13
「はあっ!」
『きゅぃぃっ』
アルバートの振り下ろす剣が空を切り裂き、魔物が力なく崩れ落ちる。
「さすがですわね、アルバート様」
「ああ、日頃の鍛錬のお陰だな」
私が近くにいた魔物を一体ずつ倒しているうちに、アルバートは次から次へと切り捨てていく。それにしてもいい攻撃力、レベリングの成果が出ているようだ。このまま鍛え上げて立派なゴリラになればいい。
「……ゴリラ?」
やばい無意識に口に出していた。
さすがに王太子をゴリラ呼ばわりはまずかったかも……いやそもそもこの世界にゴリラっているの?
森に入った私たちは早速魔物の群れを見つけ狩りを始めていた。
このレア魔物はトカゲを丸くしたような体にハチのような羽がついた魔物だが、可愛い見た目とは裏腹に作物を荒らす害獣なので、レベリングも兼ねて容赦なく倒せる。レア魔物だが生息数は多いらしく、普段は地中にいるからほとんど見つからないだけだとか。ちなみにその名も『ハチトカゲ』。嘘みたいな安直なネーミング。それでいいのか?
そんなに強くない魔物だが反撃されて嚙まれると普通に痛いのでワンパンできる程度まではレベリング必須。しかもゲームの中では一度の戦闘に五体までしか出現しないのに、現実では普通に十体以上まとめて出てくることもザラなので少し大変だ。これが現実世界の厳しさってやつですか。
「この程度か。あっけないな」
アルバートを見れば多数の魔物に囲まれつつも問題なさそうにバッサバッサと切り捨てている。強い。
実はゲームでは彼のステータスは物理攻撃に大きく補正がかかるのだ。力で敵をねじ伏せる脳筋な戦闘スタイルで全てを薙ぎ払う様はマジでゴリラ。単純な物理性能は作中一である。見た目は普通なので全くそうは見えないのだが、一体どこからそんな力が?
余談だが攻略対象にいた騎士志望のあの人も物理攻撃特化に思えるが、なんと彼は防御特化だったりする。守護騎士ってやつですね。そんな感じでこのゲームではキャラごとに成長率が異なっている。
「よし、まずは群れ一つ片付けたな」
……はっや。考え事をしているうちに終わってしまった。
私はアルバートが最後の一匹を斬り倒すのを見届けて軽く拍手をした。群れの魔物はすべて足元に転がっている。例の剣を使っているとはいえまさかこんなに早く狩れるとは。この調子ならあと少し狩れば十分な量の素材が集まるだろう。
次の群れが現れるまで少し休憩しようと一歩踏み出す。すると後ろから冷たい視線を感じ、振り返ればウォルターが笑顔を貼り付けたままこちらを見つめていた。うわ。
「随分とやりますね、ルージュ様」
「……ウォルター様」
どうやら私たちの戦いぶりを観察していたようだが、今度はなんだ。
「ええ、これでもそれなりに鍛えていますもの」
「そうでしたか。それは何のために?」
「何って……これからのため、先を見据えて準備をしているだけですわ」
問いかけの裏にトゲを感じ少し苛立ちながら返答すると、彼は一層鋭い目を向けた。
「準備、ですか」
「……何が言いたいんですの?」
問い詰めるように聞くと、ウォルターは笑みを浮かべたまま口元だけで軽く笑う。
「いえいえ、ただの確認ですよ。ルージュ様が何を考えていらっしゃるのか、という」
「確認って……」
うーん、私に対する不信感がすごい。別に怪しいことを考えてるわけじゃないんだけどな。
しかし無理もない。彼は今、汚職まみれのラリマー侯爵家を監視している。自分の主がこんな家の令嬢と婚約しているとか嫌だろうし、私も悪事に加担していると疑われていてもおかしくはない。
返答に困り黙り込んでいるとウォルターはあくまで丁寧に続けた。
「……なぜアルバート様をこんな危険な場所に連れてくるのですか? なんの必要があってこんなことを?」
「それは……」
やはりそれが一番気になるようだ。確かに王太子自らがこんな最前線of最前線に立って戦う姿というのは、よく考えたら恐ろしい光景である。パーティーの先頭で戦う王族ってどうなんだろう。ゲームでは割とあるあるだけど。
だけど私がこの先に待っているシナリオを知っていて、その対策として彼を鍛えようとしているなんて到底言えたものじゃないし、彼の立場からすれば私はただアルバートを危険に晒しているだけに見えるだろう。
くっそー! 何も言い返せない。ぐぬぬ。
「落ち着けウォルター。お前の言い分はわかるがルージュは悪くない……そもそも俺が狩りに行きたいと言ったんだ」
「……アルバート様がそうおっしゃるなら」
見かねたアルバートが仲裁に入るとウォルターは渋々引き下がった。助かった。
明確に口には出さないだろうが彼はおそらく元のルージュを知っているのだろう。プライドが高く傲慢な女だった彼女を。だから余計に当たりが強い。悪女であった私が急に態度を変えたとして、それは罠なのではないかと。彼の立場だったらそう思う。
それにウォルターだけでなく側から見れば、私はアルバートにとっての敵に見えるのかもしれない。元々、私はこの世界では悪役なのだからそういうことになっていても仕方ない気がする。物語の強制力というか、こればかりは諦めるしかないのだろうか。
でもせめて断罪回避だけはしたい。それ以上は望みませんので!
……だから今日は大目に見てください、ウォルターさん。
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ?」
ウォルターの問いかけに私は取ってつけたような笑顔を返した。
少し経てば再度魔物の群れが現れ、私たちは気を取り直して魔物を斬り倒していく。
魔物を切りながらウォルターの動きを確認する。さすが王家の影だけあって、魔物の攻撃をかわしながら的確に仕留めていくその動きは無駄がない。……けど思ったよりも強くないな。ギリギリでワンパンしているけど、ゲームではもっと強かったはず。もしかして今はシナリオ開始以前だからまだレベルが低いのか?
だからといって特に問題はなく、私たちは次々と魔物を倒しあっさりと群れ全体を片付けた。足元に転がる魔物を数えると、三十体を超えている。うん、もう十分。今回はこんなもんでいいだろう。
「アルバート様、今日はこのぐらいにしておきましょう」
さて、素材の剥ぎ取りでもしますかと一息つき、戦利品を確認しようとしたその時だった。
──周囲の静けさの中で、低く唸るような音が響いた。
「……何か変な音がしません?」
「音?」
不穏な音が耳に届いた瞬間、私は反射的に身を引き周囲を見渡した。次々と現れた魔物たちはすでに倒していたはずだが、どこか異様な気配が漂っている。これは、さっきの魔物とは違う。
「アルバート様、ウォルター様、気をつけてくださいませ! まだ何かが──きゃっ!?」
言い終わる前に地面が小刻みに震え始めた。大地が低く鳴り響き足元に伝わる振動が強くなっていく。周囲の木々が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立っていくのが見えた。
──何かが、来る。
各々が剣を握りしめたその瞬間、
まるで地平線からせり上がってくるかのように巨大な魔物が現れた。
人の背丈を軽く超える大きさで、全身が黒く光を吸い込むかのような皮膚に覆われている。頭にはねじれた角が生え、背には巨大な翼を持ったそれが、四足で地面をゆっくりと蹴るようにしてこちらに向かってきていた。その異様な大きさと威圧感に、一瞬体がすくむ。
「な、なんだ!?」
「あれは……!」
二人が驚きの声を上げたのも無理はない。私も驚愕のあまり声を失った。
あの魔物は──俗にいうドラゴンだ。
広大ななわばりを徘徊している魔物で、ゲームでは序盤からクエスト中に低確率で出現し、パーティーを壊滅させていく厄介者。終盤ならただの経験値でしかないがレベルが低いうちはなすすべもないという、序盤から中盤までのプレイヤーに恐怖を与える所謂トラウマモンスターだ。実際にプレイしていた時にも運悪く出くわしてしまいゲームオーバーになったことが何度かある。
ていうか滅多に出なくて狙って戦うには乱数調整が必要なくらいなのに、なんでよりによってこんなタイミングで出るの!?
「こ、ここは、いったん引いた方がいいと思いますわ……」
私の言葉にウォルターも頷いた。しかし、
「いや……戦おう」
「アルバート様!?」
アルバートはドラゴンを見つめたまま引かない。しかしさすがに相手が悪すぎる。ドラゴンはただの魔物ではないことは彼にもわかっているはずだ。
「わかっている。だが……」
「俺たちには逃げる場所がないんだ」
「……」
「……」
そう言われて見回せば、確かに私たちが立っている場所はほとんど袋小路のような地形だった。魔物の群れと戦ううちに気が付いたらこんなところに来ていたようだ。
マジか。
前方にはドラゴン、後方には深く谷底まで切り立った崖。
逃げられない。詰みである。
「……やるしかない」
その言葉と共にアルバートは前に出た。ドラゴンは咆哮をあげ、その巨大な前脚を振り上げる。その動きは鈍重に見えるが致命的な破壊力を持っていることは一目瞭然である。でももう戦うしかない!
ええい、ままよ!
私たちは息を合わせて戦闘準備に入った。すぐに私が魔術でドラゴンの動きを封じ、ウォルターがその隙をついて鋭い剣撃を繰り出した。
「くっ……硬すぎる!」
ウォルターが毒づく。やっぱこいつレベル低いな。彼の剣は硬い皮膚に弾かれほとんど効いていない。さてどうしようかと考えていると勢いよく前脚が振り下ろされ地面が震えた。ひええ。ウォルターなんかよりずっと怖い!
ドラゴンの動きは遅いがこのままでは埒が明かない。動き回りながら確認しながら隙を探していると、ふいにドラゴンの鋭い視線がアルバートにじっと焦点を向けた。そして、前脚を振り上げる。その速さは今までにないもので、
……まずい。
「アルバート様!?」
「!」
ウォルターの叫び声が聞こえる。ドラゴンの鋭い爪がアルバートのすぐそこまで迫る。アルバートは避けられない。ウォルターは遠すぎて間に合わない。
──なら私が!
「っくう……!」
考える暇もなく私は本能的にアルバートの前に飛び出し剣を横に構えた。その瞬間、大きな衝撃が腕を襲う。全身にびりびりと痛みが走ったが気合でなんとかその攻撃を受け止めた。案外やればできるもんだ。アルバートが驚いたように目を見開き私を見つめるが、今は気にしている場合ではない。
「このっ……食らいなさい!」
私はすかさず魔術を唱え、全力で放った。それは大きな衝撃音と共にドラゴンの胴体に直撃し、眩い光とともに大きなダメージを与えたようで、ドラゴンの咆哮が響き渡る。
もしかして、いけるかも!?
だがその強力な魔術の反動で私は弾かれ、無防備に吹っ飛ばされてしまった。そして、咄嗟に着地したのは――崖の端だった。
……あ。
脆い土が踏み抜かれ、足元が崩れていく。バランスを失い足場が崩れた瞬間、視界が一気に開けた。
「ルージュ!」
アルバートの声が遠く聞こえる。背中に冷たい風を感じ視線を下に落とすと、遥か下方に広がる深い谷が目に入った。
うわ、これやばいやつ──
「っ、ルージュ様!」
「え――!?」
ウォルター!? なんで?
覚悟を決めて目を瞑った私の腕を、飛び出してきたウォルターが掴んでいた。しかし、もう遅い。二人とも崖に手は届かない。もう落ちるしかないところまで来ている。
……。
ちょっと待って何がしたかったんですかウォルター!? あなたも落ちるじゃないですか!
アルバートが何か叫ぶ声を聞きながら、私たち二人は谷底へ落ちていった。




