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結論から言おう。
「精霊王はメインシナリオのラスボスです」
「ラスボス」
精霊王はこの世界の要となる存在であり、乙女ゲーム『精霊の姫君と願い星のロンド』のメインシナリオの表のラスボス。
それは普段は基本的に一所に留まることはなく、様々な形をとりながらこの世界を漂っており、ゆっくりと移動しながら各地の精霊たちに力を分け与えている。そのため精霊王はすべての精霊たちにとって必要不可欠な存在であり、精霊の加護に依存したこの世界の多くの人々にとっての信仰の対象にもなっているのだ。
しかしある日、精霊王は体内に溜めこんでいた力を使い切ってしまったことによりこの国のある場所に落ちてしまう。これが異変の始まりである。
弱り切った精霊王はその場所で巨大な繭に似た『巣』を作る。そしてその中で眠りにつき、周辺の魔力を吸い取り始めるのだ。これにより魔力を失ったその地は生き物が住める場所でなくなり、さらに力の源を絶たれた精霊たちが力を失い世界に危機が訪れる。
実はこのまま放置しても数年後に力を蓄え終え目覚めた精霊王はまたどこかへ去っていくのだが、『巣』の周辺は魔力を根こそぎ吸い尽くされたことで広範囲にわたって滅び、一帯は長期間草木一つ生えない不毛の地となる。精霊の力も戻るものの、こちらもやはり失われていた時間の長さからこの世界は大ダメージを受けることになる。これは設定集に書いてあった。
「という感じで容赦なく滅ぼしにかかってきます」
「な、なるほど……」
普段は恵みを与えるが時に大きな災害を起こす。この世界の精霊王とは大自然のようなものなのだ。
「バッドエンドでは王都も普通に巻き込まれて滅びますね」
「なんと」
「でも大丈夫です」
メインシナリオではクエストを攻略することで各地の精霊たちの長である大精霊を救出し、彼らの加護を集めていくことで話が進むのだが、この加護がとにかく強力なのだ。
そしてすべての加護を得た主人公たちと精霊王とのラストバトルはシナリオの流れを優先した実質勝ち確定のイベント戦。普通にプレイしている場合はまず負けないので見るのがかなり難しいバッドエンドである。わざと負けるくらいでないとまず負けないだろう。なのであまり気負う必要はない。超低レベルクリアを目指すとたまに事故るらしいが。
「むしろ途中のクエストを落とさないようにするほうが大切です」
メインクエストはゲームではクリアするまで何回でも挑戦できるが、現実だと難しいだろう。そして万が一どこかで『精霊の姫君』が死んだり再起不能になったりしたらもう精霊王はどうにもできない。おしまいである。
「……わかった。肝に銘じておこう」
アルバートがしっかりと頷く。うん。彼ならきっと大丈夫、しっかりとやってくれるだろう。このゲームのメインシナリオの難易度はほかのゲームと比べて難しいわけではない。真面目に進めていれば問題ないはずだ。
あ、そうだ、精霊王といえば言い忘れていたことがあった。
「そういえばなんですが、実はこの前ゲームで精霊王がいた場所に行ってみたんですけど、」
「!?」
何気なく言った私の言葉にアルバートが驚愕の表情を浮かべた。え、どうした?
まるで信じられないものを見たかのように目を大きく見開いている。なにをそんなに驚いてるのかよくわからないが、最後まで言わせてもらおう。
「……そこにはまだ何もありませんでしたね。ただの森でした」
「……」
実際にストーリー上で精霊王が『巣』を作っていた場所に行ったものの、異変が起きてない現時点ではやはりまだ何もなかった。
ならば他の精霊の様子はどうかと思い、いくつかの大精霊のいる場所を訪れ彼らの様子を確認してきたが、こちらも今のところ何も異常はなかった。
まあ、あったとしてもどうにかできるのは『姫君』だけなので結局はお手上げであるのだが。
そう私が言うと、しばらくの沈黙の後、アルバートがゆっくりと口を開いた。
「ルージュよ……もしもそこに精霊王がいたとして、どうするつもりだったんだ。そんな危険な真似をする必要はないのではないか?」
真剣な表情で見据えるその瞳にはどこか緊張感が宿っていて、私を諭す声には苛立ちの色が濃く含まれている。
「そうですね。でも、」
彼の言うことはもっともである。だけど、私がそうしたのには理由があるのだ。
「……実は異変が起こる前に何かできないかなーってちょっとだけ思ったんです」
言い訳がましく聞こえたかもしれないが、これが私の本心である。今は大丈夫だが来年の冬には必ず精霊王の力が弱まり、精霊たちの力も連鎖的に失われていく。世界の危機なのだ。半年も過ごしていればこの世界にだって愛着は湧くし、今のうちにできることがあればやっておきたい。誰だって、そう思うでしょう? 私がレベリングをしているのもそういった理由があるからなのだ。
私がそう言うと彼は一瞬戸惑ったように見えたが、すぐにその表情を真剣なものに戻し、私の手をそっと握った。その手の温かさが伝わってきて、思わず心臓が、跳ねた。
「っ、アルバート……?」
「……」
月明かりに照らされた彼の顔が、驚くほど美しく見えた。その彫りの深い顔立ちが青白い光に映えて神秘的な雰囲気を醸し出している。あれ、アルバートってこんなにもイケメンだったっけ……?
突然の出来事に混乱していると、彼は少しだけ憂いを帯びた目で私を見つめながら言葉をこぼした。
「……ルージュに何かあったら、俺は、……嫌だ」
「……」
いつもの冷静な調子ではなく心からの言葉を絞り出すように語りかけてくる。その声に込められている感情に思わず目をそらしてしまいそうになる。
そんなに心配をかけるつもりはなかったのに、彼の言葉の裏にある想いが重くのしかかるようだった。
「……心配かけてごめんなさい、アルバート」
そう呟く私の声は、自分でも驚くほど小さかった。
元は政略結婚でしかない婚約者の私のことをアルバートがこんなに心配してくれるなんて思っていなかった。そのことに気づいた瞬間、言葉ではうまく伝えられないけど、胸の奥がじんわりと温かくなる。これからはもう少し気を付けようと思う。
照れながら私はアルバートの手をそっと離し、一歩後ろへ下がって再び歩き始めた。彼の手の温もりが名残惜しく、指先から消えていく感触がやけに寂しい。
少しでも距離を取れば落ち着きを取り戻せるかもしれないと期待して足を進めたが、胸の高鳴りはむしろ逆に激しくなるばかりだった。脈打つ心臓の音が自分でもわかるほど大きく感じる。急にどうしたよ、私。
月明かりが静かに二人の影を引き伸ばし、少しひんやりとした夜風が頬をなでる。その冷たさに少し救われながら、私は必死に心を落ち着けようとした。
これからアルバートはレベリングに加えて精霊王が落ちてくる時に備え、国としてできる準備を進めるそうだ。そして『精霊の姫君』が現れたらサポートをしていく。
だが今の私は『悪役令嬢』としての役割を持っているため、表立って彼女の成長を手助けすることはできない。それどころかシナリオが進めば私は彼女の敵となり対立する可能性もある。
だからアルバートに任せるしかない。彼なら最善を尽くしてくれるだろう。でも私はただ見ているだけでいいのだろうか、やっぱり何かしなければ……そう思うとなんだかもどかしいと感じる。悪役って難しいなあ。
寮に着くと私はアルバートと別れを告げた。彼の背中が遠ざかっていくのを見送ると、さっきまで握られていた手の感触が蘇り、思わずもう一度指を握りしめた。
なぜだろう、まだ胸の鼓動が収まらない。やっぱり今日の私はどうかしてるのかもしれない。
こっそりと忍び込むように寮の自室に戻る。……簡単に生徒が寮を抜け出せるのはセキュリティー的にどうなのかと思うが、ゲームでも夜中に出かけるシーンがあったのでこれは多分仕様である。
ドアを閉めほっと一息つき、すぐに机に向かう。そして引き出しから大事にしまっていたノートを取り出し、静かにページをめくり内容を確認する。
「……よし」
概ね予定通り。いい感じに進んでいる。
このノートには私が独自にまとめた『白テーブル』の攻略チャートが書かれている。実はテーブルを確認した後すぐにゲームの知識を駆使して誰にも知られないようにこっそりと計画を練っていたのだ。これは私の秘密兵器、攻略のお供である。RTA走者ではないけれど綿密な計画は大事。
そんな会心の攻略チャートを眺めながら必要な準備をもう一度確認する。
アルバートの強化、侯爵家の監視、そしてノア……は、多分断罪はしてこないんじゃないかな。そう思いたい。根拠はないけれど。しかしノアとの関係次第で私の運命も変わるが、まずはシナリオの進行を見極めることが優先だ。隠しキャラを早々に動かしてしまうと本来の展開が崩れ、全体のバランスを保つのが難しくなる恐れがある。焦りは禁物。
学園での生活も特に問題はない。他の生徒とそれなりにうまくやっているつもりだ。たまに素が出てやらかしそうになるけど、今はきっとちゃんとした侯爵令嬢として見られているはず。多分。
これらをまとめれば、断罪回避への計画はすべて順調に進んでいるといってもいいだろう。流石、私!
……という自画自賛は置いておいて、ノートは誰にも見られないように机の中に厳重にしまう。
さて、気を取り直して。
私の予想ではそろそろとあるクエストが出現する時期だ。今までのレベリングの成果を見せていこうではないか。




