、セリフがハモる私たちを見て困惑していた。
「……なんだか随分と仲良くなったな」
「「なってません」」
「そ、そうか……?」
「いや、二人が無事ならいいのだが」と言うアルバートはなんだか少し引いている。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。アルバート様はご無事ですの?」
「ああ。ルージュのおかげでな」
ドラゴンは私の一撃で痛手を負ったために飛び去っていったという。見ると地面には大量の鱗が落ちている。
……あれ、レベリングしたとはいえ、ルージュってこんなに攻撃力あったっけ?
アルバートは淡々としていたが、かなり疲れているように見える。どうやら私たちが戻るまでの間、暇つぶしに新しくきたハチトカゲの群れを狩っていたらしい。確かに落ちてる数が増えていた。
「二人ともすまない。俺が不甲斐ないばかりに」
「いいえ! そんなことはありませんわ、今回のことはわたくしの責任ですもの」
ドラゴンが出るなんて想定外だし、アルバートが狙われたのも運が悪かっただけ。むしろ私の方がこんなところに連れてきたり崖から落ちて心配かけたりして本当に申し訳ない。
アルバートは悪くない、だからそんな悲しげな顔をしないでほしい。今は二日後に訪れる経験値量に震えながらゆっくり休むんだ。これだけの数のハチトカゲを倒したんだから。
気を取り直して、剥ぎ取りである。
二人には休んでいてもらい、早速、無数に転がるハチトカゲから使えそうな素材を剥ぎ取る。某狩りゲームのようにナイフでサクサクとやれば簡単に取れていく。なにこれ気持ちいい。
あれにこれに、──あ、これも取れた! ってことはあれも交換できるし、あれの強化もいける。落ちてたドラゴンの鱗もあるし。もしかして激アツでは?
「ルージュ様」
「! なんでしょうウォルター様」
大量のレアアイテムを前に内心ウハウハしていたところにウォルターが話しかけてきた。今回は後ろからではなく、横から。
そして、彼は私に向かって深く頭を下げた。
「この度は大変申し訳ございませんでした」
「ウォルター様……?」
「加えて、アルバート様をお守りくださってありがとうございます」
急な謝罪と感謝に何事かと驚いていると、ウォルターは頭を上げ、少しだけ声を抑えててさらに続ける。
「改心したという噂は本当だったようですね……私はずっと、アルバート様にはあなたとの婚約を破棄していただきたかったのですよ。かつてのあなたは色々なさっていたようでしたから」
「……!」
「ふふ、ですので、ラリマー侯爵の補佐をするついでに、あなたの悪事の証拠でも集めて……いつかどうにかして差し上げようかと思っていました」
今日の狩りもアルバートが行きたがってたことは最初から知ってたが、それに納得できなくて私に八つ当たりをしつつ、悪事として記録しようとしていたらしい。おい。
ウォルターがルージュの悪事を監視していたのはゲームでもそうだったけど、まさか実際にやろうとしてたとは。
……あれ、もしかして私、この人に断罪されるところだったの?
怖っ!
恐ろしい可能性に戦々恐々としていると、ウォルターが私の目を見てふっと息をこぼした。そして、
「けどやめた。見逃してやる……あんたのこと、少しくらいは信用してやるよ」
そう言って、唖然とする私に向けて、舌を出してイタズラっぽく笑ったのだった。
……。
うああああああ!?
え、ギャップ萌え? これがギャップ萌えってやつですか!? ってやばい顔に出そうニヤけるな隠せ隠せ今の私は侯爵令嬢!
くっ、なんでこの人は攻略対象じゃないんだ、ゲームで攻略したかった。絶対良いじゃんこんなの。普段の真面目な従者モードからのこれとかさ、私じゃなくて主人公とこういうやり取りしてさ、さっきの笑顔とかをスチルにしてくれ。そんで私は壁とかになってそれを見つめたい。開発よ、今からでもいいから追加コンテンツにしてくださいお願いします。え、この世界ではゲームができない? そこをなんとか!
「ぐふっ……!」
後ろから変な声がしたので振り返ると、アルバートが口元を手で覆い何かを噛み締めるような顔をしている。急にどうした。王太子が出していい声かそれ。
「尊い……」
うわ、私のいつも使ってる言葉がうつってるけど意味合ってる? ……さてはこいつ今の会話に聞き耳立てていたな? いやでもわかるよその気持ち、胸に滾るものが、感情のビッグバンがあったんだな? よし、ならばIFの攻略シナリオについて後で熱く語り合おうではないか。
というのは置いておいて、
……私、認められたんだな、悪役なのに。
転生してからずっと、自分は結局ただの悪役でしかないと思っていたのだ。私は何度ゲームをクリアしても最後は断罪される運命だったから、攻略するぞと言いながらも自分のことはうっすらと諦めていた。
でも、行動次第で認められるのなら、最初から諦めなくてもいいのかもしれない。断罪されないことを目指すだけじゃなく、もっと前向きにできることがあるのかもしれない。
そう思うと、うまく言葉にできないが、なんだか少し心が軽くなった気がした。
そんな私の様子を見ていたウォルターが、クククッと低い声で笑った。そして油断するなとでも言うようにこちらを見据え、
「しかし、あまり調子に乗らないでくださいね。これからも監視は続けますから……覚悟しとけよ?」
と言ってニヤリと笑い、背を向けた。
「なっ……!」
くっ、こいつ……人がいい感じに思いを巡らせているところに!
ウォルターの背中を睨んでいるとアルバートはまた変な声を出してしゃがみ込んでしまった。大丈夫か?
寮に戻った私はノートをパラパラと捲りながら一人反省会をしていた。今日は良いことも悪いこともたくさんあったから。
ちなみに侯爵家に帰るウォルターと別れた私とアルバートは二人で今日のこと(とゲームのこと)について語り合ったが、色々ありすぎて語り尽くせぬままに寮に着いてしまった。また今度語ろう。
「あー、今日は本当に大変だったな〜」
でもどうにかなってよかった。ドラゴンが出てきた時はここで終わるかと思った。しかも崖から落ちるし。
それに、アルバートには心配かけて非常に申し訳ないことをしてしまった。ここは現実。ゲーム知識から外れることもあるんだから、もっと色々な可能性を考えないといけない。この攻略チャートも少し練り直さないと。
攻略対象外からも断罪されかけてたみたいだしね。本当にウォルターは怖い。
でも予想外のアイテムも入手できたから、それはラッキーだったかもしれない。うまく使えば色々できそうだ。
今日のまとめ。無事に帰って来れてよかった。以上。
ふーっと一息つく。
ほっとしたら眠気が出てきたのでベッドに入る。すると戦いの疲れもあったからか、すぐに瞼が落ちてきた。
……明日からも頑張ろう。
そんな私は近々来るあのイベントをすっかり忘れていた。
──夜会という名の最大の天敵を。




